09.どうして俺にそこまでする?

「ロクロウ、たっだいまーーーぁ!」

「ああ、おかえり。アリシア」


 雷神は仕事から帰ったアリシアを出迎える。そして出来上がった料理をテーブルに並べ始めた。


「あら、今日の夕飯はスシね!!」

「鮮度のいい魚が手に入ったからな」

「私これ大好き! 醤油なんて調味料も初めて知ったわ!」

「これはルカス国の特産だ。ここにたどり着くまでに付加価値がつきすぎて、かなりの高値になるが、あると便利だ」

「ロクロウはルカスの出身なの?」

「いいや。でも俺の生まれた国にも醤油はあった」


 雷神とアリシアは席に着き、スシを頬張る。美味しそうに食べてくれる姿を見ると、雷神も幸せな気分になれた。


 フェルナンドとターシャが亡くなってから、雷神はアリシアを家で出迎えるようになっていた。遺跡にも足を運ぶが、夕方までには家に帰り、食事を作る生活だ。

 アリシアを、誰もいない家に帰らせたくはなかった。温かい笑顔……は無理でも、せめて温かい食事で出迎えてあげたいと思ったのだ。そんな生活が、もう半年ほど続いている。


「こうやって帰ってすぐにご飯を食べられるのは幸せね! けど私も将来のために、もっと料理を勉強すべきかしら!? ロクロウ、教えてくれる?」

「俺も適当だぞ。ストレイア料理なんてよくわからんし」

「十分作れてるじゃない! ロクロウは器用よねぇ。いいお嫁さんになれるわよ!」

「やめてくれ……」


 アリシアの言い草に、雷神は口の端を上げて笑った。アリシアはそんな雷神を見て、目を細めている。


「……なんだ?」

「うふふ。なんでもないわ! ねぇ、ロクロウ。私はいいお嫁さんになれるかしら!?」


 雷神は重い瞼を持ち上げて、アリシアを見た。キラキラと輝いている彼女は、連れて歩くには申し分ない存在だろう。しかし。


「騎士を辞めればなれるんじゃないか」


 雷神は現実を示す。直後に言葉を選ぶべきだったかと後悔したが、相変わらずアリシアは笑っていた。


「あはは! そうね! その通りだわ!」

「……すまん」

「あら、本当のことじゃない。謝る必要なんてないのよ?」


 アリシアの頑張りは、雷神から見てもわかっている。彼女は両親が亡くなった今も、将になるべく必死に努力しているのだ。この家を継がなければいけない、という気持ちがあるからなのだろうか。継ぐならば、将である男を捕まえてさっさと結婚した方が早いと思うのだが。

 そこまで考えて、雷神はフェルナンドと同じ考えに辿り着いていることに気がついた。アリシアに課せられた使命は、子どもを産んで後継ぎを得ることだと。フェルナンドの最期の言葉、『頼んだ』とはこういう意味だったのだろうかと、雷神はぼんやりと考える。


「アリシア、付き合ってる男はいないのか?」

「いないわね!」

「胸を張って言うな。お前も今年で二十歳だろう」

「二十歳で独り身なんて、いくらでもいるわ!」

「……まったく。フェルナンドの気苦労がわかる……」


 雷神は溜め息を飲み込み、なんとか苦笑いを向けた。このまま突き進んでいけば、この女は確実に一生独身であろう。頭が痛い。


「俺はフェルナンドに頼まれた手前、アリシアには普通の女としての幸せを得てほしいんだが」

「私は今、幸せだわ。大丈夫!」

「いや、そうじゃなくてな……」

「ロクロウ!!」


 アリシアはテーブルに手を着き、ドンッと立ち上がった。何事かと雷神はびくりとしたが、アリシアは気にする様子もない。そして彼女は己の手を、自分の胸元に当ててこう言った。


「ロクロウ、わ・た・し!! をあげるわ!!」


 ばばーーーーん!!


 ばばーーーん!


 ばばーーん


 ばばーん……


 ババンというエコーが遠くなると同時に、雷神の気も遠くなりそうになる。なぜいきなりそうなるのか。まったくもってこの娘の思考回路は理解できない。


「待て……頭が痛い」

「あら、大丈夫? 仕方ないわね、次の機会にしましょう」

「すまないがアリシア、俺はお前とは……」

「いいのよ、謝らなくても! そうよね、私も次の日が休みの方がいいわ! それまでに頭痛を治しておいてね」


 アリシアはそのまま鼻歌を歌いながら、食べた物を下げ始める。雷神はなんと言っていいかわからず、痛む頭を抱えた。

 本当にアリシアはなにを考えているのだろうか。アリシアは雷神のことが好きなのでは、とフェルナンドは言っていた。しかしアリシアのこのテンションで言われると、疑わざるを得ない。

 雷神は人の気持ちを考えるのは苦手だ。すべてにおいて、そういうことから逃げてきた傾向がある。そんな雷神に、アリシアの本心などわかろうはずもなかった。


 しかし、である。

 翌日が休みというその晩。風呂上がりの彼女は、子どもが着るようなパジャマ姿のまま雷神の部屋に現れる。そして、ばばーーんとこう言ったのだ。


「ロクロウ! わ・た・し! をあげるわ!!」


 雷神は目の前が真っ暗になるのを感じた。アリシアの意図が、まったく読めない。相変わらずアリシアは仁王立ちせんばかりの勢いで、誇らしげに胸を張っている。


「あのな、アリシア」

「ここに寝ればいいのかしら!?」


 アリシアはずかずかと部屋に入り、ごろりとベッドに転がった。


(マジで、勘弁してくれ……)


