第8話 城下町の二人
「ふふふ……何だか、凄く悪い子になった気分ですわ」
ユランに突然連れ出され、最初は戸惑っていたリリアだったが、貴族街を出る頃にはすっかり落ち着いた様だ。
今ではユランの隣で、物珍しさからか、コロコロと表情を変えて楽しげに笑っている。
割り切って考え、現状を楽しむ事に決めた様だ。
「
リリアは、ユランに抱かれて屋敷を飛び出した時のことを思い出していた。
リリアを落とさない様に、力強く抱き抱えるユランの腕。
そこからは、力強さだけでなく、リリアを思うユランの優しさが感じられた。
「何だか、こんな事を言うのは変かもしれませんが……リーンが物語の中の騎士様に見えましたわ……」
リリアは、顔に手を当て、夢見心地だ。
ほんのり頬が桃色に染まり、ボーッと呆けた表情をしている。
「塔に幽閉されてしまったお姫様を救い出す騎士様のよう……この場合、私は、お、お姫様と言う事になるのかしら……まあ……困ってしまいますわ……」
リリアは、モジモジと照れながらも、ユランの手を強く握る。
今は深夜の時間帯。
こんな時間に外に遊びに行くなど、リリアにとって初めての体験だった。
……いや、まともに城下町に遊びに行くことすら、リリアにとっては初めての事だ。
少しの緊張もあり、リリアは強く握ったユランの手を離さない。
しかし、リリアにとって全てのことが新鮮で、その目に映る全てのものが輝いて見えた。
ぐー……
突然、お腹のなる音がユランの耳に届く。
ユランではないので、音の主はリリアに違いない。
「あ、あぁぁぁぁぁ……これは、違うんですぅぅ……本日は、お昼から食事を摂っていなかったからぁ……」
リリアは、火が出そうなくらい顔を真っ赤にして、両手で顔を覆って、しゃがみ込んでしまう。
咄嗟に、ユランの手も離している。
「はははっ……」
ユランは、そんなリリアの様子を見て、思わず笑い声を漏らしてしまう。
「な、何で笑うんですかぁ……仕方ないんです……だってぇ……お父様の指示だったんですものぉ……」
ユランは、不用意にリリアを笑ってしまった事を後悔した。
(この
すっ……
ユランは、しゃがみ込んでしまったリリアに、右手を差し出す。
「リーン……?」
リリアは、ユランを上目遣いで見上げる。
「行こう! まだ開いてる店があるはずだ!」
笑顔で差し出されるユランの右手。
リリアは、目を細めて、その笑顔を眩しそうに見上げ──
「リーン……やっぱり、貴方は私の騎士様ですわ」
ユランの手を取った。
*
アーネスト王国の城下町は、様々な区画に分かれており、時間帯によって、それぞれの区画が見せる顔も違う。
平民街や貴族街と言った、人々が生活している地区は、夜が更けると早々に寝静まる。
しかし、労働者たちが集まる歓楽街などの地区は、深夜になっても賑わいを見せている場所が多い。
この地区には、酒場や屋台など、夜間まで働く労働者をターゲットにした店も多く、眠らない街とも言われているのだ。
普通ならば、ユランやリリアの様な年端も行かない子供が、深夜の歓楽街を歩いていれば、警備隊に声をかけられてもおかしくない。
しかし、アーネスト王国の王都は治安も良く、さらに幼い子供の夜間労働も禁止されていない為、ユランたち以外にも歓楽街を歩く子供はチラホラと見受けられた。
『常識の範囲内で、各々が子供に無理をさせない様に労働を課すこと』
と言うアバウトな法律であるが、当然、子供の意思は尊重され、拒否する子供を無理矢理労働させれば、罪に問われる。
しかも、状況によっては、かなり重い罪に問われることもあるのだ。
なので、当然──
「おじさん、これ二つ!」
ユランは屋台の前で、店主に銅貨を数枚わたし、商品を受け取る。
動物の肉を串に刺して焼いただけのシンプルな料理だ。
肉にかけてあるタレが、炎で炙られて、香ばしい匂いを漂わせている。
