05.嬉しくないと言えば、嘘になるのよ
ジャンはストレイア軍に入り、筆頭大将であるアリシアの直属の部下となり──そしてそれから、三年の月日が流れた。
彼とは上司と部下という関係だが、プライベートでは姉と弟のような存在である。
ジャン、マックス、ルーシエ、フラッシュという若くも優秀な部下たちに恵まれ、アリシアは忙しい毎日を過ごしていた。
ある休日、アリシアはジャンとともに家にいた。休みが重なった日は、なんとなく一緒に過ごすようになっているのだ。彼は当たり前のようにアリシアの前でミルクティーを飲み、寛いでいる。
「アンナはまだ学校か。もう幼年学校の四年だったか?」
「そうよ。この間十歳になったわ」
「早いな。ロクロウがいなくなって十一年か」
「そんなになるのね。昨日のことのように思い出せるけど」
アリシアは雷神の姿を思い浮かべる。出ていった時のままの、雷神の若い姿を。彼は童顔だったので、今も変わらず若く見えるかもしれないと想像しながら。
「生きてるかな、ロクロウ」
「生きてるに決まってるわよ」
「そろそろ戻ってくればいいのに」
ジャンはたまに雷神の話を持ち出す。雷神のことを話せる人間が他にいないからだろう。ジャンは雷神に懐いていないフリをしていたが、やはり彼の安否は気になるらしい。
「……あのね、ジャン」
そうやって雷神を気にかけるジャンに、アリシアは今まで言わなかったことを伝える決意をした。
真剣な表情のアリシアを見て、ジャンはミルクティーをソーサーに戻している。
「なに、筆頭」
「ロクロウだけど……もうここには帰ってこないわ」
ここはもう『拠点』ではない。アリシアは今まで、ジャンにこの話をしていなかった。雷神の帰りを待つ少年の気持ちを、踏みにじるような事実は。しかし、ジャンもすでに二十二歳である。もう子どもではない。
「もう来ない? そう言ってロクロウは出てったわけじゃないだろ」
「そうだけど、ロクロウの性格を考えればわかるでしょう。すべての遺跡を踏破しないと、満足するわけがないもの」
「じゃあ踏破し終わったら、戻ってくるってことだ」
ジャンの言葉に、アリシアはまっすぐ彼を見る。そして「確かに」と納得して頷いた。今まで考えもしていなかった未来が急に開け、アリシアの目は自然と大きくなった。
「いつ、帰ってくるかしら!?」
「変わり身早いよ、アリシア筆頭」
「遺跡は無限のようにあると思ってたけど、いつかは終わりがくるわよね!」
「まぁ簡単には踏破できないだろうから……せいぜい長生きしなよ」
「ええ、ロクロウが帰ってくるまで死ねないわ!」
「戦場では俺が守るけどね。甘い物、食べ過ぎ」
ジャンはお茶請けに出していた、クッキーやチョコやジャムを指差す。それを毎回一人で全部食べるアリシアを見て、あきれているのだ。
「そ、そうね……控えるわ。……ちょっとだけ」
最後の『ちょっとだけ』を、小さな声で呟く。聞こえているのかいないのか、ジャンは相変わらず色気のたっぷり含んだ目を流してくる。その視線から、アリシアは逃げるように顔を逸らした。
「わ、わかってるわよ。今日はもうやめるわ」
「それがいいね」
アリシアは手に取っていたクッキーを元に戻し、溜め息を吐きそうになっていつものように微笑む。長生きすれば、本当に雷神に再会できるような気がして。幸せの神様が、引き合わせてくれると信じて。
「まぁ、我慢できなくなったらいつでも言って」
「え? お菓子を食べさせてくれるの?」
「いや、そうじゃない」
ジャンは微笑む。悪魔が笑うと、こんな笑みではないだろうかと思わせる笑みを。それは、色気と悪戯が入り混じった、ジャン特有の表情だ。そんな笑みと妖しい視線を送りながら、ジャンはさらりと当然のように言った。
「ロクロウの代わりなら、いつでも相手になるよ」
「……ジャン……」
