第4話 今日から僕は女の子

 それからの僕と言ったら虚無の一言だった。何もする気が起きず、惰性で生きていた。世間のニュースどころか学校の対応も神崎先生のことも僕の耳には入ってこなかった。生徒が引きこもりになったのだから学校から連絡が合っただろうに母さんたちは学校のことについて僕に話してくることはなかったのだ。


 母さんたちはどちらも無理して学校に通わなくてもいいというスタンスだったのだけれど、反応は対照的だった。


 瑠璃母さんは、あたしも中学の時引きこもりだったんだぜなんて自身の引きこもり体験を話してくれてあっけらかんと笑い飛ばしてくれた。


 詩歌しいか母さんは、学校に通わなくてもいいが条件があると言って、二つ条件を提示してきた。その条件は玄関先でもいいから毎日一度外に出て陽の光を浴びることと家事を行う事だった。僕はその条件を了承し期せず僕の生活力は上昇した。


 そんな日々を過ごしていると渚がメイクを学びたいと言ってきた。渚ももう六年生だ。中学に上がる前にメイクを出来るようになっておきたいのだろう。問題はその後に発した二言目だった。


「澪ってさ綺麗な顔してるよね。メイクの実験台になってよ」


 いやいや自分にメイクするのと他人にメイクするのは全くの別物だろとか、男の俺より母さんたちに付き合ってもらった方がいいだろとか色々言いたいことが頭をよぎったが過去の経験から僕は口をつぐみただ了承の返事をするにとどめた。


 それから何度か、渚のメイクの実験台にされたり、渚と一緒にメイク動画を見て実践したりした。それが日常と化してきたときふと鏡に映る自分が全くの別人であることに気づいた。まるで普通の”人”のような……。

 

 そう、人類が男の減少に対して、女性同士での生殖を開発したように、単純明快かつ効果的な解決策、男であることが原因でこの現状があるのならば男でなくなってしまえばいい、つまり女になればいい。


 この世には高校デビューなるものがあるらしい。中学の時はパッとしなかった人が高校に入ってイメージチェンジを図り華やかな学生生活を手に入れる。それを僕もやるのだ。男であることをメイクで隠して。


 あまりにもばからしい策だが一度思いついてしまえばその考えを振り払うことが出来なかった。別に高校デビューの方たちのように華やかな学生生活を送りたいわけではない。ただただ、普通に話しかけてもらえて、普通に授業が受けられる。普通の学生生活を得たいのだ。


 実行に移すうえでまず両親に相談した。女装しながら男であることを隠して高校に通うと、そう説明した。説明しながら自分自身で何言ってんだ僕という思いが拭えなかったけれど、両親が――茶々を入れてきそうな瑠璃母さんですら――真剣に聞いてくれたから最後まで説明する事が出来た。


 両親に説明したのはもちろん自身の進路について伝えておくべきという意識もあったけれど一番の目的は瑠璃母さんの人脈を頼りたかったからだ。流石に性別を詐称して学校に通うには内部の人の協力が必要だ。そして僕は瑠璃母さんの友人の一人に私立高の理事長がいることを知っていた。


 そして、瑠璃母さんはその友人に掛け合ってくれた。その人は瑠璃母さんから話を聞くと手を叩きながら特徴的なつり目に涙を浮かべて大笑いした。


「あっはっは!流石瑠璃の息子!面白いことを考え付くわね!」

「うるさい、で?実際どうなんだ?やってくれるのか?」

「あったりまえでしょう?こんな面白そうなこと引き受けないわけないじゃない」

「まあ美鈴ならそういうか」


 その気安い会話からは年月の積み重ねを感じる。瑠璃母さんは割と物事を誇張していう癖があるので本当に友人なのか心配していたが学生時代からの友人というのはどうやら本当らしい。なんて考えていると今まで瑠璃母さんに向けられていた視線がこちらを向く。


「坂柳澪くん。そういう事だからあなたの高校デビュー、あるいは女装デビューかしら?、それには全力で協力するわ。でもね、私の学校は所謂裏口入学は受け付けてないの。だから、入学試験だけはちゃんと突破してきてね」


 もとよりそこまで面倒を見てもらう気はない。ごくごく当たり前のこと、僕はもちろんですと答えた。


 それからは勉強の日々だった。引きこもりが県内有数の進学校に合格しなければならないのだからそれこそ死に物狂いに。勉強に関しては詩歌母さんの手を借りた。流石東大を出てるだけあって教え方が抜群に上手かった。本業で忙しいだろうに懇切丁寧に教えてくれて頭が上がらない。女性らしい仕草や声の出し方、メイクに関しては妹と研究した。客観的な意見には大いに助かった。


 そして、1年、正確には1年と65日の集大成の末、僕はこの時この瞬間同じ制服に身を包む女性たちとともに白佐葦しろさい学園の門を跨ぐ。

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