ep.4 三人目 黒瀬瑛子 前編
昭和のいつか。どこかにある高校。季節は春の終わり。
「おい見ろよ。今日も飯田奈美のボインは揺れてる。最高!」
「さよか」
昼休憩の時間。酒巻と俺は教室の窓から中庭を眺めてる最中だ。
悪友である酒巻はサッカー部所属。甘いルックスなので女子のファンが多い。
その酒巻が胸の前で飯田奈美のおっぱいを手で再現してる。
酒巻の中身はただのエロ小僧である。
次から次へと校内のお気に入り女子を見つけては、俺に教えるのが日課だ。
俺も思春期真っ只中の男子高校生、当然そういうことに興味あるが、酒巻ほどストレートになれない。
「この前飯田の妹と何を話してたんだ?」
「あーあれか。何でもない」
「何でもないのに呼び出したりしないだろ。告白でもされたんじゃないの?」
この前と逆のこと言ってきたぞ。
「そんなわけないだろう。あのな、男女が一緒にいるとすぐそれだ。お前らはそれしか考えられないのか」
「それ以外あるのか?」
「あるわ。お勧めのレコードや本の貸し借りをしたりするだろ」
「そんなのはないな」
ふむ。酒巻は女子とのそういう付き合いはないのか。俺は小学生のうちは男子より女子とつるんでた。あやとりしたり、絵を見せ合ったり、マンガの貸し借りしたり。
それをやっかむ一部男子からは散々揶揄われた。俺もガキだったが『女子と遊びたけりゃ素直にそうすりゃいいのにガキめ』と内心憤慨していた。
理由は簡単。女子の方が面白いからだ。彼女らは少年マンガも読むし、読書量も明らかに男子より多い。俺にとってはサッカーするより、ずっとずっと楽しかったんだ。
だが中学に入ってからはごく一部の女子とだけ会話しなくなった。何カッコつけてたんだろうね。
高校に入ってからはクラスの女子とレコードや本の貸し借りをするようになった。芸能雑誌の付録ポスターをもらうこともある。
「おっ佐藤優子じゃん。相変わらず可愛い」
「そうでっか」
中身は何百年も生きてるおばあちゃ……おねえさまだぞ。
そりゃルックスはまぁ好みではあるが、いくら俺が年上好きでも限度がある。
単なる献血要員だよ、俺は。
あ、こっち見た。またも笑顔で小さく手を振る。
「見たか? 俺に手を振った!」
「さすがサッカー部はモテるなー。羨ましいー。酒巻かっこいいー」
酒巻も嬉しそうに手を振り返す。勘違いしてくれてよかった。
それにしても佐藤優子よ、それやめてくれ、ほんと。この前も見咎められたし。
「お !一年の黒瀬瑛子。話題の転校生!」
「どこで話題になってるんだ」
「知らないのか? サッカー部でも『すごく可愛い転校生が来た』って大騒ぎになったんだぞ」
「へぇ」
見ると細身で背が高い女子が歩いてる。酒巻の言う通り整った顔立ち。
立ち止まりこっちを見上げた。黒瀬瑛子と目が合う。んん?……僅かな既視感。どこかで会ったか?
「あの子、どこからの転入だ?」
「ほほう、◯◯も黒瀬瑛子にやられたか?この浮気者め。修徳高校だよ」
「そうか」
隣の市にある高校か。昨年は真面目にやってた県の陸上大会でも修得高校へは行ったことないし、そもそもその時点で彼女は中学生だから出会うこともない。
既視感は気のせいなのか?
「飯田の妹を泣かすなよ。俺、中学の時に目をつけてたんだから」
「しつこいな、またそれか。いいか? 飯田の妹とは無関係。妄想もほどほどにしとけ」
ちなみにこの酒巻、彼女がいたことはない。俺もだが。
あの夜ろくろ首みたいに伸びる腕に拘束された記憶が蘇る。俺たちとは違う生き物。地球にいる生物は全て共通の祖先から枝分かれしてきたそうだが、その途中でヒトとは別の進化を遂げた“もうひとつの人類”。
子どもの頃見た特撮テレビ番組で先住人類を現世人類が海の底へ追いやったというエピソードを思い出す。
そんなのとは違うんだろうが、飯田達は俺たち人類をどう見てるのだろう。
「おいおい、もの思いに浸っちゃってどうした?黒瀬瑛子に一目惚れどころかメロメロかぁ?」
「違うわ」
五時限目の予鈴がなる。
「◯◯は気が多いなぁ」
「アホ抜かせ、そりゃお前だろ」
酒巻は手をひらひらさせつつ席へ戻る。
隣に座る飯田奈美。
「飯田、英語の予習してきた?」
「う、うん」
「悪い。ちょっとノート見せて」
「いいよ」
あの夜から二週間。何事もなかったようなやり取り。俺の特技。女子に告白してフラれた翌日、その女子へ笑顔で挨拶する男、それが俺だ!
