第9話 絶世の太刀
クラス分けは、僕にとっては非常に助かる組分けだった。
刀哉と八咲が一緒で、僕だけ別のクラス。特に八咲に関しては心の底から良かったと思う。あんなことの後に、クラスメートですね仲良くしましょ、って自己紹介とか無理過ぎる。
投げつけられた言葉が思い出される。
誰もが触れなかったところを容赦なく抉ってきやがって……いやまぁ、だからと言ってアイツが悪いかといえばそうではないんだけども。
図星を突かれて逃げ出したのは、僕だし。
でもなぜ、アイツは的確に言い当てることができたのだろうか。自覚しながら完全に言い表すことを避け続けた結果、僕ではとうとう言葉を得ることができなかったというのに。
「──……以上です。それでは新入生の皆さん、これからよろしくお願いします」
壇上に立つ校長が最後に礼で締めくくり、進行役が二言三言述べて入学式は終わりとなった。
教室に戻り、入学式の日によくある自己紹介を済ませ、いくつかの連絡事項を聞いて解散。入学式と言っても昼くらいまでで、授業に比べたら早く終わる。
さて、どうしようかな。
窓際の席で体を伸ばしながら、強く照ってくる陽射しを見る。
今日はかなり暑い。四月の上旬にしては異様なほどだ。アスファルトが空気を温めてより気温を上げている。その暑さのせいで午前中だけだったのにやたらと時間が長く感じた。
夏とか酷いことになりそうだ。そう思いながらスマホを適当に触る。よく覗くSNSからお気に入りのコミックスの新刊情報が僕の目に飛び込んできた。これ、今日発売だったのか。買いに行かなきゃ──と思って席を立った瞬間、
「ん……?」
携帯に着信が入る。LINEだ。
『剣司』
相手は──と画面を見た瞬間、心臓が棘で締めつけられるようにズキリと跳ねた。
『今朝は悪かったな』
刀哉からだった。
「……だから、なんで君が謝るんだよ……」
刀哉は悪くない。情けない僕が悪い。八咲の言い分は当然なのだ。
あぁ……また余計に気を使わせる結果になってしまった。なんで僕はいつもこうなのだろう。あまり人と関わるべきではないのか。もうさっさとコミックスを買って帰ろう。クラスメートたちは思い思いにLINEを交換し合っているが、どうしてもそんな気になれない。
スマホをポケットに突っ込もうとした瞬間、手の中でスマホが再び震えた。
『ホームルーム終わったなら、ちょっと中庭に来てくれ』
中庭? 行くワケがない──。
『俺に対して申し訳ないと本気で思ってるなら、来い』
「──」
体が固まる。刀哉からのメッセージが持つ引力は、僕の目線を釘付けにして離さない。
それは、僕にとっては条約よりも強制力を持った言葉だった。
「……ずるいなぁ。そう言われたら、行くしかないじゃないか……」
しかし、今まで刀哉はこんな風にあの時のことを人質──この言い方が合っているかは別として──というか、僕の後ろめたさにつけ込むようなやり方はしてこなかったはずだ。
どこか違和感を覚えながらも席を立ち、重たい足を引きずった。
×××
中庭。学校紹介のパンフレットにも記載されていた、二段の噴水の脇。公立の高校にしては珍しいからこそのアピールポイントなのだろう。背中を向けて、囲うように四つのベンチが配置されていた。しかし、刀哉と八咲はベンチに腰を掛けることなく僕を見つめていた。
「……来たよ。なんだ、尋問でもするのか」
「ンなことするワケねぇだろ」
鼻で笑うのは刀哉だ。
「勧誘だよ、勧誘。剣道やろうぜ」
「やらない。言っただろ。あんなことを起こす可能性があるヤツが、どうして剣道を──」
「そうやっていつまでも膝を抱えて、君はいったい何様のつもりかな?」
僕と刀哉の間に割って入ったのは八咲だ。相変わらずの切れ味。一言浴びる度にどこか体を斬られたのではないかと錯覚する。
「剣道部に入るつもりはないのだろう?」
「……ああ、ないよ」
「じゃあおかしいな。君は矛盾しているぞ?」
「なにが」
「剣道部に入らないと決めているなら、どうしてそんな今にも泣きそうな顔で公衆の面前を歩いている? 私からしたら──剣道に未練しかないように見える」
は? 何を言ってる?
