【やらかし】のフォートは英雄の道から逃れられない

天流貞明

第1話 【やらかし】のフォート



「あんた、知らねえのか? ランパラート王子追放の話。もう2年くらい前になるかなあ」

 

 大勢の客で賑わう大衆食堂【白午しろうま亭】。喧噪の中、背後から小さく聞こえてきた世間話。フォートはスープを口に運ぶスプーンの手をぴたりと止めると、こっそり聞き耳を立てた。


「……3年前に英雄として王都に凱旋したはいいが、すっかり人が変わっちまったらしくてよ。話によりゃあ、毎日浴びるように酒飲んでは歓楽街で派手に放蕩するわ、女遊びするわ、スラム街でゴロツキ相手に派手に喧嘩するわ、とにかくやりたい放題。王都内での評判が一気に地に落ちちまったんだと」

「信じられねえ。あの質実剛健剛勇無双でならした【不落】のランパラート王子がか? 何かの間違いじゃねえのか?」


 盗み聞きをしている身でこんなことを思うのも何だが—―明日開催される年一の大会のため、店内は騒然としていて、声が聞きとりづらい。込み合うであろう正午の飯時を完全に外して来店したはずなのにだ。


「俺だって信じられねえよ。でも、王都からこっちに来た奴らも、王都に商売に行って帰ってきた奴らも、揃って同じこと言うんだ。たぶん事実で間違いねえ。……んで、これは王都の奴から聞いた噂話なんだがな。南部戦線での行き過ぎた殺戮、略奪行為とか女子供への……ナニまで発覚したとか何とか……」


 うわあ、と男は軽く悲鳴を上げた。 


「とにかくだ。さすがの王様も愛想が尽きたし、家臣連中からの突き上げもあって、ついに更迭されたってわけよ。それが2年前。まあ、事実上の追放だな」

「……知りたくなかったぜそんな話。一気に幻滅だよ。最低の野郎じゃねえか」

「大枚はたいて手に入れた王子の写真、破り捨てたって奴もいたぜ。気の毒になあ」

「戦争が終わって気が抜けただけかと途中まではそう思ったけど、もともとそういう奴だったってわけか。人ってのはわからねえもんだ」

「城砦は守れても、ってやつだ。まったく、【不落】の名が泣くぜ」


 ウマいこと言うなあ。フォートは苦笑いを浮かべて呟いた。

 話題が締められる直前だった。フォートの相席にいたメイドの女性が、主であるフォートの異変に気付き、少し心配した様子で問うてきた。


「フォート様。どうなされました? お手があまり進んでいないようですが……もしやお体の具合でも?」


 フォートはおっと、と漏らして盗み聞きをやめ、止まっていたスプーンをまずは一杯。


「ここの料理はお気になんだが、今日のは格別にうまい。思わずゆっくり味わってしまったんだよ」


 はは、と肩をすくめる。メイドの女性――システィーナは「はあ……」と不思議そうにそれだけ返した。

 後ろの連中の話は彼女には聞こえていなかったようだが、何よりだ。聞かれていたなら、多分ひと悶着あったかもしれない。フォートは冷めだしたスープのカップを口につけて一気に飲み干すと舌鼓をうち、女給に追加の注文をすることで体調をシスティーナに誇示した。


「ミュリエルちゃん。次の料理の注文を」

「あっ。はーいはいはい! 今のお客さん終わったら行きまーすー!」


 ミュリエルと呼ばれた給仕の少女は背中でフォートに返答した。接客に忙殺されながらもその声は快活。愛嬌がある。そして1分ほどで、給仕の少女・ミュリエルはぱたぱたと速足で、フォートの席に到着した。


「フォートさん久しぶりだね。今日はやっぱりアレ見に来たの? 武術大会」

「も、あるけどね。キミの顔が見たくなって会いに来たんだ」


 もー、と呆れ交じりで破顔するミュリエル。ふわりとした明るい栗色の髪の器量よし、朗らかな笑顔を絶やさぬ愛嬌よし、ついでに艶やかな曲線と起伏のスタイルよし。大衆食堂【白午亭】の看板娘である。


