第7話 我が家にはゾンビがいる

 僕が自宅に戻って、リビングの扉を開くと――


「う、うわぁ、あ……あぁ」


 目には生気がなく周りに黒いオーラを発しているゾンビが机に突っ伏していた。


 というか、僕の母だった。


 詩歌母さんは時々ゾンビになる。この状態の詩歌母さんとゾンビ映画のゾンビを比べたらまだゾンビ映画のゾンビの方が生気を感じる。だってあいつら元気に走り回ってるもん。


 詩歌母さんがこんな状態になるのにはもちろん理由がある。〆切というやつである。小説家である詩歌母さんはコンスタントに書き続けられるタイプの小説家ではない。しかしプロである。そんなものは言い訳にはならず〆切はコンスタントにやって来る。


 発行部数100万部以上の著書をいくつも抱える詩歌母さんは編集部にとって金のなる木。書いてもらわなければ困る。ではどうするか?カンヅメである。


 カンヅメとは作家を閉じ込、


 ん、んっ!


 執筆に専念できる環境に置き原稿を進ませることを言う。


 まだ生気のある頃の詩歌母さんがその生気と原稿を等価交換して帰ってきた姿がこのゾンビ状態である。


 ちなみに、瑠璃母さんは漫画家なのだが、あの人はコンスタントに描き続けられるタイプだ。


 瑠璃母さんが私生活はだらしなく創作に対しては優等生なのに対し、詩歌母さんは私生活は優等生だが創作に対してはだらしないところがある。


 うちの両親は凸凹クリエイター夫婦なのだ。


「ただいま、詩歌母さん」

「み、……み、お?」


 声をかけるとちょっとだけ詩歌母さんの目に生気が戻る。体を乗り出して手を伸ばしてくるから転げ落ちそうになったところを受け止める。


「おっと、危ないよ」

「みおぉ、みおお」

「はいはい澪だよ」


 体を擦り付けてくる詩歌母さんを持ち上げ再び椅子に座らせる。


「母さんお腹空いてる?何か作ろうか?」

「すいて、ない。それより、ここ」


 自分の膝をポンポンする母さん。


「あのね母さん僕もう高校生なんだけど」

「ここ」


 なおポンポンして主張する。多分渚の頑固なところは詩歌母さんから遺伝したな。


 仕方がないから母さんの膝にちょこんと座る。すると待ってましたとばかりに後ろから抱きしめられる。僕にはない二つの膨らみと腕によって圧迫され、だいぶ苦しい。おまけに僕の髪に顔をうずくまらせる。きっと今の僕の目はハイライトが消えているだろう。


 ……せっかくセットした髪が崩れるのはもうあきらめた。僕の髪は崩れる運命なのかもしれない。


「あ、そうだ。一瞬立って」

「ん?」


 母さんから立ってと言われたので素直に立つ。意外に早かったないつもなら1時間くらい拘束されるのに。


 と思ったが母さんは冷蔵庫からケーキを持ってくるともう一度座って膝をポンポンする。結局先ほどの体勢に元通りだ。


「入学祝いに買ってきた。あーん、してあげる」

「え?いや、いいよ、自分で食べるよ」


 この体勢の段階で恥ずかしいのに、なんであーんまでされなきゃいけないんだ。ただの拷問じゃないか。


「あーん」

「いや、だから」

「あーん」

「いや……」

「あーん」

「……ハイ」


 そこには生気のない目で一点を見つめ、為すがままのゾンビがいた。


 というか、僕だった。


 坂柳詩歌。僕の母のうちの一人。もう一人の母とは違って、普段は常識的な振る舞いで大いに尊敬できるのに、一度こうと決めたら引かない性格とカンヅメ後にボディタッチが多くなるところだけ勘弁してほしい。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 あの後僕は生贄をささげて助かった。僕だってそんなことしたくなかった!でも仕方がなかったんだ!僕が、僕が助かるにはそうするしか……。


 僕のために生贄となってくれた渚に、敬礼!


 は人の迷惑になるからやめておこう。


 今僕は通勤ラッシュの電車に揺られていた。入学初日に男であるという秘密を人質に奴隷契約を無理やり結ばされたことは考えない。


 某哲学者も言っていた。超常的なことは考えても分かんねえから考えるな、と。朱音も悪魔みたいなもんだし、この教えに則っておこう。


 もっと実用的なことを考えるんだ。そうだ!今晩の夕飯どうしようかな?今日はなんだか単純作業をしたい気分だ。……餃子にしようかな。


 餃子はいい。あの餡を皮に包む作業は、最初はどれだけ効率的に包めるかを考えるのだが、それが極まってくるとただただ無心に皮を包むマシーンとなれる。餃子を包むスピードと美しさを競う大会が会ったら参加してたかも。

 

 今晩の献立が決まり、僕がうんうんと気持ちよく頷いていると体が押し付けられる。ここまでだったらバランス崩しちゃったのかなで終わるのだが……。


 円を描くように尻を撫でられる。


 痴漢の発生件数を調べるとガクッと下がる時期がある。お察しの通り男の人口が減り始めた時期だ。電車が出来た当時、痴漢の加害者はほぼ100%男であったらしい。そのため男の減少と比例して痴漢の件数は減っていったのだ。


 では現代では痴漢は発生しないのかというと残念ながら男がいた時期と大差ない程度まで上昇している。被害者は10代の女の子で、加害者は30代~50代の女性だ。


 痴漢の加害者という立場は男から高齢女性に成り代わったのだ。


 僕の尻を撫でまわしてるこの人も自分が男の尻を撫でまわしてると気づいたら泡吹いて倒れるんじゃないか?


 非常に不快で、不愉快で、今すぐその腕をつかんで一本背負いを喰らわしてやりたいが我慢する。僕は注目を集めるわけにはいかないのだ。


 ……こいつ絶対初犯じゃないだろ。撫でまわし方に躊躇がなさすぎる。 


「ヒィッ!」


 ついには服の中に手が入ってきて左手でお腹を、右手で尻を撫でまわされる。そして、お腹側に回っていた左手がだんだんと下に下がっていく。


 まずいまずいまずい。何がまずいって僕の腰には女にあるものがなくて、ないものがあるのだ。


 このままいけば僕が男だってことが、


 ――バレる!!!

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