第2話 異世界署
横転した馬車は車軸が折れていた。ここは荒野のど真ん中、修理できるような資材も無ければ、その技術を持つ者もいない。そもそもが馬が逃げてしまっていた。馬車を牽いていたものだけでなく、馬賊が乗っていたものもだ。全ては先程まで鳴り響いていたサイレンのせいである。
「ええと、改めまして……この度はありがとうございました、おかげで助かりました」
白フリルが沢山付いた赤のドレスを着た少女は、警察官と名乗った男、サツトに対して深々と礼をした。ウェーブがかった長い金の髪が、頭の動きに合わせてふわりと動く。
「礼なンぞ要らねェ。俺ァみんなの味方、お巡りさんだからな」
「お、おまわ……?」
またも聞き慣れない単語だ、少女は首を傾げる。そんな彼女の様子を見て、サツトは己の発した言葉について説明を始めた。
「まず、警察官
「ええと、衛兵や騎士のようなものでしょうか……」
知っている中で一番近いと思われるものに当てはめて、育ちの好さそうな少女は理解しようとする。
「ンで、お巡りさんってェのは定期的に街を見回って、目に付いた悪ィ連中をギッタギタのボッコボコにする、犯罪との戦いの最前線に立ってる警察官、ってワケだ」
「急に分からなくなりました……」
具体的かつ抽象的な表現、更には徒手空拳で虚空を殴り蹴ってそれを表現するサツト。少女は全く意味が分からなくなり、カクンと肩を落とした。
「あっ、失礼しました。
助けられた相手が特殊過ぎて忘れていた事を思い出し、少女はまたも頭を下げる。
「私はキルシュ・シュムクライン・バオムと申します、キルシュとお呼びくださいませ」
「キルシュ、ね。はいはい」
サツトは彼女の名にそこまで興味を持たず、いい加減な返事をした。
「お嬢様に何という態度を!」
「リヒト、良いのです。サツト様は命の恩人なのですから」
「で、ですが……」
窘められた茶色短髪の青年、リヒトはキルシュよりも年上の二十歳。しかし上下関係は少女の方が上であり、彼女の言葉を受けて彼は口ごもる。腰には剣を佩いており、彼はキルシュの護衛であるようだ。
「さあ、貴方も名乗りなさい」
「はっ。オレはリヒト・ゾンネ。……よろしく」
「リヒト君ね、オーケー覚えた」
作業の手を止める事無く、サツトはひらひらと手を振って了解を告げた。リヒトはその態度にカチンときたが主であるキルシュの手前、グッとこらえる。
「これ、リヒト。従者ならば不平不満を顔に出しては駄目ですぞ」
「ダイモンさん……。はい、すみません」
黒燕尾服の老紳士にも窘められ、青年は大人しく謝罪した。まだまだ未熟な彼には指導が必要と考えつつ、ダイモンと呼ばれた紳士は恭しく礼をする。
「この度は誠に感謝いたします。私めはダイモン、キルシュお嬢様に仕える執事にございます」
「ダイモンさんね、了解了解」
サツトは自動車のトランク容量一杯の荷物を、足で半ば無理矢理に押し込んでバタンとバックドアを閉じた。ようやく作業を終えた彼は、土ぼこりが付いた手をパンパンと払いながら三人へと向き直る。
「で、お三方はこれからどうするンで?」
差し迫った問題をサツトは単刀直入に問う。それを受けて、キルシュは困り顔で少し俯いた。
「どう致しましょう……馬車は壊れてしまいましたし、ここから町まではかなりの距離。多少の食料と野営装備は有りますが……」
「中々困難でありましょうな」
少女の言葉を老執事が肯定する。彼は己の主を守るため、サツトに頭を下げた。
「サツト様。厚かましい願いとは理解しておりますが、どうか貴方様の不思議な車に乗せて頂けないでしょうか」
「そりゃモチロン。悪ィ連中を連行するのも、困ってる市民の皆サマの為に動くのもお巡りさんの役目なンで」
