12.見てしまっているわけね
優しい春が過ぎると、徐々に暑さが増していった。
アンナが夏休みに入ると、毎週末そうしているように、ハナイの森別荘で暮らし始める。ハナイの方が暑さも随分とましなので、過ごしやすいだろう。
アンナはシウリスやルナリアと楽しく過ごしているだろうか。マーディア王妃も少しは心神喪失状態から回復してくれればいいのだけれどと思いながら、アリシアは毎日の仕事をこなす。
暑い、夏の日だった。
闘技場で全体演習を取り仕切るアリシアに、ルーシエが耳打ちしてきたのは。
「アリシア様、急いでハナイへ」
人前であるためか、ルーシエはいつもの柔和な態度を崩してはいない。が、口調はいつもより強張っている。
「なにがあったの?」
「王妃様とルナリア王女様がお亡くなりになりました」
ここが執務室であったなら、なんですってと大声を上げていたことだろう。しかしアリシアはその言葉を飲み込み、そっと頷く。
「わかったわ。私は今からすぐにハナイに向かう。後は任せるわよ」
「かしこまりました。お気をつけて」
人前では詳しい話を聞けず、なにもわからないままアリシアは馬に飛び乗った。
ハナイに移ってからマーディアの自傷回数は減り、今ではもうなくなっていたので、護衛は油断していたのかもしれない。しかし、第二王女のルナリアまで亡くなったとは、一体どういうことなのだろうか。
一人では疑問を解決できるはずもなく、アリシアはハナイまでの道程を急いだ。
アリシアが森別荘に入った瞬間目に入ったのは、泣き叫ぶシウリスと困惑するアンナの姿である。
「あ、お、お母さん……お母さん………」
「アンナ、大丈夫!?」
「私よりもシウリス様が……」
「一体なにがあったの!?」
アンナに事情を聞こうとすると、近くにいた王妃専属の女医ザーラが近付いてきた。
「アリシア様、私から説明しましょう」
「ええ、お願いするわ」
「少しこちらへ」
「アンナ、シウリス様をお願いね」
シウリスの泣き咽ぶ声でまともに会話できず、アリシアはザーラと別室に移動した。
「一体どうなっているの? なぜヒルデ様とルナリア様は亡くなったの?」
「申し訳ありません。私の判断ミスです」
「謝ってほしいんじゃないわ。こうなってしまった経緯を、詳しく聞かせてちょうだい」
強く促すと、ザーラは淡々と話し始めた。
第一王女ラファエラが殺されてから約十ヶ月。マーディアの精神は壊れたまま、酷くなっているわけではないが、大きな改善が見られるわけでもなかった。
シウリスとルナリアが部屋に来ても、変わらずぼうっとしている。そんなマーディアの行く末を案じたザーラは、今朝外に連れ出して、シウリスとルナリアとアンナが遊んでいる姿を見せることにした。するとマーディアは三人の姿を見て、ほんの少し笑ったのだそうだ。
「いつもは部屋を出ようとすると抵抗を見せるのですが、今朝は平気だったのです。さらに王妃様はルナリア様を手招きしていらっしゃって……」
それに気付いたルナリアが、母である王妃の元へと向かう。マーディアは優しく抱きしめて、王女を迎えた。
それを見たザーラは、ようやく一歩前に進めたと感じたらしい。
「その後の王妃様は終始穏やかで……シウリス様とルナリア様の三人だけでお話がしたいとおっしゃったのです」
ザーラは護衛もつけようとしたが、マーディアがどうしてもと言うため、部屋にはマーディア王妃とシウリス王子、ルナリア王女の三人だけにしてしまったそうだ。
これを機に、きっと事態は好転すると信じて。しかし。
「最初は穏やかに会話をしておられるようでした。しかし王妃様は徐々に呪いの言葉を吐き始めたのです」
みすみすラファエラを死なせた己への怒り。当時警護していた者が役に立たなかった怒り。なにもしない夫レイナルド王への怒り。
そして、今後もこのようなことが起こってしまうであろう嘆き。
「直後、シウリス様の声が響き渡りました」
やめて、お母様……そんな悲痛な声が屋敷に響いたという。
扉を開けようとするも鍵は閉められていて、やむなく外から窓を割って警備兵が突入した。
「私も部屋の鍵を持って戻り、扉を開けるのと、警備兵が窓から突入するのとが同時でした。そこで私たちが見たものは……」
