21.あなたを信じてるわ
「ジャン、陽動なさい!!」
「わかった!」
アリシアが大剣を構えると同時に、ジャンはロイヤルサラマンダーの前を横切る。
狙いをアリシアにつけていたサラマンダーは、標的をジャンに切り替えた。
キシャアアアアッという雄叫びと共に、サラマンダーの口から火の玉が飛び出す。
ジャンはそれを避けると同時に短剣を大きく振りかざし、さらにサラマンダーの気を引いた、その時。
アリシアはサラマンダーの首に狙いをつけ、その剣を振り下ろす。
ギシャアアアアッ!!
サラマンダーは最後の雄叫びを上げ、首と胴が分かれると同時に黒い藻屑と化した。普通は消えてなくなったりしないので、この部屋にだけなんからの秘術とやらが施されているのかもしれない。
ジャンはその形を成さなくなったサラマンダーを見て、哀れみの目を向ける。
「一瞬だな……」
「手負いの獣は怖いもの。一撃でかたをつけなきゃね!」
「このクラスの魔物は、普通は一撃でけりはつかないんだけどな……」
「ふふんっ」
自慢の胸を張るアリシアに、ジャンは「頼もしいよ、まったく」と半ばあきれたように……それでいてどこか嬉しそうに言葉を吐いた。
「けど、予想はしてたとはいえ……ショックだな。これだけ苦労して探し当てたスイッチがトラップだったとなると、これからは迂闊に押せなくなる」
「確かに、毒ガスだったらと考えるとゾッとするわね……」
「手詰まりだな……けど、このまま諦めるわけにはいかない」
「そうね。じゃあ宝箱を開けてみましょうよ」
「な、なんでそうなる?」
慌てたジャンの表情が珍しく、アリシアは声を上げて笑った。
「あっはははは! あなたのそんな顔、初めて見たわぁ!」
「筆頭の思考回路がぶっ飛んでることはわかってたけど……今、めちゃくちゃルーシエの気持ちが理解できた気がする」
「あら、胃薬を飲んだ方がいいわね」
「あったら飲みたいよ……なんでこの状況で、明らかに不自然なあの宝箱を開けようとするんだ」
「手詰まりなんでしょ? 他にやれることがないじゃない」
正直、アリシアにはスイッチを見つけ出せる気がしなかった。できることと言えば、宝箱を開けるくらいだったのである。
アリシアの提案に、しばらく口元に手を置いて考えていたジャンだったが、やがて提案を受け入れて首肯してくれた。
「まぁ、死ぬ前には宝箱の中身くらい確認しておきたいな」
「いやぁね、死なないわよ」
「その自信はどこからくるのか……羨ましいよ」
そう言いながらジャンは、宝箱に近づいていく。アリシアも彼を追うように向かい、宝箱をじっと見つめた。
「どう? なにか仕掛けありそう?」
「ロクロウならわかるんだろうけど……俺にはさっぱり見当もつかない」
「私が開けるわ」
「いや、俺が開けるよ。筆頭は下がってて」
アリシアは言われた通り数歩下がる。しかしまた魔物が出てきた時のために、剣を抜いて構えた。
「行くよ、筆頭」
「いいわよ」
ジャンが宝箱に手を掛ける。二人に緊張が走り、アリシアはグリップを強く握った。
ギイイィ………
宝箱が古めかしい音を立てて開く。なにか仕掛けが作動する音が聞こえるかと耳を澄ましていたが、なんの音もしなかった。
「……筆頭」
「大丈夫そう?」
「紙が数枚入ってるだけだ」
そう言われてアリシアは数歩進めて宝箱を覗き込む。確かに大仰な宝箱からは、ノートの切れ端が数枚入っているだけだった。
ジャンはそれを手に取り、目を走らせている。
「なんて書いてあるの?」
「『この部屋を抜け出せない者へ』……脱出方法が書いてある」
「本当!?」
「これ、ロクロウの字だ」
