第4話 偶然の出会い


 残念ながら、先ほどの初々しい舞妓さんは僕に気づいてくれず、微笑んでもくれなかった。縁結びの神さまは、僕の切なる願いを見捨てたのだ。


 京都の舞妓さんは、見ず知らずの僕に愛想を振りまくことはなかった。ここでも一見さんの僕は相手にされなかった。


 彼女たちが手で口を押さえてにこやかに微笑むのは、宴席に華を添える仕事場だけなのかもしれない。もちろん、そんなことは重々承知していたのだが……。僕は虚ろな思いに苛まれていた。

 

「ただ、ほんの少しだけ、気まぐれな神さまが微笑んでくれなかっただけだ……」と悔し紛れに心の中で呟き、助けを求めるように空を見上げた。すると、目の前に心を慰めるかのような景色が広がってきた。突然、綿毛のような風花が舞い降り、艶やかな色が似合う花街を真っ白に染め、純粋無垢な景色へと変えていった。


 おかげで、僕はもう一度元気を取り戻し、重いカメラバッグを担いで、古都の魅力を探し求めて花街を歩いた。もうひとつ路地を曲がると、変わらぬ日本の美しさが目に飛び込んできた。


「うなぎのねどこ」と呼ばれるように、路地の道幅は狭い。その分、奥行きのある数寄屋造りの和食料理屋が立ち並び、軒下にはふぐ提灯が暖かい光を灯している。その風情に心を奪われた。


 店先に続く石畳の道には、大きな赤い蛇の目傘を差した芸妓さんや舞妓さんが次々に姿を見せる。


 芸妓さんはからみ透かしの花鳥風月を織り込んだ華やかな着物で身を飾り、路地の淡雪に色とりどりの影を落としている。一方で、舞妓さんは両肩と胸に煌びやかな柄を描く裾が長い着物で若々しさを見せつけている。彼女たちが楽しそうにやり取りをする姿は、踊りの稽古の帰りだろうか……。


 カメラで一瞬その風情を切り取ろうとしたが、そのしっとりと艶やかな美しさは見習いレベルのカメラマンの僕には手に負えなかった。もちろん、勝手に写真に収めることなど許されるわけもなく、僕はただその場に魅せられて呆然と立ち尽くした。


 ところが、そのとき、花街に宿る神さまが導いてくれたかのように、奇跡的に救いの手が差し伸べられた。それは刹那の間ながら、僕の心を明るくした。


 さくら柄のかんざしを挿した先ほどの若々しい舞妓さんが、僕の寂しげな姿に気づいてくれたのだ。ひとり足を止めてこちらを振り返ってくれた。そして、驚いたように目を丸くして呟いた。その瞳は六角形の雪華を咲かせるように澄んでいて、その言葉と共に僕の心に突き刺さった。


「どないなさったん? うちになんかご用? もしかして、さっきの人?」


 彼女は言い終わると、照れくさそうに微笑んで頭を下げた。やはり自分のことながら、まさに一旦思い込むと、どこまでも呑気で呆れるばかりだった。けれど、そんな戯け話より気になったことがある。彼女との再会は偶然なのだろうか。それとも、神さまがお詫びに幸運を授けてくれたのだろうか……。


 舞妓さんの恥じらうような仕草は、見ている僕まで心地よい気持ちにさせた。まるで僕の顔も赤らめてしまうかのようだ。彼女の笑顔は、ゆっくりと薄紅色に染まる桜の花びらのようで、僕の心をどこまでも揺さぶった。


「勝手に写真を撮って、ごめんなさい」


 彼女の言葉が誘い水となり、僕はやっと詫びることができた。


「うぅ~ん、いけずな人やなあ……。うそ、うそやん」


 彼女は微笑みながら、可愛らしい京都弁を口にした。


「いけず」という言葉は、僕が京都に来てから覚えたものだ。それはちょっとした悪ふざけをした時によく使われ、意地悪という意味らしい。なんとなく、余韻も可愛くて好きな言葉になり、忘れられなかった。


「うん、ええんちゃう。許したるさかい気にせんといて。あんさんなら、もっとぎょうさん撮ってくれたら嬉しかったのに……」


 舞妓さんの可愛らしい京都弁がまた耳に届いた瞬間、身も心も骨抜きにされ、彼女の魅力のとりこになった。その声に引き寄せられるように、僕は彼女の真っ直ぐな瞳に見つめられた。


 ところが、先ほどの誤った撮影行為が忘れられず、自分自身を責めていた。いやが上にも、しっかりと謝らなくてはいけない。悪いのは、舞妓姿を勝手に撮った僕の方だったからだ。


 いや、これをきっかけにもっと親しくなりたいと、別なことを考えていたのかもしれない。せっかく縁結びの神さまが授けてくれたこの機会を逃したくはなかった。こんな風に一目惚れしたのは、初めてだった。


「いやあ……恥ずかしい。ごめんなさい」


 いつにないほど素直な気持ちとなり、心から何度となく謝った。しかし、彼女はひと言も怒らなかった。逆に、写真に興味を惹かれたようで、色々と尋ねてきた。


「うちも写真えらい好きや。あんたはプロのカメラマンなん?」


「ああ、まだ見習いだけどね」


 照れくさそうに呟いた。

 

「なら、うちとおんなじや」


 舞妓さんも気まずそうに言った。その言葉を耳にして、ようやくほっと胸を撫で下ろした。なんと彼女はまだ高校生だった。自宅近くの置き屋で舞妓の修行をしているという。興味深そうに僕のカメラを覗き込んで、言葉を続けた。


「どないな写真を撮ってるの?」


 好奇心にあふれた眼差しでさらに尋ねてきた。すぐに頷いて、カメラの液晶画面をそっと彼女に見せた。


「こっちが幻の鉄道線路と言われる『蹴上インクライン』だ。行ったことあるかな。そっちは先斗町の夜景だよ。どちらも石畳に雪あかりが反射して、幻想的で美しい光を放っているでしょう」


「蹴上なんて知らんけど、すごおすなぁ。えらいきれいや。うちもきいひんな写真撮れたらええなあ」


 彼女は目を輝かせて感嘆の声を上げた。僕は嬉しくなり、笑顔を返した。


「ありがとう。でも、あなたの方がもっときれいだよ。この写真も見てごらん」


 僕は自分でも思いがけない粋な言葉を口にし、液晶画面に残る舞妓姿の画像を自慢げに見せた。もう美しい景色など目に入らず、見えるのは彼女の姿だけだった。


「やっぱし、暗い顔で不細工や。せっかく撮ってくれたのに……」


 しかし、彼女から思いがけない返事が戻されてきた。


 わずかに白塗りが残るうなじを傾げ、残念そうに悔しがる姿が、若々しくとても自然で愛おしかった。心密かに彼女の瞳を見つめていると、僕のたわむれに気づいたのか、彼女は顔を赤く染め、目を逸らした。その仕草がまた愛らしくて、心がときめいた。写真が現像できたら、プレゼントしてあげたかった。


 そんな彼女との短いやり取りを縁結びの神さまが聞いていたのか、ふたりの距離を少しずつ近づけてくれたのかもしれない。


 自分の名前を野々村あかねと教えてくれた彼女に誘われて、さっそく神崎悠斗と名乗った。その瞬間、あかねとの間に特別な絆が生まれたような感覚に包まれた。



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2024年11月30日 15:00
2024年11月30日 15:00

純愛の本棚 〜京都花街の恋物語〜 神崎 小太郎 @yoshi1449

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