04.まさか、オルト軍学校に入ったのは
「で、少年をけしかけておいて、逃げたと? 罪な人だな、アリシア筆頭は」
アリシアは目の前のジャンに、あきれたような声をあげられた。
ジャムを入れた紅茶を飲みながら、アリシアは少し口を尖らせる。
「逃げただなんて人聞き悪いわね! ちょっとその……本人の意思に任せようと思っただけよ」
「ものは言いようだな。見事な言い訳だ」
「もう、ジャンったら」
「アンナはシウリス様を好きになってるというのに……別の男をけしかけるなんて、悪い人だ」
「……なんですって?」
アンナはまだ六歳になったところである。子どもの『好き』など恋愛に発展するわけでもないだろうが、相手は未来の王になるかもしれない人物なのだ。
第二王妃にまたフリッツ・ラウ・バルフォアという第三王子が産まれたので、誰が王になるかはまだわからないが。
しかしいずれにしても、そろそろ身分差というものを教えていかなくてはいけないかもしれない。
「アンナにはちゃんと言っておくわ」
「放っておけば」
「そういうわけにはいかないわよ。成長して取り返しがつかないことになる前に、わかっておいてもらわないと」
「そんなの、もうアンナは気付いてると思うけどな……」
ジャンは頬杖をつくと横を向いて、視線をぼんやりと宙に浮かせた。相変わらずこういうことは面倒臭いと思っているようである。
「あなたの方はどうなのよ、ジャン。この間の剣術大会はベストフォーに入ったんだっけ?」
「いーや、ベストエイト止まりだったな」
「……手抜きじゃないでしょうね」
「まさか。マックスにフラッシュにルーシエに……あなたに憧れて、必死になっている連中が多いんだよ。あいつらには、まぁ勝てない」
ジャンは勝てないと言いながら、まったく悔しそうではない。クスクスと笑みさえ浮かべるその姿は、アリシアには納得できないものだ。
負けた相手がいくら仲の良い友人だったからと言って、そんなに飄々としていられるものだろうか。
「わからないわね。悔しくないの? 一位になりたいって思わない?」
「別に。ていうかもう卒隊だし」
「あなた、オルト軍学校に入ったのは、目的があってのことでしょう? 将になりたいなら、そんな気構えじゃダメよ!」
「将になりたいわけじゃない。目的は……将になることじゃない」
「……じゃあ、なぁに?」
アリシアはジャンの目的とやらがわからずに、首を傾げて見せる。それを見てジャンは、またもクスリと笑った。
「小首を傾げた姿もかわいらしい」
「私はもう三十になったっていうのに、かわいいはないでしょう?」
「いーや? いくつになってもかわいらしいよ、筆頭は」
「あなた、誰にでもそんなこと言ってるんじゃないでしょうね」
「あー、どうだったかな……」
「あんまり女の子を泣かせるんじゃないわよ」
ジャンは今年十八になった。年が明けた三月で、もうオルト軍学校は卒隊である。
そんなジャンを六歳の頃から知っているアリシアは、彼を年の離れた弟のように感じていた。
その弟のような存在のはずの彼が、ある時を境に急に色めいてきた。なんだか急に知らない男の人のように見えて寂しく思ったが、ジャンは相変わらずアリシアを慕ってくれている。
ジャンはやはりクスクスと笑いながら、ふと気付いたように問いかけてきた。
「ロクロウから連絡は?」
「ないわ。きっと、遺跡探査に夢中なのね!」
「……どうしてこう、前向きかなぁ」
またもあきれられ、アリシアはニッコリと微笑んで見せた。そんなアリシアに、ジャンは愁いのある瞳で視線を投げてかけてくる。
(こんな視線を受けた女の子は、倒れちゃうんじゃないかしら?)
