07.後で話がある

 アリシアがフェルナンドとターシャに対面したのは、校舎が崩れて鎮火した後だった。

 瓦礫の中から、二人の物と思われる焼死体が校庭に並べられ、アリシアはそれをしばらく呆然と眺めていた。

 アリシアは仕事で町を出てて、火事があったことさえも知らなかった。もちろん、フェルナンドとターシャが焼け死んだことも。


「この指輪……間違いありません。父さんと母さんだわ」


 調査隊に問われ、毅然と答えるアリシア。フェルナンドとターシャは、折り重なるようにして発見されたと調査隊に聞かされ、アリシアは深く頷いていた。

 雷神は、それを数歩離れたところで見守る。かける言葉がなかった。アリシアは毅然としているが、悲しくないわけがないだろう。


(だからと言って、俺になにができるっていうんだ……)


 なにも言えないでいる雷神に向かって、アリシアは言った。「帰りましょう、ロクロウ」と。

 遺体は身元証明がなされた者から、校庭の端に順に安置されていく。埋葬は明日になるそうだ。燃え尽きた校舎を背に、雷神はアリシアと家に帰った。

 家の中に入ると、ターシャが夕飯の準備をしていた跡が見える。氷桶の上に用意されたひき肉。玉ねぎとジャガイモは丸のまま転がっていて、その近くには包丁が置かれていた。


「ああ……今日はきっとハンバーグだったのね! 付け合わせに粉ふきいもってところかしら? 母さんのハンバーグって、おいしいのよね!」


 いつものアリシアの言葉が、空々しく聞こえる。雷神はジャガイモを手に取り、皮を剥き始めた。自分にできることなど、これくらいしかない。


「俺がやろう。少し……休んだらどうだ」

「大丈夫よ、私なにもしてないもの」


 そう言いながらアリシアは玉ねぎを刻むと卵を割り、ミンチ肉を混ぜ合わせて捏ねる。その後は、なんの会話もなかった。黙々と料理を作り、黙々と食べ終える。

 雷神は元々お喋りな方ではない。フェルナンドもターシャもいない。アリシアが喋らなければ、なにも会話は生まれなかった。


「明日は忙しいでしょうから、お風呂に入ったらもう寝るわね! 喪服、どこに置いたかしら」


 そう言いながらアリシアは自室に戻っていった。

 気の利いた言葉一つ言えない自分が、苛立たしい。こんな時、教養のある人間ならなんと言うのだろう。ご愁傷様ですとでも言うのか。元気出してとでも言うのか。どれもなんだか薄っぺらな言葉だ。

 両親が死んだというのに涙すら流さないアリシアも、不自然だ。悲しみを押し隠しているのだろうか。悲しくない訳わけはないはずなのだが、そんな様相を見せないのはなぜか。

 いくら考えても雷神にはわからなかった。ただフェルナンドとターシャがいなくなった家は妙に広く感じる。やたらと静かで、物寂しさが募った。

 雷神は息をするたび、まだこの家に残ったままの彼らの香りを感じた。そして二人の最期の姿を思い返す。


「ターシャ……フェルナンド……」


 名を呼ぶと、雷神の目から再び涙が溢れた。

 そして雷神は気付いてしまった。また、己のせいで人が死んでしまったのだと。

 その事実に気付いた時、雷神は愕然とし、またも罪悪感に苛まれることとなったのだった。


 翌朝、フェルナンドとターシャの葬儀が行われた。アリシアはテキパキと指示を飛ばし、弔問客への挨拶もしっかりと行っていた。

 参列者の中にはジャンもいる。アリシアになにかを言いたそうにしていたが、結局なにも言ってはいないようだった。

 二人の葬儀は駆け足で終わることとなる。犠牲者の数が多いため、神父が分刻みのスケジュールだからだ。棺の中に入った二人が土に埋もれると、胸が締めつけられるかのようにギュッとなった。

 すべてを終えると、アリシアは雷神の前にすっくと立つ。そして彼女は微笑みすら見せながらこう言った。


「ロクロウ、お疲れ様! 帰るでしょう? それとも今から遺跡に行くの?」

「いや……」


 問われてどうしようかと考える。遺跡に行くような気分では、もちろんない。


「俺は少し、ここで二人を偲んでから帰る」

「あら、そう? ありがとう。じゃあ、私は先に帰ってるわね!」


 そう言ってアリシアは雷神に背を向けた。そして彼女は数歩進んだ後に振り返る。どことなく、不安げな瞳で。


「ロクロウ、今日は帰ってくるのかしら!?」


 しかし口調はいつもと変わりのない、明るいアリシアの声。


「ああ、帰る。後で話がある」

「……わかったわ。家で待ってるわね!」


 アリシアは、無理矢理作った笑顔で去っていった。

 昨晩泣いた様子はなかったようだったし、彼女にも思いっきり泣く時間が必要だろう。

 雷神は彼女の後ろ姿を見届けた後で、清酒を買ってきた。そして墓の前に盃を置き、それを酒で満たした。

 雷神は、ミュートに出会ってからは一度も呑んでいなかった酒に、口をつけた。雷神の生まれ育った国では、酒を呑み語らいながら故人を偲ぶという風習がある。この地域にそんな風習はなさそうだったが、フェルナンドとターシャなら喜んでくれそうな気がして、雷神は少しずつ酒を口に運んだ。


 二人とも、よく笑う人だった。フェルナンドは豪快に笑い、ターシャは慎ましくも楽しそうに笑う。二人の笑顔につられて、雷神も少し笑えるようになった自覚があった。なのに。


「すまない……フェルナンド……ターシャ……」


 二人の墓の前で、雷神は酒瓶を手に、いつまでも座り込んでいた。


 気付けば酒瓶は空っぽで、空はだんだんと白んでいる。

 いつの間にか墓の前で眠ってしまっていたのだ。夕方には帰るつもりでいたのに、もう朝だ。雷神は飛び起きた。真っ先に浮かんだのは、アリシアの顔だ。心配しているに違いない。

 雷神は飛ぶように家に帰り、その玄関の扉を開ける。中はひっそりとしていて、雷神は思わず声を上げた。


「アリシア!! 今帰った!」


 その言葉に、一拍置いてから応答があった。


「ロク……ロウ……」

「アリシア!!」


 アリシアはテーブルの上に突っ伏したまま眠っていたようで、雷神の顔を見て呆然としている。


「帰って、きてくれたの?」

「そう言っただろう。すまない、遅くなったな」

「…………っ」


 アリシアは言葉を詰まらせて、涙目になった。そして涙を零すまいと、必死になって我慢している。


「アリシア……」

「このまま……帰ってこないのかと……」

「そんな変な顔になるくらいなら、いつかみたいにぶちまけたらどうだ」


 そう言い聞かせても、アリシアは込み上げてくる涙を喉元で押さえ込んでいる。雷神はたまらなくなり、彼女を己の腕で優しく包み込んだ。


「ロク……」

「すまない……二人を止められなくて……」

「ロクロウのせいなんかじゃ……っ」

「すまない……!!」


 雷神が悔し涙を流すと、それにつられるかのようにアリシアも涙を流し始めた。雷神がしっかりとアリシアを抱き締めると、彼女もまた、腕に力を入れてくる。そしてとうとう彼女は、胸のうちをさらけ出すかのように泣き叫んだ。


「ううっ! ああああっ!! 父さん!! 母さんーー!!」

「すまん……すまん……」


 咽び泣くアリシアの頬に、己の頬を当てる。彼女の涙が雷神の頬を伝わり、落ちていった。

 雷神はアリシアの気が済むまで、ずっとそうしていた。

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