第6話 犬になってよ
「あなた男よね?」
なんでわかったんだという疑問符が喉元まで出かけて咄嗟に止める。ここで、なんで?どうして?と聞く以上に悪手なことはない。それはほぼ認めているに等しいからだ。僕は慎重に言葉を選ぶ。
「……言っている意味が、分からないんだけど」
「私が理事長の娘って言ったら大体察しがつくんじゃない?」
美鈴さんの?確かに、言われてみればよく似ている。特に目元なんてそっくりだ。
「大丈夫よ、これはただの確認作業だから」
「確認作業?」
「あなた容姿も声も女にしか見えないんだもの。教科書とかで見る男の人ってもっとがっしりしてるものでしょ?それに、ほら、背も低いし」
おいやめろ。気にしてんだ。
でも、ということは僕が男であることは十中八九美鈴さんから教えられたのだろう。でも、美鈴さんはなぜそんなことを?
「美鈴さんはなんて?」
「は?美鈴さん?」
城崎さんの目が細められる。
「なんで私は城崎さん呼びでお母さまが名前呼びなのよ」
「え?そこ!?今どうでもよくない?」
ただ単に瑠璃母さんが美鈴と呼んでいたから僕も流れで美鈴さんと呼んでいるだけだ。ていうか、美鈴さんの苗字城崎だったのか。それすら今知った。
「お母さまを下の名前で呼んでるなら私も下の名前で呼びなさいよ」
「えぇ……」
「はい、リピートアフターミー朱音様」
しかも様付けの方。
「朱音様」
「よろしい」
朱音様は大変満足げだ。
「それで美鈴さんはなんて?」
「ああ、そうだったわね。お母さまはあなたのサポートをしてあげてほしいって頼んできたわ」
「僕の?」
「男だってバレないようにするには同級生に1人くらい協力者がいた方がいいでしょ?」
確かに、一人で隠し通すよりも確実かもしれない。そこまで考えてくれているなんて流石美鈴さんだ。
「ん?ということは初めから男だと思って話しかけてきてたのか?」
「まあ、入学生の中に坂柳って苗字は他に居ないはずだから」
それであんな話題の振り方を。
「朱音さまいい性格してるね」
「ありがとう。可愛かったわよ?ビクッ、って」
この女。
「それでね、私タダで協力するの嫌なの」
まあ、それはそうだ。急に知らん奴の手助けをしろって言われても朱音からしたらなんで私が状態だろう。報酬の一つや二つないとやっていけない。でも、報酬って何を渡せばいいんだ?出来れば金以外がいいんだが。
ふと、朱音の指が僕の顎下へ伸びてくる。ツンと指をしならせ強制的に顔を上を向けさせなれる。
「だから、私が協力する代わりにあなた私の犬になってよ」
真面目な顔で何言ってんだこいつ。
「えーと、嫌だけど?」
「あら、残念。明日にはあなたが実は男かも知れないって噂が回ってるかもね」
は?
「いやいやいや、脅迫だろそれ」
「何を言っているの?あなた性別詐称じゃない」
キョトンと不思議そうな顔で反論される。言われてみれば確かにそうだったわ。
「ちなみに具体的には何を?」
「特に決めてないわ。何か私が頼んだら何でも言うことを聞くって確約してくれればいいの」
本当に決めてないのか、別の目的があるのか。どちらにしろ特大の弱みを握られている以上僕に選択権はない。しかし、
「何でも言うこと聞くはちょっと横暴じゃないか?犯罪をやれって言われても出来ないことは出来ないぞ。」
「性別詐称は犯罪じゃないの?」
「ぐっ!それとこれとは別だろ」
「随分都合がいいのね。心配しなくても法律は犯さないわよ。せいぜいパシリに使うくらいね」
……それも十分嫌なんだが。
「ちなみに協力はいらないって言ったら?」
「二重の意味でコウカイすることになるわ」
こいつ上手いこと言いやがって。
「はあ、わかった。何か頼まれれば人に迷惑をかけたり犯罪じゃない限りは何でも言うことを聞く」
「契約成立ね」
一方的な上にこちらに拒否権のないものを契約と呼ぶならな。
「はい」
朱音が手のひらを上にして差し出してくる。契約成立の握手か。僕は朱音の手を握り握手する。が、思いっきり手を振り払われた。
「ちがうわよ!」
「え!?」
「お!手!」
……ああ、なるほど今から僕は犬なのか。今度は丸めた手を手のひらに乗せる。
「わんは?」
「わん」
「よーし偉いわねー」
朱音は小馬鹿にしたように笑い頭を撫でてくる。セットした髪が乱れるのでやめてほしい。
「それじゃあ今日は帰っていいわよ私も帰るから。そうだ、言い忘れてたけれど、このことをお母さまに喋ってもあなたの学生生活が終わると思いなさい」
そういうと朱音はそそくさと教室をあとにする。空き教室にはポツンと僕だけが残されていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私、城崎朱音の好きなものは動物と面白いことだ。
母からこの話を貰った時、二つ返事で了承しつつ、その実、頭の中にはある思い付きで満たされていた。
母の交友関係に特段興味はないけれど、母はお酒を飲むとある人の話を笑いながら、それでいて哀愁を帯びた瞳でする。瑠璃さんのことだ。
学生時代の瑠璃さんはそれはもう破天荒だったようで、海外のサバイバル番組にあこがれ一週間、森の中で蛇や亀を食べて生活をしたり、体育祭優勝後のドン上げでなんだか天井を突き破れる気がするとみんなを煽った挙句本当に突き破って教室が移動になったり、バンクシーの真似をして高校の壁に絵を描いたり……。
そして、目の前の男の子――どっからどう見ても女にしか見えない――はかの瑠璃さんのお子さんらしい。蛙の子は蛙、変人の子は変人に決まっている。事実、女装して学校に通うという馬鹿げたことをやっている。
澪はその綺麗な顔に困惑の色を湛えている。なんだか、左右に結わえた髪が垂れた耳みたいだ。
私は動物と面白いことが好きなのだ。面白い動物が嫌いなわけがない。
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