速読で飯田のノートを頭に入れる。見慣れた字。
「サンキュ。助かった」
「う、うん」
未だに飯田は少しギクシャクしてる。そりゃあ、な。
だからこそ俺は平常運行をしておく。
五時限目が終わった後、別クラスの奴が『今日だけは陸上部に顔出せ。大事なことがあるってよ』と顧問からの伝言を伝えてきた。仕方ない。
席に戻ると飯田が話しかけてくる。
「◯◯君、ずっと部活出てないよね?」
「よく知ってるなと言うべきか?」
大ヒットしたテレビアニメ、主人公のライバルキャラのセリフで返す。
「あ……うん、たまにグランド走る時、◯◯君見かけないから」
飯田は女子バスケットボール部だ、中学の時から。
「体力作りと言う目標は達成したから、あとはもういいのだよ、飯田くん」
これまたアニメキャラのセリフで茶化す。
「それにそろそろバンド再開するから部活に出る時間はない」
「え? あのバンド?」
「そうそう。夏休みから本格的に、な。内申書のことがあるから陸上部に籍は置いとくけど」
「み、観にいこうかな」
「そりゃやめとこう。ヘヴィメタルは女子向けではない」
「え? そ、そう?」
昨年、文化祭のステージに出演しようと組んだバンド。それこそ必死で練習した。
しかし担当顧問がどうしても見つからず、俺たちは諦めた。今年は必ずステージに立つぞ!
世間ではニューミュージックと呼ばれる“若者向けにアレンジした演歌”が主流。
女子ウケが非常に悪いのは知ってる。けど俺たちはヘヴィメタル、これしかないんだ。
放課後になり、陸上部の部室へ向かうと俺以外は全員揃ってた。黒瀬瑛子?
顧問が紹介する。
「新人部員の黒瀬瑛子さんだ」
ほぉ。噂の転校生は陸上部へ入るのか。酒巻あたりが歓喜しそうだな、部室は隣だし。
「一年生、黒瀬瑛子です。よろしくお願いします」
小さめ、けど遠くまで聞こえそうな高い声。また目が合う。
なんだろう、見つめてきてる。彼女は目が悪いのかね?
その後顧問に促され、俺たちも自己紹介をそれぞれ済ませ、解散となった。ほいほい帰宅帰宅。
「◯◯君、帰るの?」
同じ陸上部二年の加藤弥生が追いかけてきた。俺は心の中で『コアラ』と呼んでる。そういう愛らしさ。
「そうだよ。俺もう幽霊部員だから」
「自分で言うかなぁ」
「今はまだ五月だからちょっとしかやってないけど、夏休みからバンド練習が忙しくなるし」
「あ、今年は出るんだ。あのうるさい音楽」
「うるさい言うな」
「前貸してくれたレコード、全部ワーワー言ってたもん。あんなの聴いてたら難聴になるよ?」
「ならないよ加藤。じゃあな頑張れよ」
「黒瀬さん、◯◯君と同じハードルだって」
「ほう。女子には誰もいなかったもんな」
我が陸上部は弱小もいいとこだ。部員は俺を入れて六人。花形選手もいない。
校門を出る前、視線を感じて見やると黒瀬瑛子がいた。
グランドの端にある防護ネット越しに俺を見ている。すぐに踵を返して去っていったが。
女に不慣れすぎるやつはこういったことがあると『あの子は俺に気がある』と勘違いして、周りには同情されるが、俺は違うし、そんなこと気にしている場合じゃないっての。
先月まで俺は普通に暮らしていた。この世はSF小説やマンガやアニメ、映画と違って、そうそうとんでもないことは起きない、当たり前だ。
それがある日を境にひっくり返った。
隣のクラスには何百年も生きてる吸血鬼がいて俺の血を飲んでるし、現行人類とは別系統の人類がクラスメイトで予習ノートを見せてくれる。
世の中どうなってるんだよ。
ああ彼女が欲しい。
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