第30話 奇跡の相生社
案内札の脇には、鮮やかな朱色の小さな丸木橋が架かり、その先には年齢を問わず永遠の愛を願う人々の願いが叶うとされる神秘的な相生社(あいおいのやしろ)が静かに佇んでいる。
橋の上から小川のせせらぎを眺めると、小石がまるで舞い上がる青緑色に輝くアゲハ蝶のようにきらめきながら浮かび上がり、まばゆい光を放っているように見える。その儚く美しい光景に心を奪われると、恋人たちには間もなく幸運が訪れると言い伝えられている。
何を思ったのか、僕は急いであかねの手を取り、橋を渡ってその神々しい社へと歩を進めた。
「あかね、良かったなあ……。歩けるようになって。目も大丈夫か?」
「おおきに。おかんに聞いたのやろ。もういけるさかい。なあ、あれ見て」
「おっ、すごいね。信じられないよ」
丸木橋に向けて名残惜しそうなあかねが指さした方向を振り返ると、案内札に書かれたとおり、小石が不思議な力によって跳ね上がっていた。まるで、小石が空から降ってくる神の恵みを受け取ろうとしているかのようだった。
やはり彼女はこの地に伝わるアゲハ蝶を見たかったのかもしれない。僕はそれを見て、あかねの心に潜む魔物が消え去ることを心から願っていた。
その後、僕らは神秘的な橋を渡り切り、やがて社の前にたどり着いた。森の中に隠れる相生社の姿は、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚を与えてくれた。あかねは深呼吸をし、静かに目を閉じた。
「願いが叶うといいな」
僕はそっと彼女の手を握り返し、ふたりでその神聖な空間に祈りを捧げた。温かな風が吹き抜け、まるで神々が僕たちの願いを聞き届けてくれているかのようだった。
木々が初夏の柔らかな日差しを浴びて、参道は青々としたトンネルが続いていた。僕たちが一歩ずつお社へと近づくごとに、葉ずれの音色がさやさやと耳に届き、心の奥深くまで染み渡る。この上なく和やかで、穏やかな光景が広がっていた。
「悠斗はん、えらい気持ちええねん。きっと神さまが見守ってくれてるのや」
突然、あかねがひとり言のように呟いた。
彼女の表情も、生き生きとしたものへと変わり、その言葉が心からのものであることが感じられた。僕らの目と鼻の先には、知る人ぞ知る京都で一番の縁結びパワースポットと呼ばれる、人気のお社が姿を現していた。
歩きながら、僕たちは二回目の案内札に気づき立ち止まった。それは、「七不思議」の一番目の謎を解き明かすものだった。
「なあ、悠斗はん、あれが
あかねが指さした相生社の方角に目をやると、枝や幹が絡み合って男女が抱き合っているような御神木がまもなく目に飛び込んできた。その根元には、幼い木が芽ばえていた。御神木の聖地には幾つかの大きな
恋人を探し求める男女には愛する相手が見つかり、カップルには今の繋がりがさらに深くなり、子どもができづらい夫婦には赤子が授けられ、永遠の絆が紡がれるという。
すぐ近くのお社で拝礼を終えた若いカップルたちが、神の力にあやかろうと大勢周りを囲んで並んでいた。その光景に心打たれ、胸が熱くなった。一方で、先頭に立つ若い女性は、恋人を求めているのか、ひとりで縁結びの綱を力強く引いていた。その姿には、彼女の真剣な思いがあふれていた。
下鴨神社のパワースポットには、相生社に拝礼した後、思い思いの願いを込めた絵馬を奉納し、連理の賢木の綱を引くという特別なしきたりがあった。
「本当や。これは珍しいな」
僕は感嘆の声を漏らした。あかねは僕の手を引いて、御神木に近づいた。
「この木はな、縁結びの神さまの力でこうなったんやって。今の枝枯れても、また青葉伸びておんなじように繋がるらしいの。早ううちらも絵馬を吊るして拝礼もせなあかん。ご神木の綱を引くのんはそれからや」
あかねは声を弾ませて嬉しそうに話した。僕は彼女の笑顔に心を打たれた。ふたりは厳かに拝礼を済ませると、絵馬をひとつだけ用意した。
僕たちも交互に絵馬を持って、お社の周りをまわった。僕は時計回り、彼女は反時計回りで二周した。途中であかねと出会うと、真剣そうな眼差しが向けられた。三周目の途中で立ち止まり、手を取り合って、掛け台の真ん中に絵馬を吊るした。
「いつまでも、ふたりで一緒にいられますように……」と願いごとを記してから、相合傘に悠斗とあかねの名前を綴って奉納した。彼女は心を込めて手を合わせ、紅白の紐を結んだ。その健気な姿を見て、僕は感動しながら写真に収めた。
「神の力を信じる者だけが救われるらしい。とても不思議な話だね」
「これで、うちらも深う結ばれるんや。悠斗はんの浮気封じも神さまにお願いしたさかい。一生一緒にいられるように……」
あかねは自慢げに話した。彼女はいつの間にか無邪気な少女に戻っていた。僕はそれを見て微笑んだ。
「あかね、良かったね。けど、心配かけてごめんね。浮気なんかしないよ」
「もう気にしてへんさかいええやろ。これでお願いごと、叶うとええんやけど」
あかねは、僕がかつて手紙に書いたふたりの女性のことをやはり心配していたのだろうか。ひたすら絵馬を見つめ、今にも消え入りそうな声で呟いた。彼女の涙に驚いて顔を見ると、悲しそうに微笑んでいた。よほど複雑な想いだったのだろう。
無邪気で頑張り屋とはいえ、あかねは僕以上に一途な若い女性だ。もう彼女に誤解を与えることは慎まなければならない。彼女の純粋な気持ちを考えると、胸が締めつけられ、切なくなる。そっとあかねを抱き寄せ、心を込めて静かに言葉を漏らした。
「うん、そうだね」
一緒に絵馬を吊るした後、神社のしきたりに従い、ふたりで力を合わせて御神木の綱を引いた。どこからともなく、清々しい鈴の音色が響き渡る。この綱を引くと恋人と永遠に結ばれるという言い伝えがあるらしい。僕らは滞りなく儀式を終え、安堵の笑みを交わした。
僕は、南禅寺の水路閣ではなく、下鴨神社をあかねとの最初のデートの場に選んだことに満足していた。その思いに浸っていると、彼女から思いがけない言葉がかけられた。
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