五人の馬賊が無理な形で仕舞われたトランクを一瞥した彼は、当然といった様子でダイモンの願いを受け入れる。予想以上のあっけなさに頭を上げた老紳士は目を丸くした。
「アンタらには今回の一件の事情聴取が必要だ。そもそもが署に同行願う予定だったンでね、その申し出は丁度いい。さ、乗った乗った」
前後のドアを開けて、サツトは三人に乗車を促す。キルシュたちは顔を見合わせ、困惑しながらも自動車へと乗り込んだ。
アクセルを踏む、ブオンとエンジンが吠える。
「わっ!?お嬢様、お気を付けを!」
「だ、大丈夫ですよ、リヒト。危険は無さそうです」
牽く馬も無く、自動車は前進を始める。あっという間にその速度は馬を超え、それどころか彼女達が経験した事も無い様な速さで荒野を疾走し始めた。
「わああ、速い、速いですっ。ダイモン、凄いですよ!」
「私も初めての乗り物、驚愕の至りですな。いやはや、この歳になってこのような経験をする事になるとは」
窓ガラスにへばり付くようにして、瞬く間に過ぎていく景色を眺めるキルシュ。助手席に座る齢六十三のダイモンの目も、心なしか少年の様に輝いているように見える。
それに対して、リヒトはその身を固くしていた。
「リヒトっ。ほら、凄い凄い!」
「そ、そうですね、お嬢様」
「……ずっと前を向いたままじゃない。カチコチに硬くなってどうしたの?」
「い、い、い、いえっ!なんでもありません、はいっ」
鉄の胸当てを付けた上半身をガッチガチに硬直させ、両手は拳を作って膝の上。両脚は小刻みに震えており、彼が何を感じているのかは一目瞭然だ。
「なンだ、怖いのか」
「だっ、誰が!」
「ほーん、ほぅれ」
「ぎゃぁッ!?」
ハンドルを右に大きく回す。法定速度を遥かに超えた速度で走るパトカーは忠実にサツトの命令に従い、右へとその身を振る。突然の急激な揺さぶりを喰らって、リヒトは思わず叫び声を上げた。
「そぉら、そぉら」
「ややや、止めろぉッ!」
「あはははは、楽しい~」
恐怖に震えるリヒトとは対照的に、キルシュはこのアトラクションを楽しんでいる。護衛よりもお嬢様の方が胆力が有る様である。
そんな事をしながら三十分。パトカーはサツトが言う『署』へと到着する。
地獄からようやく解放されたリヒトは自動車から降りると同時に崩れ落ち、ダイモンは彼に肩を貸して立ち上がらせた。
「ほわぁ……」
車から降りたキルシュはポカンと口を開けたまま、そこに聳える物を見上げる。
彼女の目には、今まで見た事も無い建造物が映っていた。
塔、砦、城、何と表現すれば良いのか分からない。
石造りとも何とも言えない灰色の壁に、燦燦と荒野を照らす太陽光を反射する驚くほど透明なガラス窓。二階までは奥行きがあり平べったい長方形の箱型、その上に塔の様に細長い箱が載っているような形だ。建物の周囲は人間の背丈の二倍程度の石壁で囲われている、これに関してはそこまで防御力は無さそうである。
地上から一番上まで、おそらくは五十メートルはある。キルシュが過去に見た事がある王城の尖塔よりも遥かに高く、荒野のど真ん中にあるには違和感しかない建造物だ。
その姿は、数万の敵兵が攻め寄せようとも防ぎきれそうな威容である。
石壁の横には黒く艶やかな石があり、整った字体で碑銘が彫られていた。
見た事も無い文字であるはずが、何故かキルシュにはそれが読める。彼女は不思議に思いつつも、それを口に出す。
「みなごろ……しけいさつ……」
だがその下に、かなり乱暴に彫られた文字が続いていた。
「いせかい、しょ……?」
異世界署。そこにはそう、彫られていた。
「ご同行感謝致しまァす。異世界市民の皆サマ、美名頃市警察異世界署へようこそ」
日本という遠い国から異世界へとやってきた警察官。
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