22.膝枕でもしてあげましょうか

 吹き荒れていた風が止み、アリシアはそっと目を開けた。場所の確認をする前に、まずは繋いだ手の先を見る。へたんと座り込んでいるアリシアの目の前で、ジャンが顔を歪めて倒れていた。


「……う」

「ジャン! 大丈夫!?」

「ああ、ここは……」


 そう言ってジャンは上体を起こして辺りを見回した。ジャンの無事を確認したアリシアも、同じく景色を見る。周りは暗く、足元は土と草だ。少し離れたところに、繋がれた二頭の馬が見えた。あれは、アリシアとジャンの馬だ。


「遺跡の外だな……出てこられたのか」

「よかった……」

「剣を魔法陣の上に置いてワープできるなんて、よく知ってたね」

「なんとなく、繋がってるものは大丈夫なんじゃないかと思っただけよ。私も初めて知ったわ。というか、魔法陣に乗ったのだって初めてよ」

「まったく、あなたって人は……」


 そう言ってジャンはこの青年らしく微笑んだ。妖しくも優しい瞳で。


「とにかく無事でよかったわ。コムリコッツの遺跡で誰にも知られずに死ぬなんて、まっぴらごめんだもの」

「同感だな。脱出方法を書いてくれてたロクロウに感謝だ」

「本当ね! ロクロウは、一人で走り回ってあのスイッチを押して脱出したのよね。さすがだわ!」

「もはや神の領域だな……」

「ああ……メモリークリスタルを持ってくればよかったわね……そしたら、毎日ロクロウの顔を見られたのに」

「あれは動かせないようになってるから無理。もう一度見たいからって、また行かないでよ」

「やぁね、もう行かないわよ」

「ふぅ……なんかどっと疲れたな」


 ジャンはその場にゴロリと転がる。真冬の土の上は、凍てつくほどに冷たい。


「こんなところで寝るの?」

「あの部屋に戻る気?」

「ここで寝るよりマシだわ」

「神経図太過ぎるよ、筆頭……五分でいいから、ここで眠らせて」


 全身の力が抜けきっているジャンを見て、アリシアは眉を下げる。もしかしたら彼は、帰れないことを覚悟していたのかもしれない。


(私だけでも助け出せればいいと、そう思っていたのかしら……)


 そんな風に考えていそうなジャンの髪に、アリシアはそっと触れた。


「……膝枕でもしてあげましょうか、ジャン」


 その言葉に、ジャンは硬く閉じていた目を薄く開けた。しかしすぐにその目は瞑られる。


「いい……他の男のことを考えて目がハートになってる筆頭に膝枕されても、虚しいだけだから……」


 そう言われて、ジャンの髪に触れていた手を、自身の膝の上に戻した。ジャンは向きを変え、アリシアに背を向けるように転がり、そしてこう呟いている。


「また負け戦だ……途中まではいけそうだったのに……くそ……」


 盛大についた彼の溜め息を、アリシアが指摘することはなかった。

 本当に久々に見た雷神の顔、声。雷神はなぜか非道の男として自身を蔑み嘲笑っていたが、ここでは彼の温かさが感じられた。アリシアに対するものだけではない。見も知らぬ者に宛てた、脱出方法を書いた紙。

 きっと本人に直接「優しいわね」なんて伝えようものなら、雷神は否定するに違いない。「神聖な場所で死なれたくないだけだ」とかなんとか言い訳をして。


(ありがとう、ロクロウ……あなたは自分で気付いていないだけで、本当はすごく優しいんだから。お陰でジャンも私も、助かったわ……)


 アリシアは空を仰ぎ見た。時刻はもう朝の四時を回っていたが、空はまだまだ暗い。キラリと瞬いた星のひとつに雷神を見た気がして、アリシアはそっと微笑んでいた。


「ふぅ……ちょっと、休めたかな」

「もう大丈夫なの?」

「うん、短時間で休むのは慣れてるから」


 そう言ってジャンは上体を起こす。そしてゆっくりと立ち上がった。


「さて、どうする筆頭。コムリコッツのベッドルームで寝てく?」

「いえ、もう帰りましょう。今から三時間、馬に揺られる元気がジャンにあるならだけど」

「帰るよ。コムリコッツのベッドルームより、硬くて狭くて冷たい宿舎のベッドの方がマシだ」


 ジャンの言葉にアリシアは苦笑いした。トラウマになってそうな彼に比べ、もう一度あのスベスベしたベッドに寝てみたいと思っている自分がいて。

 しかし、ここはジャンの気持ちが優先である。アリシアも立ち上がって、二人は馬に跨り王都に戻った。


 王都ラルシアルに着いた時、さすがのアリシアもくたくたに疲れていて、馬を厩舎に戻すとペタンと座り込む。


「大丈夫、筆頭」

「今日は一日中寝てたいわ。戻りましょう」

「それがいいね。明日から仕事だし」

「あと一日休みがあれば……もう一度遺跡に行けたのに」

「ほんっと懲りないな、筆頭は……」


 かなり危ないところではあったが、結局は助かったのだ。雷神の軌跡も発見したし、アリシアの頭の中ではすでにいい思い出として変換されている。


「ほら、立てないなら手を貸す」

「あら、ありがとう」


 アリシアはジャンの手を取り、立ち上がった。そしてそのまま歩き始めた二人だったが、町中に来たところで、スッとジャンに手を離される。どうしたのだろうとふと前を見ると、一人の青年がこちらに気付き、気さくに手を上げていた。アリシアはそれが誰だかわからず、首を捻らせる。


