14.確かに、不思議な子ね

 アンナが十五歳になりオルト軍学校に入ると、アリシアは王宮に一室をもらい受けることにした。

 本来なら将になった時に一室が与えられるのだが、雷神と過ごしたかったアリシアは家に帰ることを選び、彼が出て行った後はアンナと過ごすために家に帰っていた。しかしそれも、アンナが軍学校に入り隊舎暮らしをするようになってはあまり意味をなさない。

 仕事は以前よりずっと忙しくなっていて、家に帰る時間さえも惜しくなっていた。そんな事情もあって、アリシアは王宮に住まうことに決めたのである。


「ああ、いいな。王宮に筆頭の部屋があるっていうのは。わざわざ行く手間が省ける」

「ちょっとジャン、あなた当然のように居着かないでくれる?」

「だめかな」

「だめ、というほどでもないけど……」


 アリシアの仕事が終わるとジャンは部屋を訪ねてきて、ミルクティーを飲んで帰っていく。ジャンが諜報活動に出ていない時の日常となっていた。


「ジャンは宿舎暮らしだったわね」

「ああ。トイレはあれだけの人数がいるのに共同で一箇所しかない。風呂も共同、しかも離れにあって面倒臭い。夏は暑くて冬は凍えるほど寒い。もちろん暖炉なんてないし、俺の部屋の日当たりは最悪。部屋は狭すぎ、壁も薄くて女も呼べない」

「あら、じゃあいつもどこで女の子としているの?」

「相手の部屋かホテルで……って、なに言わすんだ……」


 さらりと素直に答えるジャンがおかしくて、アリシアは笑った。


「私は宿舎に住んだことがないからわからないけど、不便そうね。どこかに家を借りたら? あなたのお給金なら、それなりのところを借りられるでしょう」

「月の半分は仕事で帰らないからな……いいところを借りても住まわなきゃ、意味がない」

「まぁ、そうねぇ……」

「いいよ、俺は。こうして筆頭の広い部屋で寛げるから」

「こらこら!」


 アリシアが苦笑いを向けると、ジャンはいつものように妖しげな瞳で笑っている。

 現在アリシアは三十九歳、ジャン二十七歳である。


「もう、あなたたちは一向に身を固めようとしないんだから、心配になっちゃうわ」

「そんなの、アリシア筆頭だって同じだろ。いい加減ロクロウのことは忘れてもいいんじゃない」

「忘れる、ねぇ……それが中々忘れさせてくれないのよね!」

「ふぅん……まぁ別にいいけどね……」

「ジャンはどうなの?」

「まぁ俺も……中々忘れさせてはくれない」

「あら、そんな子がジャンにもいるのね!」


 アリシアは嬉しくなって、ミルクティーのお代わりを注いであげた。そんなアリシアを見て、ジャンは軽く息を吐き出している。


「どうしたの? ジャン」

「普段は察しがいいのに、どうしてこういう時だけ天然かな……それわざと?」

「なにが?」

「わざとではなさそうだ」


 そう呟いて、ジャンは上着を片手に立ち上がる。


「あら、お代わり入れたわよ?」

「そうやって引き留めるのは、気のある男だけにしなよ」

「あ、そうよね。ごめんなさい」

「…………筆頭らしいよ」


 ジャンは少しあきれたように笑い、最後に目を流して帰っていった。

 アリシアは、ジャンが飲まなかったミルクティーに口を付けようとして、ほんの少し戸惑う。回し飲みなど軍でいくらでも慣れているはずなのに、アリシアはそのカップをじっと見つめた。そして己のカップに入れ替えてから、それをすべて飲み干したのだった。



 ***



 オルト軍学校に入って一年と三ヶ月が経ったアンナは、十六歳になっていた。夏期休暇をアリシアの休みの日に合わせて帰ってきてくれる。

 アリシアの休みは一日しかないので、二人で語り合う時間はとても貴重だ。

 アンナはとても逞しくなり、そう高くはないが身長も伸びている。キラキラした笑顔は、若さの証だ。

 アリシアはアンナの対面に座り、紅茶を飲みながらクッキーに手を伸ばす。


「この間の剣術大会はどうだったの?」


 アリシアがそう切り出すと、アンナは少し眉を下げて笑った。


「負けちゃったわ。二位だった。完敗よ」


 そう言いつつも、後悔はない顔をしている。実際には見られなかったが、いい試合だったのだろう。


「そう。でも去年は三位だったんだから、順位は上がっているじゃない。一位はまたトラヴァス君?」


 アンナの口からは、よくトラヴァスという少年とカールという少年の名前が出てきていた。この二人と仲が良いようだ。

 トラヴァスという少年はアンナの二つ年上ではあるが、剣術だけではなく頭脳も抜きん出ている秀才なのだとか。

 逆にカールという少年はアンナの一つ年下で、前回の話の際には、身体能力は高いが実力はまだまだだと言っていた。

 事実、去年の大会では初戦でアンナと当たり、カールは負けたと聞いている。

 もしまたアンナが負けたというなら、去年の優勝者のトラヴァスだと思ったのだが。


「いいえ、私が負けたのは……グレイよ」


 グレイ、と聞いて耳がピクリと動いてしまった。

 その昔、殺されそうになっていたところを助けた少年だ。彼に剣の手ほどきをしたのは、なにを隠そうアリシアである。

 ある時期から距離を置いてはいたが、その後もグレイは独自に腕を磨いていたのだろう。


「そ、そう……どんな子なの?」

「それが、変な人なのよ。彼が外を歩くと、野良犬や野良猫がぞろぞろとついてくるの。本人もどうしてだかわからないんだって」

「それは確かに、不思議な子ね」


 そういえば、グレイが孤児院にいた頃、なぜか野良犬もウロウロしていた。動物に好かれる者に、そう悪い者はいない。

 しばらく会ってはいないが、きっといい青年になっているのだろう。アンナと同い年なので、まだ十五歳ではあるが。


(そういえば、昔グレイに頼んだことがあったわね。私の仕事が忙しいせいで娘のアンナは一人でいることが多いから、会った時には仲良くしてあげてって。そうしたら、その時グレイは……)


 そこまで思い返して、アリシアはプッと吹き出した。

 そう、その時グレイはこう言ったのだ。


『じゃあ、俺、アンナと結婚してあげる! 俺も一人だし、そうしたら二人とも、ずっと寂しくないもんね!!』


「どうしたの? 母さん」


 アリシアがいきなり吹き出したので、アンナは訝しげにこちらを見ている。


「いいえぇ、なんでも! それで、あなたたちはいつ結婚するの?」

「は、はぁぁああ!? なに言ってるの! 私たち、付き合ってもないわよ!!」

「またまたー、照れなくてもいいじゃないの!」

「母さん、勘違いにもほどがあるわよ!!」


 そう言ってぷりぷりと怒っていたのは、アンナの夏期休暇の時だった。

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