ルナリアが首を絞められ息絶えた姿と、その首を絞めたであろうマーディアが、頭から血を流して絶命した姿。
そして──
血の付着した椅子を持ち上げ、肩で息をしているシウリスの姿であった。
「シウリス様が……マーディア様を……?」
アリシアは震えそうになる声を押し込めながらそう聞いた。
妹を助けるためには、そうするしか手段がなかったのだろう。
十一歳の子どもには、狂気と化した母親を止める手段は限られているのだから。
「結果的に、そうなってしまいました。そしてすぐに早馬を送り、アリシア様にお知らせしたのです」
アリシアは、先ほどの取り乱したシウリスを思い浮かべる。妹を助けるためとは言え、自身の母親を殺してしまったのだ。そしてその妹も、もう……
「その後、すぐにルナリア様に蘇生を試み、どうにか息を吹き返されました」
ザーラの言葉を聞いて、ほっと息を漏らした。ルナリアだけでも生きていてくれたなら、まだ救われる。
「マーディア様のご遺体は」
「奥の部屋に安置しております」
「対面できるかしら」
「頭部の陥没が激しく、見られない方がよろしいかと」
「そういうわけにはいかないわ。確認して報告しなければいけないもの」
「……でしたら、こちらへどうぞ」
ザーラに連れられ、アリシアは別荘の一番奥の部屋へと入った。そのベッドの上に、白いシーツで包まれたマーディアの遺体が載ってある。
「失礼いたします、マーディア様」
アリシアはそっとそのシーツを剥いだ。そこには右の頭部が大きく陥没したマーディアが、ものすごい形相でこちらを睨んでいる。アリシアは瞼を閉じさせようとし、それが不可能だとわかるとそのままそっとシーツを被せた。
「このご遺体、シウリス様やアンナには……?」
「この状態では見せておりません」
「……そう」
「けれど、ルナリア様に蘇生術を施している最中、アリシア様のご息女も部屋に入ってシウリス様を宥めていましたから……」
「その時には、見てしまっているわけね」
「はい、申し訳ございません……」
アリシアは、シウリスの涙を思い出して胸が痛くなる。アリシアは親を亡くす悲しみはわかっているが、その死はジャンを救い、多くの子どもの命を救った誇らしい死であった。
シウリスは、すべてを嘆いていた母親を、自分の手で殺してしまったのだ。アリシアが両親を失った悲しみとは意味が違う。なんと声をかけていいものかわからなかったが、話をしないわけにいかない。
アリシアはシウリスの怒号のような泣き声が聞こえる部屋に戻ってきた。アンナがシウリスに触れようとし、すべてを拒否されなにもできず、ただおろおろとシウリスの様子を見守っていた。
「シウリス様……」
「うああああーーーー!!!! ああああああーーーーッツ!!」
「シウリス様!!」
アリシアは、シウリスを力づくで抱きしめた。シウリスの暴れる力は凄まじく、アリシアは全力で抱きしめて抑えつける。
「落ち着いてください……落ち着いてください、シウリス様!!」
「お母様ぁああ!! お母様ーーーッツ」
「……っ、シウリス様……!」
彼の嘆きは、怒りだろうか。苦しみだろうか。アリシアには、それすらもわからない。
部屋の物は床に散乱し、シウリスの両腕は傷を負っている。周りのものに当り散らしているだけで自傷の自覚はないだろうが、このままではマーディアの二の舞になりかねない。
「シウリス様、失礼いたします!」
「っぐ!?」
アリシアはシウリスの鳩尾に拳を強引に決め、意識を落とさせた。シウリスの叫びは聞こえなくなり、それを見ていただけの侍女たちがホッと胸を撫で下ろしている。
「シウリス様……」
「アンナ、あなたも怪我を負ってるわね。大丈夫?」
「うん、私の傷なんかシウリス様に比べたら……」
恐らく、シウリスを止めようと無茶をしたのだろう。しかし目に見える傷よりも、シウリスが自分を受け入れてくれなかったショックの方が、ありありと見て取れた。
「アンナ、シウリス様は一時的に混乱なさってるだけだから、気にしちゃだめよ」
「うん……」
「確か侍女に闇の魔法使いがいたわね? シウリス様に眠りの魔法をかけておいてちょうだい。レジストの高いシウリス様でも、意識のない今ならば効き目はあるわ。朝まで眠れば、少しは落ち着きを取り戻すでしょう」