 なにを言うべきか本当に考えつかず、雷神はアリシアを一時的に無視することに決めた。そしてコムリコッツ文字を書き写したノートを、自分なりに解釈を加えながら別のノートにまとめていく。

 それをアリシアは、ベッドの上からジッと見ていた。


「ロクロウっていつもなにか書いてるわね」

「まぁな。遺跡の数が多すぎて、頭じゃさすがに把握しきれん」

「にしては、ノートの数が少なくない?」


 アリシアは本棚に目をやった。そこに雷神の書いたノートはほとんどない。


「ノートはすぐに『拠点』に送っているんだ。持ち歩くと荷物になるからな」

「拠点?」

「ああ、俺の故郷だ。管理してくれる業者に頼んでる」

「そう……で、その作業はいつまで続くの?」


 アリシアはベッドの上で頬杖をつき、足をパタパタさせている。子どもか、と雷神は少し笑った。


「さぁな。朝までかもな」

「あら、魅惑的な美女を放っておくのかしら」

「誘うなら、せめてその子どもっぽいパジャマを脱いだらどうだ」

「あら、なるほどね! 気付かなかったわ!」


 そう言ってアリシアは飛び起きると、ベッドの上に座り直してパジャマのボタンに手を掛けた。その姿を見た雷神は、慌ててそれを止める。


「なにをしている! ここで脱ぐ気か!?」

「え? ロクロウが脱げって言ったんじゃないの」

「違う! 誘うなら、パジャマじゃなくて、もっと官能的な物を着ろという意味だ!」

「どうせ脱いじゃうんでしょう? 一緒じゃない」


 どうしてこの女はこういう時にまで男らしいのか。アリシアは雷神の言葉など気にも止めず、次々とボタンを外している。アリシアのふくよかな胸が露わになるにつれ、雷神の顔はカァッと熱くなる。


「やめろ! 手を、止めてくれ!」

「脱いじゃったわ」

「いいから、着ろ! 頼む!!」


 アリシアが気っ風よく脱いでしまったため、一瞬その姿を見てしまった。しかし雷神はすぐに目を逸らす。


「……そんなに私が嫌なの? ちょっと……いえ、かなり傷つくわ」


 そんな言葉と共に、パジャマに袖を通す気配がした。安心して雷神はアリシアに目を向ける。彼女は珍しく笑顔ではなく、ふくれっ面であった。


「すまない……アリシアを傷つけたいわけじゃないんだ」

「どうしてなにもしてくれないのか、理由を聞いてもいいかしら?」


 問われて雷神は、少し間を置いた。そして言葉が決まると、ゆっくりと話し始める。


「俺は昔、安易に女を抱いて後悔したことがある。その女も、今頃後悔しているだろう。俺はアリシアにはそんな思いをさせたくないんだ。だから、抱かない」

「私は後悔なんかしないわよ」

「あのなぁ、アリシア」

「それに、ロクロウも後悔なんてさせないわ」


 アリシアが、薄布一枚で抱きついてくる。その柔らかな感触に、雷神の理性は吹き飛ばされそうだ。


「やめてくれ、本当に。俺を誘惑するな」

「つらいことがあったのね、ロクロウ……でも、私は大丈夫。信じてくれていいわ!」

「どうして俺にそこまでする?」


 理解できずに聞いたその問いに、アリシアはニッコリと笑って答えた。


「あなたを幸せにしてあげたいのよ。ついでに私もね!」


 そう言って、アリシアは雷神が拒否する間暇もなく、その唇を雷神の唇に押し当てられた。


「チュッ」

「あ、こら!」

「うふふ、奪っちゃったわ! どう? 私の唇は!」


 まったくこの娘は、と息を吐くも、雷神の顔は自然と笑顔になってしまっている。


「……最高の唇だ」

「あら、嬉しいわ! 今度はロクロウからしてほしいわね」


 アリシアは目を閉じ、唇をそっとすぼめる。そんな姿を至近距離で見せつけられては、拒否できようもない。


「……いいんだな」

「もちろん」

「止まらんかも、しれんが」

「嬉しいわ」


 アリシアの言葉を受けて、雷神は彼女を強く抱き寄せた。さほど背丈の変わらぬ彼女の唇を、己の物と接触させる。しばらく口付けた後で顔を離すと、アリシアはやはり嬉しそうに笑っていた。


「この次も、ロクロウからしてくれるかしら?」


 この次の行為ということだろう。アリシアは男らしくはあるが、フェルナンドとの会話から察するに、経験はないはずだ。


「怖い……な」


 雷神は素直に自分の心境を吐露した。ミュートの例を鑑みるに、アリシアには手を出さない方が賢明だろう。雷神はいずれ、ここを去る人間なのだ。アリシアとの別れを考えると、怖さが拭えない。


「大丈夫よ、ロクロウ。あなたも私も、絶対に後悔なんてしない。ね?」


 アリシアがそう言うと、なぜか本当にそう思えてくるから不思議だ。この娘は、つらい過去を払拭させるために、己の体を捧げようとしてくれているのかもしれない──そんな風に思った。


「ありがとう、アリシア……」

「あら、抱いてくれるの? こちらこそありがとう、ロクロウ」


 雷神はアリシアの無防備な体を抱きしめた。そのアリシアの体を指で確かめると、己の欲求は増した。ずっと我慢してきた分、もう止められそうにはない。

 雷神は彼女の名を囁きながら、夜を明かすこととなった。

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