第13話 リネアと両親

 リネアは森の中を進む。

 木々が生い茂り、夕日を遮ってしまう為、森の中は真夜中の様に暗く足元が見えないほどだった。

 リネアは、慣れた手付きで持っていたカンテラに火をつけた。

 カンテラの光で、辺りがわずかに明るくなったため、奥に進むには問題なさそうだった。


 リネアがしばらく森の中を進んでいくと、開けた場所に出る。

 その場所の周辺は背の低い木々が多く、夕陽が差し込むため比較的明るく、カンテラの光は必要ない程だった。

 そこには、二つの墓が建てられていた。

 墓と言っても、大きめの石が二つ並べられ、そこに名前が刻まれているだけの質素なものである。


 「お父さん、お母さん、今日も来たよ」


 リネアは、二つの墓の前にそれぞれ、摘んできた花を置くと跪いて祈りを捧げた。

 両手を胸の前で組み、目を閉じる。


 リネアが、こんな時間に墓参りに来たのには理由がある。

 

 『死者の魂は夕暮れ時に戻ってきて、陽が沈んだ後に現れる』


 この辺りの地区には、その様な言い伝えがある。

 実際には『子供たちが、陽が沈む前に家に帰る様に』と、脅しの意味を込めて語られる様になった作り話だった。

 しかし、リネアはその作り話を信じている。

 いつか両親の魂がこの世に戻ってきて、リネアを迎えにきてくれると本気で信じていた。


 「お父さん、お母さん……いつになったら帰ってくるの? わたし、寂しいよ」


 リネアは、両親の墓の前で膝を抱えて蹲り、しくしくと泣き出してしまった。


 「もう嫌だよ……早く戻ってきてよぉ……」


 リネアの両親は4ヶ月前、村外れに現れた一匹の魔物に襲われ、亡くなった犠牲者だ。


           *

 

 その日、リネアと両親は一家三人で、村外れの草原にピクニックに来ていた。

 仕事が忙しく、なかなかリネアに構ってあげられなかった両親は、忙しい合間を縫ってリネアをピクニックに誘った。

 リネアは大変喜んで、数日前から両親にピクニックの話ばかりしていた。


 目的地の草原は開けた場所にあり、安全な場所だと思われていた。

 実際、この場所では事件らしい事件も起きた事はなく、リネアと両親は警戒すらしていなかった。


 ピクニックの当日、リネアと両親は草原に腰掛け、お弁当を広げて談笑していた。

 リネアにとって、両親と居られることが何よりも幸せだった。


 お弁当を食べている最中、リネアが遠くにあるものを見つけた。

 一匹の黒い毛並みの動物が、じっとリネアと両親を見ていた。

 リネアは最初ただの犬だと思い、その動物に近付こうとした。

 両親は慌ててリネアを静止する。

 

 「どんな獣かわからないから、近付かない方がいい」


 リネアの父親がそう言うと、リネアは素直に従った。

 黒い動物は、その間も動くことなく、リネアたちの方をじっと見ている。


 リネアの両親は気味が悪くなり、「家に帰ろう」と提案するが、リネアはせっかくのピクニックが中止になりそうな事が気に入らず、「帰りたくない」とわがままを言った。


 リネアの両親は、黒い動物から敵意を感じない事や、距離も離れていた事から、害は無さそうだと放置する事にした。

 何より、せっかく娘が楽しそうにしているのに、娘を悲しませる様な事はしたくないと言う親心がそうさせてしまった。


 リネアと両親が、再び黒い動物の方を見ると、相変わらず動かずにじっとこちらを見ている。

 少しだけ動物との距離が近くなった様に感じた。


 「なんか、近づいてきてない?」


 リネアの母親がそう言うと、リネアと父親もそれに同意する。

 まだ動物との距離は遠い。


 「気のせいかな?」

 

 リネアたちは、しばらく黒い動物の様子を見ていたが、動き出す気配がなかった為そのまま放置する事にした。


 リネアは楽しい時間が中断された事が気に入らなかったのか、プリプリ怒っている。

 リネアの父親は、そんな彼女のご機嫌を取ろうと頭を撫でてリネアを抱きしめた。

 リネアは両親にとって宝物であり、天使であった。

 

 リネアの機嫌も直り、談笑に花が咲く。

 リネアがする他愛無い話が、リネアの両親は大好きだった。

 やれ学校の授業が難しかっただの、やれ学校の帰りに綺麗な花が咲く場所を見つけただの、そんな他愛無い話だ。

 

 「最近、気になる男の子がいるの」


 などとリネアが言い出した時には、母親はニコニコと笑っていたが、父親は愕然とした顔をしていた。

 

 しばらくして、リネアがふと黒い動物がいた方向を見ると。


 「あ……え?」


 黒い動物は、はっきりと視認できる距離で立ち止まり、リネアたち親子の方をじっと見ていた。

 

 遠目からは気付かなかった事だが、その動物は明らかに普通ではなかった。

 外見は大型の犬やオオカミに近いが、眼球のない瞳は赤黒く濁っており、剥き出しになった牙は、外側に曲がる様に大きく変形している。

 全身、真っ黒な体毛に覆われた体躯は、2メートルは優に超えており、ソレがただの犬では無い事は明らかだった。


 「魔物だ……」


 リネアの父親が呟く。

 その身体は恐怖に震えていたが、リネアとリネアの母親を守る様に後ろに庇った。


 そもそも、過去にジーノの村の周辺に、魔物が出た事など一度もない。

 その為、リネアの両親も魔物の姿など見た事はない。

 しかし、明らかにただの動物ではない異様な姿に、本能的に魔物だと悟り、判断した。


 「本物を見るのは初めてだけど……あれは絶対に魔物だ。他にあんな生き物がいるわけない……ピクニック道具はそのままでいいから、刺激しない様にゆっくり逃げよう」

 