侍女の一人が眠りの魔法を掛け、意識のないシウリスを寝室へと運んでいく。残されたアリシアとアンナは、そっと互いの顔を見た。
「大変……だったわね、アンナ……」
「ううん、私なんか……」
「アンナ、悲しい時は泣いていいのよ」
その言葉を受けて、しかしアンナは首を横に振った。悲しくないはずはない。身分差があるとはいえ、マーディアはアンナにとって第二の母親のような存在だったはずだ。そのマーディアが死に、シウリスが錯乱してアンナを拒否し、傷ついていないはずはない。
「泣きなさい、アンナ」
「できないわ。私が泣けば、シウリス様はもっと……」
娘の顔を見て、アリシアは雷神を思い出す。アリシアの両親、フェルナンドとターシャが死んだ時の雷神の顔を。アリシアも当時、自分が泣けば雷神の死んだような目を、さらに悪化させてしまうと思って我慢したものだ。しかし一緒に泣くことで悲しみを共有し、癒し合えるということを経験から理解している。
「我慢する必要はないのよ、アンナ。明日はシウリス様と一緒に、泣いて差し上げなさい」
アンナからの返事は、得られなかった。ただ苦しそうに悔しそうに、俯いていた。
アリシアはそんなアンナを置いて、すぐに王都にとんぼ帰りすることになる。一刻も早く事態をレイナルドに伝えるためだ。
王都に着いた頃にはすでに空は白んでいて、朝一での謁見を取り付ける。そしてレイナルドに、ハナイで見聞きしたすべてを話した。
「ルナリアが無事でよかったが……」
さすがのレイナルド王も、大きな溜め息を吐いた。
第一王女のラファエラが亡くなってから、一年も経たずに王妃マーディアが亡くなったのだ。その胸中はアリシアには計り知れない。
「いかがなさいますか?」
「そうだな……マーディアは、ラファエラを亡くしたことによる心身虚弱により死んだとでもするしかなかろう。その辺はこちらで医師と相談してから公表する。頭が陥没しているなら密葬にするしかなかろうな。遺体は誰にも見られぬようにこちらに運べ」
「っは。シウリス様はいかがいたしましょう」
「こちらに呼び戻す。いつまでもハナイに置いておくわけにはいくまい」
「御意」
謁見の間を出ると、執務室に四人の部下を呼び寄せ、簡潔に説明した。そしてすぐにハナイに戻る旨を伝える。
すると副官のルーシエが、心配顔で口を開いた。
「アリシア様は昨晩、一睡もしていないでしょう。私が代行いたします」
「いいえ、私が行きたいのよ。シウリス様も、私なら心を許してくれるかもしれないし、アンナのことも気になるもの。ルーシエは私の代わりにここをお願いするわ」
「俺が筆頭と一緒に行くよ。馬車で行かなきゃいけないんなら、行きの間だけでも寝られる」
「ありがとう、ジャン。そうさせてもらうわ」
「護衛が必要なら、俺も必要っすよね!」
「ええ、護衛はフラッシュにお願いするわ。マックスはルーシエの補佐をお願い」
「わかりました」
こうして朝早く、また王都を出た。アリシアは馬車の中でうつらうつらとし始めるも、その振動で中々眠れそうにはない。
「アリシア筆頭」
馬車の中を覗いてやってきたのは、ジャンだ。
「ジャン……あなた御者役でしょう」
「フラッシュが、行きは護衛の必要がないから暇だってさ。勝手に馬の手綱を持ってったよ」
「そう」
「眠れないなら膝でも貸すよ」
「あら、膝枕? いいわね。私、初めてしてもらうわ」
「ロクロウにもされたことないんだ」
「ええ、ないわね。そういえば。そういうことは、すごく恥ずかしがる人だったもの」
そう言いながら、用意されたジャンの膝に頭を置く。頭への振動が軽減され、途端に眠気が襲ってきた。
(ロクロウは、いきなりキスをしたりすると、真っ赤になって怒ってたわね……ベッドの上であれだけしておきながら、不思議な人だったわ)
アリシアは雷神を思い出して、クスリと笑った。笑っている場合ではないのだが、その温かい膝枕の上では、残酷な現実が封印されるかのように忘れられた。
「おやすみ、アリシア……」
そう言ったのは、夢の中での雷神だったのか、それとも……
アリシアは馬車の中で、優しく撫でられる夢を見ていた。
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