そう思えるほどに、ジャンのその目は色っぽい。目からエロビームを受けた女子は、大抵は落ちてしまうのではないかと思えるほどだ。もちろんアリシアは雷神一筋なので、落ちることはなかったが。
「少しはロクロウがいないことにこたえなよ。慰める隙もない……」
「あら、誰も慰めてほしいなんて思ってないわよ?」
「まぁいいか……ロクロウとの約束は、来年から果たそう」
「……約束?」
雷神とジャンが何事か約束をしていた、なんてことを初めて聞いたアリシアは、身を乗り出した。
「約束って、どんな!?」
アリシアのその勢いに、ジャンは少したじろぎながら答える。
「具体的なものじゃないよ」
「なんでもいいから教えなさい!!」
「……必死だな」
「言わない気? 強引に口を割らせる方法なんかいくらでも知ってるわ。どれから試そうかしらね」
「ちょっと試されてみたい気もするな」
「トラウマになるわよ」
「わ……わかった。別に隠す気はないよ。いつかは言うつもりだったんだ」
そう言うと、ジャンはその黒くて少しウェーブの入った髪を掻き上げた。深い緑色した流し目が、アリシアを捉える。
ジャンはアリシアの反応を伺うかのように、一呼吸置き──そして、その言葉を伝えてくれた。
「ロクロウはここを出て行く時、俺にこう言った。『アリシアを頼む』……ってね……」
雷神の言葉を聞かされたアリシアは、ジャンをジッと見つめる。
その言葉は雷神に聞かされた、父フェルナンドの最後の言葉と同じものだ。アリシアは雷神がそう言った意味を考え、そしてそう言われた少年の責任を考える。
「……だからあなたは、いつも私のところに来ていてくれたのね」
ジャンは、別に、とは答えなかった。相変わらず妖艶な瞳で、アリシアを見つめ返している。
「まさか、オルト軍学校に入ったのは……」
「この春でようやく卒隊だ。長かった……ストレイア騎士団に入ったら、俺をあなたの隊に所属させてほしい」
「ジャン……」
アリシアは考えもしていなかった。ジャンがオルト軍学校に入った理由を。オルト軍学校でずっと厳しい訓練に耐えてきた理由を。おそらく雷神が頼むと言ったのは、そういう意味ではないだろう。
ジャンは意味を履き違えてしまっているのだ。知らなかったとはいえ、ジャンの人生を狂わせてしまったかもしれないと思い、アリシアは眉を顰める。
しかし、今さら別の人生を歩みさないとは言えなかった。彼はこんなだが、努力をしなかったわけではないだろう。それは、毎年八位に入賞していた剣術大会での実力からでもわかる。
「私の隊に入って、ジャンはどうしたいの?」
その問いにジャンは、照れもせず、戸惑いもせず。まっすぐ燃えるような瞳をアリシアに向けて。
「あなたを、守る」
そう告げた。そこに。いつものどこか冷めたジャンはいない。
アリシアは、珍しく言葉を詰まらせた。
(私は、この子の短剣になってしまったのね……)
そして、そう理解する。ジャンが必死になれるもの。自分がその対象となっていることに気付いて、アリシアは言った。
「私を守る? そんなことは、私より強くなってから言いなさいな」
「守り方なんて色々あるだろ。剣術大会で一位を取れなくたって、あなたより強くなれなくたって……俺なりにあなたを守る術はある」
「……ジャン」
アリシアは、素直に感動した。誰かに『守る』なんて言われたのは、生まれて初めてだった。特に救済の書を習得して以降は、自分は守る側であるという認識しかなかった。
アリシアは決意し、大きく頷く。
「わかったわ。あなたが私の隊に入れるよう、手を回しておきましょう。でも私の隊は、どこよりも厳しいわよ!」
「だろうね」
わかってるよ、とジャンは微笑んだ。ニコリというより、ニヤリといった感じではあったが。
雷神の言葉を、律儀に守り通そうとしているジャン。それが生きがいになったというのであれば、もしかしたら雷神は計算尽くで彼にそう言ったのかもしれない。そう思ったアリシアは、自分の存在はジャンにとって、いい方に作用したのだと思うことにした。
これっぽっちも、ジャンに守られるつもりなどなかったが。
(ありがとう、ロクロウ)
アリシアは、ジャンを己の元に送ってくれた雷神に、心の中で礼を言ったのだった。
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