08.まだしばらくは

 やがてアリシアの滝のような涙が少し収まると、日の光が部屋を照らし始める。その光を見て雷神はアリシアの肩を掴み、そっと自身から離した。


「おい、仕事はいけるか?」

「忌引きで休みよ、大丈夫。それより……ロクロウが昨日言ってた、話ってなぁに?」


 雷神は頷き、ソファーに座るよう促した。ひとしきり泣いて一息つけたのだろう。その行動はいつもと変わらずキビキビとしている。


「今から、二人の最期を話す。よく聞いてくれ」


 アリシアはハッとし、幾分か緊張した面持ちで頷いている。

 雷神は、ターシャとフェルナンドとの最後の会話を……そして二人のとった行動を話して聞かせた。アリシアは再び涙を流しながら、しかし誇らしげに胸を張って聞いている。

 雷神は二人との会話を、一言一句漏らさず、少しも違えることなくアリシアに伝えた。そして最後にこう付け加える。すまなかった、と。

 その雷神の謝罪に、アリシアは首を傾げた。


「どうして、ロクロウが謝るのかしら?」

「二人が死んだのは、俺のせいだからだ」

「どうしてあなたのせいになるのか、わからないわ」


 真っ直ぐ問いかけくるアリシアを、雷神は見つめ返した。

 以前なら、逃げていただろう。友人が死んだ時、その恋人ユウカに糾弾されるのが怖くて、ろくな説明もせず逃げ出した。ミュートが妊娠した時は、一箇所に縛りつけられるのが嫌で責任も取らずに逃げ出した。

 今回も逃げることは可能だった。葬儀の後、そのまま立ち去ればよかったのだから。


「よく……聞いてくれ」


 だが、雷神はアリシアに説明することを選んだ。ここで逃げていてはなにも変わらない。きっとユウカもミュートも、わけがわからずつらい思いをしただろう。アリシアにまでそんな思いをさせたくはない。

 事実を告げれば、アリシアは己を蔑むかもしれない、という恐怖はあった。しかし彼女の前では正直で、そして誠実でありたかった。


「俺が行かなければ……ターシャはジャンを連れて外に出ていたはずだった。そして外にはフェルナンドがいたんだ。フェルナンドは校舎の燃え具合を見て、もう中に入る様子はなかった。だから、戻ろうとするターシャを力づくでも止めていたはずなんだ。俺が行かなければ、二人は死ぬことはなかった」


 そう説明しても、アリシアは反応を示さずにジッと雷神を見つめている。雷神はその真っ直ぐな瞳に耐えられず、目を逸らしてしまいそうになった。が、ぐっと堪えて次の事実を口にする。


「俺が校舎から出た時、フェルナンドにターシャの存在さえ伝えなければ、あいつはあの炎の中に戻りはしなかっただろう。フェルナンドだけでも助かる道はあったのに……俺が、殺したようなものだ」


 雷神の心にあるのは後悔だ。ターシャの腕を掴んで離さなければよかった。フェルナンドにターシャの存在を伝えなければよかった。そもそも、校舎の中に入って行かなければ。

 雷神は己の行動のすべてを後悔し、失意のどん底に陥る。

 しかしアリシアは、そんな雷神の後悔を吹き飛ばすかのような強い声を飛ばしてきた。


「それは違うわ、ロクロウ。あなたは、母さんを救ってくれたのよ」


 救った、と雷神は呟き、眉を顰ませる。そんなはずはない。ターシャを死なせたのは、紛れもなく自分自身なのだから。しかし、そんな雷神の思いとは裏腹にアリシアは続ける。


「母さんは力が強い方じゃないわ。子どもを抱いて炎の中を脱出できると思う? ロクロウがいなければ、煙に巻かれてそのまま力尽きていたはずよ」

「それでも、ターシャが校舎にいないと思っていたフェルナンドは、助かっていたはずだ」

「だから、あなたが母さんを救ったって言ってるの! 母さんが中にいることを父さんに伝えてくれたから、二人は最期に出会えたんだわ。炎の中での最期の時……父さんに会えた母さんは、救われたはずよ」

「……だが」

「父さんもね! 母さんが中にいることを知らずに自分だけ助かっていたら、きっと一生を後悔して生きることになったと思うわ。だからロクロウは、父さんも救ってくれたの」


 雷神はなにも言えずにアリシアを見つめる。胸が詰まって、なにかを言いたくても言えなかった。嬉しい反面、本当だろうかと疑心暗鬼になっている自分がいる。アリシアはそんな雷神を見て、いつものように微笑んでいた。


「ありがとう、ロクロウ。父さんと母さんを救ってくれて」

「……俺が二人を救った?」

「ええ、そうよ!」

「いや。俺は、二人を殺し……」

「殺してないわ!!」


 殺してない。救った。

 その言葉を聞いて、雷神の目にまた涙が押し寄せる。

 アリシアの大切な両親を奪ったと思っていた。自分にとっても大切だった人たちを己のせいで殺してしまったと。

 アリシアに出ていけと言われるなら、そうするつもりだったのだ。しかし彼女は言ってくれた。救ってくれたと。二人を救ってくれてありがとうと。


「アリシア……」

「それにロクロウはジャンも救ってるじゃない! この火事での敢闘賞はきっとロクロウね! あら、火事なのに敢闘賞なんて、不謹慎かしら?」


 どうしてこの娘はこんなにも強いのだろうか。泣いてスッキリしたせいなのか、まったくいつもと変わりないように見える。


「……まだしばらくはここにいてもいいか?」


 その問いに、アリシアはにっこり笑って頷いた。


「ええ! いつまででも、お好きなだけどうぞ!」

「俺にできることがあれば、なんでも言ってくれ」

「ええ、そうするわ!」


 いつもの明るい口調がやたら悲しく聞こえて、雷神は再びアリシアを抱き締めた。アリシアは驚いたように、身をピクリと震わせる。


「泣きたくなったら俺を呼べ。いつでも、いつまででも付き合ってやる」

「ロクロウ……」

「一緒に……泣いてやるから」

「……やだ、また泣けてきちゃったじゃない」

「俺もだ」

「……っう」


 アリシアの目からも雷神の目からも涙が溢れ始める。一人は優しくされ心がほぐされたために。もう一人は罪悪感を払拭させてくれた安堵感から。

 二人はその後しばらく、また声を上げて泣いた。



 朝の光と共に舞い降りた二人の天使は、雷神とアリシアを優しく照らした。そして顔を見合わせ頷き、天を目指す。幸せの神様に報告するために。二人にたくさんの幸せが降り注ぐようにと。

 天使たちは抱き締め合う二人を見届け、笑顔で天へと昇っていった。

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