ロクロウという言葉を耳にし、アリシアはジャンと頬を合わせるほどに接近した。そして彼とともにその紙を覗き込む。小さく綺麗にまとめられた字は、かつて何度も見たことがある、雷神のものだった。
「本当だわ……ロクロウの字よ!」
興奮するアリシアをよそに、ジャンは冷静にその紙を読み上げ始める。
「『石碑の置いてある方角が北。北の壁、右から二十三番目の光苔の塗料がある列、下から三〇センチのところに一つ目のスイッチ。次に西側の壁、向かって左側から八番目の塗料がある列、下から一メートル五三センチのところに二つ目のスイッチ。東側の壁向かって左側から三番目の塗料がない列、下から二メートルのところに三つ目のスイッチ。最後に南側の壁の向かって右から十七番目の塗料がない列、下から一二センチのところに最後のスイッチ。これを順番に押すこと』」
「まぁ! それで出られるのね!」
「『ただし』」
ジャンは次の紙をめくる。
「『スイッチを押してから次のスイッチを押すまで、二十秒以内に押さなければやり直しとなる。全部のスイッチを時間内に押すと、石版の前に白い魔法陣が現れるが、十秒で消えるので注意』」
そこまで読み終えたジャンは、その脱出条件を見て唸っている。ジャンの視線は南壁から石版までの距離を測るように走らせていた。そしてその意味がわかったアリシアも、少し顔を歪める。
「脱出方法はわかったけど、これは厳しいよ」
「南壁から石版の前まで、百メートル近くあるわね……これを十秒以内では、私には無理だわ。ジャンはどう?」
「体調が万全の時でも、正直キツイな……でもこれしかないなら、やるしかない」
そう言いながら、ジャンはもう一枚の紙に目を通している。
「そっちの紙には、なんて?」
「近辺にダミーのスイッチがいくつかあるから気をつけろって注意書きと、ダミーと断定する根拠が書かれてる。この遺跡にあったスイッチのパターンと、全体の位置関係から導き出したみたいだけど、俺にはその根拠が理解できない」
「ロクロウがダミーと言うならダミーよ」
「まぁね。でも最後に投げ出すように書いてるよ。『魔法陣に乗った先がトラップでも、責任持たない』ってさ。えらく親切だと思ったら、最後の最後でロクロウらしいな」
ジャンが苦笑いを見せながら紙をアリシアに渡してくれた。ジャンが言った通り、最後の言葉は『責任持たない』であった。それを見たアリシアは、むしろ納得する。
「逆ね。これは信用させるために、わざとこう書いてるのよ」
「わざと?」
「ええ。私達はロクロウの存在を知っているから、全面的に信用できるけど……まったく知らない人物が脱出方法を書いてても、信用しないわ。親切過ぎて逆に怪しく思う。そうでしょう?」
「まぁ、確かに」
「だから最後にあえてこう書いて、この脱出方法に真実味を与えることにしたのよ。本当はロクロウは、この方法が完璧なものであると確信を得ていたはずだわ」
アリシアが自信満々にそういうと、ジャンはなぜか少し不満げに立ち上がった。
「とにかく、この四つのスイッチを確認しよう。疑ってるわけじゃないけど」
「どうしたの、ジャン」
「別に」
ジャンは北の壁に移動し、紙に書かれた場所のスイッチを確認する。
「……これか。わかりづらいな」
そう言ってジャンは、そのスイッチの真下の床に、目印代わりに干し肉を千切って置いた。同じように西、東、南の壁のスイッチも探し出し、目印を置いていく。
「よし、とにかくやってみよう。筆頭は北と東の壁を担当して。俺は西と南だ。一人で全部をやるより、二十秒分のインターバルができる。一つ目を押したら、すぐに東のスイッチのところへ。俺が西のスイッチを押したら言うから、それからなるべく二十秒ギリギリでスイッチを押して」
「わかったわ」