アリシアはジャンの言葉を受けて、溜め息をつきかけてしかし飲み込み、少し困って微笑む。どう言おうか、と少し迷ったが、結局アリシアは自分の心に素直に言葉を紡いだ。
「その気持ちが嬉しくないと言えば、嘘になるのよ。私を女扱いしてくれる人なんて、今はあなただけだもの。でも、私はロクロウ以外の人とそんな関係になるつもりはないわ」
「そう言えるってことは、我慢できてるからだ。言ったろ。我慢できなくなったらって。今は、頭の片隅に置いておくだけでいいんだよ」
フッとジャンらしい笑みを向けられ、アリシアは言葉を詰まらせた。先ほどジャンに伝えたアリシアの言葉に嘘はない。アリシアは、雷神以外の人となんて考えられないのだ。この先一生、誰かと付き合うことも、ましてや結婚することもないだろう。一生独身、決定である。
(一生、一人……)
もしも雷神が帰ってこなかったら、と思うとゾッとした。つい先ほどまで雷神は帰ってこないものとして考えていたというのに、もしかしてという希望を見出してしまうと、急に一人が怖くなった。
アリシアは視線を泳がせ、そして最終的にジャンの瞳に辿り着く。妖しくも優しい瞳が、こちらを見据えていた。アリシアの瞳よりも深い緑のその瞳。それを見ると、親近感と安心感を抱く自分がいることに気付く。
ジャンの言う通りだ。確かに今はいい。けど将来、寂しさに耐えかねる時が来るかもしれない。
「ジャンの言葉……いつまで有効かしら」
それを聞いて、ジャンはまた笑った。今度は若干、楽しそうに。
「俺が死ぬまで有効だよ」
「ありがとう。心の端に留めておくわ」
「ん……そうしておいて」
ジャンの気持ちが胸に沁みた。なにかを伝えたい気持ちはあったが、上手く言葉にならない。そんな風に戸惑うアリシアを、ジャンはどこか嬉しそうに見つめていた。
「ただいまぁ」
ジャンの瞳を見つめていると、玄関からアンナの声が飛び込んできた。学校を終えて戻ってきたのだ。
「おかえりなさい、アンナ」
「ただいま、お母さん。ジャン、来てたのね。いらっしゃい」
「ああ、お帰り。今日もシウリス様のところに行くのか?」
アンナはよく、シウリスのいる王妃の生家に遊びに行く。シウリスに呼び出されるため行かなくてはならないのだが、アンナ自身も嬉しそうに通っていた。
「ううん。シウリス様は明日からしばらく
アンナの言葉に、確かに予定ではそうなっていたとアリシアは頷いた。
第一王妃のマーディア・リーン・バルフォアと、第一王女で現在十五歳のラファエラ・リーン・バルフォア、そして第ニ王子のシウリス・リーン・バルフォアの三人が公務に出るのだ。
王妃のマーディアは、シウリスの後でもう一人、第二王女となるルナリア・リーン・バルフォアを出産している。まだルナリアは五歳のため、公務には同行しないが。
「シウリス様は王妃様に付いてご公務をされるそうね」
「まだ十歳で公務とは、王族は大変だな。俺にはできそうにないね」
「あっはは、私もよ!」
先ほどまでの雰囲気が消え、アリシアはホッとしたような、少し残念なような気持ちで笑った。
「私、暇だから勉強してくるわ。お菓子もらっていい?」
「ええ、いいけどあまり食べ過ぎちゃ駄目よ! 長生きしなきゃいけないんだから」
「……お母さん、いきなりどうしたの?」
アンナは首を傾げながらもクッキーをお皿に取り分け、自分の部屋に戻っていった。
「……危なかった。言っちゃうところだったわ。ロクロウがいつか戻ってくるかもしれない、って」
「言ってもよかったんじゃ?」
「変に期待させない方がいいもの。さて、晩御飯食べていくでしょ? 手伝ってちょうだい」
アリシアがそう言うとジャンは立ち上がり、差し出したジャガイモを文句もなく剥き始めた。
当たり前のように隣にいるそんなジャンの姿を、アリシアはジッと見つめる。その視線に気付いたジャンが、そっと目を細めていた。
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