「いいんですかー? 女の子連れなのにそんなケーハクなこと言っちゃって。で、ご注文は?」

「ただのメイドです。私のことはお気になさらないでください。それにしても、フォート様の話に聞いていた通りのお方ですね。これなら店が人気なのも納得です。私はこのチシャのサラダを」

 

 にこり、と他意なくシスティーナは微笑んだ。


「ちょっとフォートさん、いったいどんな話を吹き込んだの? もう」

「いや、普通に事実を」


 少し困惑した様子で、ミュリエルは顔を赤らめる。


「それでだ。明日は俺のかわいいい愛弟子の晴れの舞台なんだ。ちゃんと見届けないとね。俺、海鮮ライス炒め大盛りで」

「弟子……? あっ!! それってもしかして最年少で勝ち上がってきたっていう例の男の子のこと? あの子フォートさんのお弟子さんだったんだ!! 噂でもちきりよその子!!」


 ぱあっと笑顔が花咲く。こうやってころころ変わる表情も、見ていて楽しいし、癒される。まあねえ、とフォートは誇らしげに鼻を搔きながら言う。


「王都にいたときはそういう仕事してたんでね。筋がよさそうな少年だったから、ちょこっと教えてあげたら、それはもう想像以上。若いってのはいいねえ。最高だ」

「フォートさんまだ30にもなってないでしょ。ほんと、王都から来たってのは知ってるけど、そこで一体何の仕事してたの? 衛兵さんとか?」


 注文書に万年筆を走らせながらミュリエルは問うたが、フォートは「それは秘密」とだけ返した。特に食い下がるでもなく、ミュリエルは次の客の元へ小走りに駆けていく。


「よお。【やらかし】のフォートさんじゃねえか」


 可憐なミュリエルがおわしていた空間を、頼まれてもいないのに、お節介にも埋めてきた一団たち。腹が膨れて満足したなら、そのまままっすぐ出ていけばいいものを。昼だというのに酒まで入っている。


「お前さんも武術大会か? それともいつもの借金の返済か? んん?」


 フォートが拠点としている領地・レモネスト領ギルドの荒くれ連中だ。隣領に来てまで出会うとは、催し物があるからとはいえツイてない。他にも知らないガラの悪い顔を何名か、そして商売女などを連れている。


「なに? この兄ちゃん」

 

 不躾に、知らない顔に指をさされるフォート。すると、「こいつは【やらかし】のフォートっていってな」と、ご丁寧な御解説が始まった。


「なんでも王宮勤めだったのが、何かアッチで、どでかいヘマをやらかして僻地のレモトネス伯爵領に左遷とばされてきたんだと。そんで、ついたあだ名が【やらかし】のフォート。こっちにきてもヘッポコは健在で、そこかしこに借金があるらしい」

「あらぁ。折角のいい男なのに」

「こういう奴は顔だけ顔だけ」

「見た感じ貧相そうな身なりなのに、地主や貴族みてぇにメイド雇う余裕はどっからきてるんだ? もしかして、弱みでも握ってタダ働きさせてるわけ?」


 どっと下卑た笑いが起きる。好き放題言ってくれるよと諦観の表情で、同調するようにフォートも苦笑いで返す。

 だが、それを断じて許せない、赤銅色の双眸があった。


「失礼します。――恐れながら主人に対する皆様方の言動、些か品位に欠けるかと思われます」


 思わずフォートは「あ、やべ」と声を漏らした。


「あ? 何だメイドの姉ちゃん。文句でもあんのか?」

「はい。何卒、発言の撤回を」


 ギ、と奥歯を嚙み、自身の華奢な体躯の倍近くあるかという大男たちを、システィーナは一切の物怖じをすることなく睥睨する。まだ20になったばかりで、少女のあどけなさを残した美貌にはおおよそ似つかわしくない度胸と啖呵。怒気は抑え、声の一つも震わせていない。