「誰? ジャンの知り合い?」


 その言葉にジャンからの応答はなかった。ただいつも通りの気だるそうなジャンが、そこにはいた。


「やあ、久しぶり」

「ああ……」


 青年は親しげに近づいてきて、ジャンは幾分面倒そうにそれに答えている。アリシアはその青年の顔を見て驚いた。ジャンにそっくりだったのだ。ただし雰囲気は全然違うので、間違えることはない。ジャンを夜の闇と表現するなら、その青年は雲ひとつない青空だ。


「あなたが筆頭大将であるアリシア様ですね。初めまして、ジョルジュと言います。兄がいつもお世話になっています」


 ジョルジュという青年は手を差し出し、求められるままアリシアは彼と握手を交わす。


「……兄?」


 不可解な単語を聞き、アリシアは言葉を詰まらせた。ジャンからはこれまで、一度として弟という存在を仄めかしたことはない。アリシアは当時孤児院に足繁く通っていたが、ジョルジュという少年がいた覚えはなかった。しかし顔を見る限り、彼はジャンと血の繋がりのある兄弟であることがわかる。


「兄貴、手紙は読んでくれたかな」

「ああ、結婚だろ。よかったな」

「よかったなじゃなくて、出席してくれないの?」

「……」


 ジョルジュの問いに、ジャンは答えなかった。そんなジャンに、ジョルジュは憐憫の目を向けている。


「父さんも母さんも、ずっと悔いてるんだ。こんな時くらい、顔を見せてあげたら……」

「悪いけど、仕事だから多分行けない」

「……そっか」


 ジョルジュは寂しげに笑って、アリシアに頭を下げる。


「それでは僕は仕事の時間なので失礼します」


 愛想よくそう言われると、顔がジャンと同じだけに違和感だ。今までアリシアは、愛想のいいジャンというものを想像できなかったが、こうして見ると中々好青年でいい。

 ジョルジュが去っていくと、ジャンは再び王宮に向かって歩き始めた。アリシアもそれに続き、斜め後ろから彼の表情を伺う。


「弟が、いたのね」

「……ああ」

「なんの仕事をしている人なの?」

「ジョルジーニョっていうブランド知ってるだろ。アンナも着てたからな」

「ええ、子ども向けのブランドよね。デザインもいいし、縫製が丁寧で好きなのよね」

「そのブランドを作ったのが、ジョルジュだよ」

「まぁ、そうなのね! すごいじゃない!」

「そう、だな」


 そういうジャンの表情は見えなかった。アリシアは聞いていいものかどうか迷ったが、疑問に思ったことは口に出さずにはいられない人間である。


「ジャンのご両親は、なにをしている人なの?」


 しかしその問いに関するジャンの答えは、素っ気ないものだった。


「知らない。興味ない」


 それはむしろ、いつものジャンの答えである。しかし弟のことはわかっていながら、両親の職業を知らないというのはおかしな話だ。


「ジャン、どうしてご両親が健在であることを黙ってたの?」

「別に……聞かれなかったし」

「じゃあ教えてちょうだい。どうしてあなたには家族がいながら、孤児院で育つことになったのか」

「……筆頭には言いたくない」


 一瞬首だけで振り返ったその顔は、苦痛で歪んでいた。しかしジャンはすぐに顔を前に戻し、何事もなかったかのようにスタスタと歩いていく。


「……ごめんなさい、でも一つだけ。ジャンはロクロウにはそのことを話した?」

「ロクロウは、人の過去を探るような真似はしないよ」


 ジャンが過去を話せるなら、その相手は雷神しかいないと思っていたが、違ったようだ。ならばジャンは、誰にもその過去を語ったことがないのだろうか。

 雷神も、過去に何事かを背負った男だった。アリシアはそれを聞き出すことはせずに彼を癒したわけだが、もしも聞き出せていたならば。悲しみを共有することでアリシアが両親の死から立ち直れたように、雷神もまた、過去を気にして自分を卑下しなったかもしれないと思う。

 ジャンの過去を知りたい、という思いは、ただの好奇心ではなかった。しかし、無理やり聞くのはやはり傷を深めてしまいそうな気がして、なにも言えずにアリシアは王宮に向かった。

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