「だってそうだろう?」
思考が停止する僕を置いてけぼりに、八咲は言葉を続ける。
「今の君は、まるで誰かに引き留めてもらいたがっているようにしか見えない」
「なん、で、そうなる」
そんなワケあるか。僕の心の中にはいつまでも分銅がのしかかっているんだ。それもとんでもない重さのが。僕の体──否、心を押しつぶして、顔を上げることすらままならない。
「分かるのか? おまえに。どうしようもなくなって、絶望しかなくなった人間は、心に翳りを落としながら生きていくしかないんだよ。それが自分の背負った罪で、受けるべき咎で、僕が刀哉の時間と剣道を奪ったことに対する……償いだ」
赦されたかった。今、刀哉がどう思っているのか。怖いけど、知りたかった。
僕の前では平然とした顔を見せている。だからこそ、今、刀哉の心の内を知りたい。
そして、赦されたい。『赦してくれ』と今更ながら懇願するのは違う。
なぜなら、僕は刀哉に償いきれてないから。
僕が刀哉に赦してくれと願うのは、その償いが終わってからだから。
だから僕は、僕の人生の爪先を闇に向ける。
「誰のためにやっている?」
「──え?」
「君の言う償いとは、誰のためにやっているのかと聞いている」
「そんなの、刀哉の、ため」
言った瞬間、刀哉は「ハッ」と馬鹿にしたように笑い飛ばした。
「いいや、違うな」
八咲がベンチに座って足を組んだ。誰もが日常でやる動作のはずなのに、どうしてか八咲がやるとどこか有無を言わさぬ迫力が滲んでいた。
「君は、君のために、『償い』という毛皮を被り、可哀想を演じているだけだ」
「──、────」
あーあ、言いやがった。刀哉のそんな言葉が、どこか遠くに感じられた瞬間だった。
視界に火花が散った。右拳に力が入った。
歯が嫌な音を立てて軋んで──、
「ストップ、剣司。そりゃダメだ」
思考回路がショートした僕が行動を起こすよりも先に、刀哉が僕の首に腕を回した。
「やんなら、これでやれよ。あくまで条件は同じじゃねぇとな」
そう言って、僕の手に何かを握らせてきた。
「あ──」
触っただけで分かる。このつるりとした感触。長いこと使ってないとここまで剥げやしない。
僕にとって呪いの──竹刀。
どぐん、と心臓が一際強く脈打った。
トラウマが蘇ろうとしてくる。視界の端から、罅が走るように血が巡ってくる。
点滅して、ゆっくりと、目の前で沈む防具姿の剣士。言うまでもなく、刀哉の──。
「構えろ、腑抜けが」
赤く染まる視界の中に、刀哉から受け取ったのだろう、竹刀を構える八咲がいた。
しゃらん、という煌びやかな鉄の音がした。
「──」
視界を染める鮮血が、一瞬で吹き飛ばされた。
綺麗だ。全ての思考を置き去りにして、僕はそう呟いた。
八咲の構えは、今までに見たどの構えよりも、先生の構えよりも、綺麗で。
脳天から爪先まで、僕の全細胞が彼女の姿に夢中になった。
「一太刀でも振ってみろ。そうすればもう二度と私たちは君を勧誘しないよ」
だが、と空気を叩く噴水の音に紛れて、鈴のような八咲の声が響く。
「私が打ち込むまでに竹刀を振れなかったら──剣道部に入り給え。その腑抜けた根性を叩き直してくれる」
ちょっと待て。そんなの、知るか。ふざけるな。
ああ、ダメだ。動けない。鮮血の映像の代わりに、絶世の構えが君臨している。
水が弾けるような、流麗な動き。
空気に溶けるような、無駄のない体捌き。
何だおまえ。なんなんだ。八咲 沙耶。おまえはいったい──。
「メェエエエンッッ!」
何者なんだ。
学校を象徴する噴水の中庭に、甲高い炸裂音が響いた。
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