 リネアの父親は、二人にそう指示を出して魔物に背を向けない様に、二人を庇ったままでゆっくり後ずさる。


 すると、魔物は三人の後を追わず、その場に留まっていた。

 

 「このまま村に帰って、シエル先生かゼン先生を呼びに行こう。あの人たちは元聖剣士だ、何とかしてくれるはすだよ」


 リネアの父親は、二人を励ます様に言った。

 しかし、彼は二人を護ろうと必死なあまり、リネアの状態に気付いていなかった。

 リネアはガクガクと震え、「怖い……怖い…怖い」と譫言の様に呟いている。

 

 リネアの母親が、「リネア、大丈夫?」と声を掛けた事で、父親は初めてリネアの状態を把握した。

 しかし、


 「いや! たすけてぇ!」


リネアが恐怖のあまり、叫び声を上げてしまった。

 

 刹那、ザン、ザン、ザン、と草原を踏み締める音を立てて、魔物が動き出した。

 大口を開け、リネアたち親子に迫る。


 「逃げろ!」


 リネアの父親は、ドンっと、リネアとリネアの母親の背中を押し、魔物に向かって両手を広げて二人を護る様に前に出る。


 「お父さん!」


 「アナタ!」


 二人が叫んだ瞬間、


 ごりゅ


肉が潰れる様な鈍い音を立て、リネアの父親の上半身が魔物に喰い千切られた。

 鮮血が草原を赤く染める。


 「……あ……いや……いやぁ」


 リネアは、父親の無惨な死に様を目の当たりにして、現実を受け入れられず、膝を抱えて蹲ってしまった。


 「リネア! 逃げないと!」


 母親が無理やり手を引き、リネアを立ち上がらせる。

 手を引いたまま、村の方角に向かって走る。

 しかし、魔物の足は早く、すぐに追いつかれてしまった。

 

 「リネア!」


 リネアの母親は、リネアを抱き抱える様にして魔物に背を向けた。

 せめて、リネアだけでも護ろうと出た行動だ。


 「あっ……」


 リネアの母親が小さく声を上げる。

 

 ごぷっ


 リネアの母親の口から、真っ赤な血が溢れ出す。

 

 「おかぁさん……?」


 リネアの母親が流した血液が、下になっていたリネアの胸元に落ち、シャツを真っ赤に染めた。


 「大丈夫……」


 リネアの母親は、リネアの頬に手を当てて、彼女を安心させる様に笑顔を作る。


 「お母さんは……大丈夫だから……」


 リネアの母親が言葉を発すると、ごぽごぽと口の中で血液が音を立てる。

 それでも、リネアを安心させようと、母親は笑顔を崩さなかった。


 「リネア……村まで……はしって……先生を……よ、よんできて」

 

 「いや……おかあさんと一緒にいる……いや…いやだぁ」


 リネアは涙を流しながら、頬に添えられた母親の手を握る。

 母親の後方からは、ごりゅ、ごりゅと言う魔物が肉を咀嚼する音が聞こえた。


 「大丈夫……怖がらないで」


 母親は精一杯の笑顔を作り、リネアに笑いかけた。

 リネアは、自分の頬に触れる母親の手が、温もりを失って行くのを感じていた。


 ブン!


 リネアの眼前から、突然、母親の姿が消える。

 突然現れた青空が、リネアの目には真っ赤に染まった夕焼けの様に見えた。


 「あ……おかあさん」


 咀嚼する事に飽きたのか、魔物が母親の身体を咥え、後ろに放り投げた様だった。

 

 ドサ


 母親の身体は、力無い人形の様に地面に落ち、転がった。

 母親の身体はピクリとも動かない。


 「あぁ……あぁ……」


 譫言のように呟き、呆けているリネアに魔物が近づいてくる。

 大口を開け、その牙がリネアを切り裂こうとした瞬間、


 『おやめなさい』

 

 抑揚のない、無機質な男の声が魔物の動きを静止させる。

 

 『今日は偵察だけだと言ったでしょう?』


 魔物を責め立てるような声ですら、感情の籠っていない冷たいものだった。

 声のした方から、一人の男がリネアと魔物の方に向かって歩いてくる。


 「あ……あ……」


 リネアは譫言を呟くだけで、男の存在に気付いていない。

 男は魔物の頭を一撫した後、仰向けに倒れているリネアを見下ろした。

 クックッと喉を鳴らして笑うと、魔物に指示を出す。


 『ちゃんと後片付けはしなさい』


 指示を受けた魔物は、食べ残したリネアの母親の遺体に近付き、バリバリと咀嚼し始めた。

 それを見届けると、男は再度リネアを見下ろし言う。


 『アナタは見逃してあげましょう。その方が楽しめますし』


 そうしてる間に、リネアの両親の遺体を片付け終わったのか、男の元に魔物が戻ってきていた。

 男は満足げに魔物の頭を撫でると、魔物と共に去っていった。

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