屋台の店主は、ユランたちの年齢など特に気にせず、商売に徹する。
王都の歓楽街とはそう言う場所なのだ。
ぐー……
串焼きの香ばしい匂いに釣られ、再びリリアのお腹が、可愛い講義の音を立てる。
ユランが、片方の串焼きを差し出すと、リリアはわずかに頬を染め、ソッポを向くが──
「……ありがとう」
素直に受け取った。
*
リリアは、屋台の平凡な食べ物を、
『こんなに美味しいもの、初めて食べましたわ』
と絶賛していた。
その後も、二人は何件かの屋台を巡る。
食べ物以外にも、様々な屋台があり、リリアの好奇心は刺激っされぱなしだ。
リリアは、屋台を巡りながら、
『楽しい』
『夢みたい』
などと、はしゃぎながら笑う。
その笑顔が、心から楽しそうで、ユランはリリアを連れ出して良かったと心から思う。
そして、ユランはリリアの笑顔に釣られて、自然と笑みが溢れてしまうのだった。
*
歓楽街を一頻り巡った後、二人は歓楽街の外れにある広場まで来ていた。
そこは、公園の様になっている場所で、小高い丘から満点の星空が見渡せる。
辺りに街灯なども無い場所であるが、月明かりが妙に明るく、お互いの顔はよく見えた。
「……綺麗な星空ですわね」
二人は丘の上に並んで腰掛け、夜空を見上げる。
思えば、ユラン自身もこれほどゆったりとした時間を過ごすのは、本当に久しぶりだった。
回帰前は勿論、回帰後にも気を張って過ごしてきたため、ユランは力を抜くことも忘れていた事に今更ながらに気付く。
リリアは、ユランの方に向き直り、言った。
「
リリアは無理矢理、笑顔をつくろうとして──
ぽろ……ぽろ……ぽろ……
リリアの瞳から、大粒の涙が溢れ、頬を伝う。
リリアは、それを拭おうともせず、俯き、下を向いた。
「私は、これからも籠の鳥として暮らし、一生を終えるのでしょう……でも、リーンとの楽しい思い出があれば、私は……幸せですわ」
少しも幸せそうじゃない顔で、リリアは『幸せ』だと言う。
「大丈夫なんです……慣れているんです……ずっと、そうだったんです……でも、幸せを知ってしまった私は……耐えられるんでしょうか……?」
自由に街を巡る。
そんな当たり前で、些細な事が幸せだと語るリリア。
今のユランが彼女にしてあげられる事は、その場凌ぎの幸せを与えることだけだ。
「リリア……」
ユランはリリアに向かい、手を伸ばす。
それが、その場凌ぎの優しさでしか無いと知りながら。
しかし──
「でも、私はリリア……リリア・リアーネなんです。きっと、最後まで……」
リリアはもう、涙を流していなかった。
リリアは、自分が虐げられ、人間扱いされない事に慣れすぎてしまった。
心の切り替えが、上手くなりすぎてしまった。
自分の本心を心にしまい込んだままに……。
「帰りましょう……夢はいつか覚めるんです……ならば、せめて目覚めは私の思う通りに……最後まで、エスコートして下さいますよね?」
リリアが、ユランの伸ばした手に、自らの手を重ねる。
ユランは、その手を黙って握り返す。
ユランは考えていた。
この孤独が、
回帰前の世界で、グレンを失った民衆は、リリアに彼の代わりを求めた。
リリアはその時、自分で選択する事など出来なかったはずだ。
周りの期待に応えなくてはと焦り、遂には呪いの剣、ブラッドソードにまで手を出し、自ら崩壊へと進んでいく。
ユランは、リリアをシリウスにしない為、やはりグレン・リアーネを救わねばならないと、新たに決意を固める。
リリアにグレンの代わりなどさせてはならない。
「リーン……きっと、いつかまた、私に会いに来て下さいませ……ずっとお待ちしておりますわ……いつまでも……いつまでも」
リリアは、ユランの手を握り、今生の別を惜しむ様に……寂しげに笑うのだった。
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