第26話 交錯する想い


 翌日、目覚めたとき、詩織さんからのメールが届いていた。彼女は以前、嵐山の撮影スポットを案内してくれた女性であり、僕にとっては貴重な異性の友人である。


「悠斗くん、おはよう。起きているかな?」


 僕は写真家見習いとして、京都の四季折々の美しさや人々の生活を捉えることに情熱を傾けている。写真は、僕の感性や思いを伝える手段である。コンテストに応募した作品が入賞し、周囲からの注目を浴びるようになった。予期せぬ先生や生徒からの祝福の言葉に、心が温まる。


 受賞作品は、冬の終わりに嵐山で撮影した一枚だった。審査員は「風花が舞う朝焼けの中、川面に映る渡月橋が幻想的で美しい」と評価していた。その言葉を読み、感動で涙があふれた。


「朝焼けのうた」を撮影した日、偶然詩織さんと出会った。彼女は、いつも僕を「悠斗くん」と呼び、親しみを込めて接してくれた。写真を愛する彼女は、多くのアドバイスを与えてくれた。


「受賞おめでとう! やったね」


 入院していた際、彼女は何度も見舞いに来てくれ、支えてくれた。受賞のニュースをネットで知ったという。メールには、みたらし団子を楽しそうに食べる彼女の写真が添えられていた。


「詩織さん、ありがとう。おいしそうだね」


 お礼のメールを送ったところ、彼女からすぐに返信があった。しかし、その内容は予想外のものだった。


「今日は、さよならを伝えたかったの。新しい彼氏ができたの。悠斗くんに似ているから、きっと気に入るわ。今度、紹介するね」


 その文章を読んだ瞬間、詩織さんの笑顔、声、仕草を思い出し、胸が締め付けられるような感覚に苛まれた。彼女との関係は、単なる友情を超えた感情だったのかもしれない。恋人ではなかったが、彼女が他の男性と結ばれた今、得体の知れない寂しさに襲われた。


 しかし、嘆いてもすでに遅い。詩織さんはもう僕の手の届かないところへ行ってしまったのだ。そして、「会うは別れの始めであり、別れは出会いの縁」という言葉が頭をよぎった。僕は、彼女への複雑な想いを抑えながら、メールを返した。


「よかったなあ……。もちろん会わせてよ」


「うん、ありがとう。けど、いつまでも良い友達でいてね。そうそう、あかねとかいう彼女は元気なの? 退院したのなら、良いデートスポットを紹介してあげる」


 詩織さんのメールは、明るくて軽やかだった。あかねとは雰囲気が真逆なタイプだったけれど、女性は皆そんなものなのだろうか。突然、大切な人を失ったような気がして、少し寂しくなった。


「どんなデートスポットがいいのかな?」


 僕はつい甘えてしまいそうになった。


 詩織さんからメールがまた返されてきた。「それがね……。美味しい和菓子の有名なところなの。みたらし団子の発祥の地らしいよ」と、彼女は言葉を濁していた。詩織は僕にとって大切な人だ。僕が写真の新人賞を取れたのも彼女のおかげだったと口にしても過言ではないだろう。彼女が幸せになることを心から願っていた。


 お薦めのデートスポットとして「相生社あいおいのやしろ」という神社の写真と由来が届いた。そこは縁結びの神様を祀る神聖なところで、「連理の賢木れんりのさかき」という不思議なご神木があった。


 二本の木がひとつに結ばれ、子供の木が生えている。それは、縁結びや家庭円満にご利益があるという。写真の奥には「糺の森(ただすのもり)」という清々しい原生林が見えた。賀茂川と高野川に囲まれた森で、古代から多くの樹木が育っているそうだ。昔から文学や歌謡に詠まれ、人々に憩いを提供する史跡でもあった。


 写真や由来を見ていると、不思議なことに心を奪われてしまった。彼女が退院したら、この神社に連れて行きたくなっていた。僕とあかねは、そのご神木のようにひとつになれるだろうか。その森のように永遠に結ばれるだろうか。そんなことを考えながら、詩織にお礼のメールを送った。


 窓から聞こえる祇園囃子に耳を傾けた。コンチキチンというリズムは、京都の夏の風物詩だった。そういえば、もうすぐ祇園祭が始まるのだ。この地で生きる人々にとっては、一年で一番のお祭りだ。まだ始まっていないのに、きっと夏の暑さを吹き飛ばしてくれる、山鉾巡行や宵山に胸が高鳴るのだろう。京都の歴史や文化を感じられる祇園祭は、写真家の僕にとっても特別な被写体だった。


「あかね、祇園祭が近づいてきている」


 思いつくまま、彼女にメールを送った。ところが、意外な返事が戻ってきた。


「うち、祇園祭は好かん。見とうあらへん」


 あかねの言葉に、また新たな謎が生まれていた。いったい、彼女を覆う闇はどこまで深いものなのだろうか……。それ以上、祇園祭に関して尋ねても何も答えてくれなかった。僕はあかねのことをもっと知りたかった。


 祇園祭は、京都の人々にとって大切なお祭りだ。でも、あかねは祇園祭を嫌っている。彼女には、祇園祭に関する辛い思い出があるのだろうか。僕には見えないあかねの心の傷が、祇園祭の音や情景に触れるたびに、痛むのだろうか……。


 僕は、彼女の心の傷をそっと拭ってあげたかった。



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