「東のスイッチを押し終わったら、筆頭は石碑の前で待機。魔法陣が現れたらすぐに乗ること」
「あなたはどうするの?」
「俺も南のスイッチを押したらすぐに飛び乗る」
「……」
アリシアは再度南壁から石碑までの距離を目で測る。たったの十秒。乗り遅れれば、ジャンを置いてけぼりにしてしまうのだ。
「……やれるのね?」
「やるよ。やるしかないんじゃ仕方ない」
「ジャン、あなたを信じてるわ。一緒に帰るわよ」
「……うん」
アリシアは髪を留めてあったピンを外し、北の壁のスイッチを確認する。そしてジャンが西の壁際で短剣を抜いたのを確認して、声を上げた。
「押すわよ! 準備はいい!?」
「いつでも!」
ジャンの了承の声が聞こえて、アリシアはピンでスイッチを押した。
「押したわ!」
「に、さん、し、ご……」
ジャンがカウントを取る。アリシアは押すと同時に東の壁へと急ぎ、目印となる干し肉の前まで来た。
しかし下から二メートルの位置というのは見えにくい。光苔の塗料が塗られていない場所では尚更だ。
「じゅうはち、じゅうく……押した!」
ジャンが二番目のスイッチを押すと同時に南に走り出す。アリシアはまだ、スイッチの場所を探し出せないでいる。
「もう、どこだったかしら……周りが光って見えづらいわ……っ」
「南準備オーケー、押していい!」
「待って! 見当たらないのよ! あ、あったわ!!」
何とか二十秒以内に押せたと思った瞬間、アリシアのすぐに後ろでブウゥゥンと音がした。振り向くとそこには、赤い魔法陣。
「筆頭、離れて!! ダミーを押したんだ! なにか出てくる!」
「出てくると同時に倒すわ!!」
アリシアは即座に剣を抜き、赤い魔法陣に向かう。そしてなにかが出てきた瞬間に剣を振り落ろすと、それを死滅させた。その死骸を見て、アリシアはフンと鼻を鳴らす。
「またサラマンダーね」
「有言実行もいいところだよ。敵の確認もせず倒すなんて、普通じゃありえない」
「先手必勝よ。攻撃は最大の防御ってね」
「とりあえず、スイッチの確認をし直そう」
二人はアリシアがダミーを押してしまった東の壁を、再度確認する。するとそこには、正解のスイッチのすぐ下に、ダミーのスイッチが作られていた。しかもそちらの方がわかりやすく。
「こっちじゃない。高さ二メートルの指示にあるのは、こっちだ」
「ごめんなさい、次は気をつけるわ」
「もう一度やってみよう」
そう言ってまた、配置に着く。先程と同じようにアリシアがスタートのスイッチを押し、二十秒後にジャンが二番目のスイッチを押した。今度はアリシアも三番目のスイッチを順調に押す。
「押したわ!!」
「に、さん、し……筆頭、石碑の前へ! ろく、しち……」
アリシアは石碑の前へと移動した。そしてジャンがいる南の壁を見る。
「いいわよ!」
「じゅうご、じゅうろく……!」
そこでジャンのカウントは途切れた。と同時に全速力でこちらに向かってくる。
白い魔法陣はアリシアのすぐ後ろで起動していた。
「乗れ、筆頭!」
「しゃべってる暇があったら早く来なさい!!」
アリシアはジャンに向かって手を伸ばす。と同時に魔法陣から一歩離れて、己の持つ大剣を逆の手で抜いた。
「ジャン! 手を!!」
「アリシア!!」
手と手が繋がれた瞬間、アリシアは大剣を魔法陣の上に乗せる。
白い魔法陣は光を失いそうになったその瞬間、最後の輝きとばかりに光をほとばしらせた。
アリシアの長い髪が、突風にあったかのように吹き上げられて目を瞑る。
この手だけは絶対に離すまいと、アリシアはぎゅっと力を込めた。
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