「おいおい姉ちゃん。随分とガンつけてくれるじゃねえか。まさか俺たち相手にやろうってんのか? ああ?」

「……」


 システィーナは無言で荒くれたちを睨みつけたままだ。だが怒りの炎をたたえた赤の瞳は、「お望みとあらば」という意思を雄弁に物語っている。

 まずい。さすがのフォートも焦りを隠せずその場を制止させた。


「まあまあまあまあまあまあ……。システィーナ、こんなところで騒ぎを起こしたら店に迷惑だよ。ここは俺に免じて」


 フォートはシスティーナを庇うように席から立ち上がり、間に入ってみせた。


「ですが……」

「いいからいいから。――兄さん方、ちょっと酔われてるんじゃない? 外の風にあたったほうがいいと思うよ。ね? この子にはあとでよく言っておくから。この通り!」


 と、平謝りで場を宥めようとする。

 傍から見れば――顔と体躯はそこそこ立派だが見せかけだけで、中身は意気地なし、軟弱物の優男が、強者に無様に詫びを入れる、何とも情けない構図に他ならない。


「……チッ。くだらねぇ。行くぞ」


 すっかり肩透かしを食らったのか、仲間と女を連れ、出入り口の鐘を鳴らしながらぞろぞろと店を出ていく荒くれたち。そして出ていく間際に、捨て台詞のように大声を吐き散らした。


「おい【やらかし】のフォートさんよ!! 誰かさんのクソ真面目のせいで、こちとら商売がすっかりやりづらくなっちまった。あんまりやりすぎると、己の身を滅ぼす。そう伝えとけ!!」


 そして、乱暴に扉をバタン、と叩き閉める。さすがの大音声に、喧噪の中にいる客たちも、一斉にそちらに視線を見遣った。


 しばらくの間、フォートとシスティーナは、無言で相席し合っていた。フォートは先程の事など無かったかのように、鼻歌交じりに締めの甘味をメニュー欄から物色。システィーナはというと、頭に昇った血がようやく引いたのか、わずかに俯きながら、ぽつりと消え入るように切り出してきた。


「申し訳、ありません」

「いいんだ。料理食べて忘れてしまおう。さっきのスープでわかったろう、ここの料理はすごく美味しいんだ」

「あ……はい」


 ややあって、ミュリエルと料理が到着する。まるで不毛な大地に花が咲いたようだ。

 

「はい、お待ちどーさまー。チシャのサラダと海鮮ライス炒め大盛りでーす。フォートさん。さっき、ビミョーに揉めてたようだけど、何かあったの?」


 配膳をしながらミュリエルは、不愉快そうな足取りで喧噪を肩で風切って闊歩する荒くれ連中の背を見送る。何があったかは適当にはぐらかし、フォートは出来立ての料理に再び舌鼓を打つのだった。

 

                ◆◇◆◇◆


「まったく、相変わらずきみは俺の風評のこととなると、すぐ頭に血が昇るな」


 すぐ隣で恥じ入るシスティーナを従え、フォートは活気の中込み合う雑踏を歩いていた。明日の武術大会を観覧しようとする観衆、商機を逃がすまいとする商人や出店の商魂逞しい喧騒、大会の勝敗の賭けに興じる連中。街はお祭り騒ぎだ。

 目的地は予約した宿である。ちなみに、費用削減のために同室にしてはというシスティーナの助言は断固として断らせてもらった。


「あの……やっぱり怒っています?」

「まさか」


 あっけらかんとフォートは返す。


「俺のために怒ってくれたんだろう。逆に嬉しいくらいだよ。――でもな、俺はこういう性格キャラクターで食っていくって決めたんだ。それをいまさら曲げるわけにはいかない。だからあんなのは、聞き流してればいいんだよ」

「悔しくは、ないのですか? あんな風に好き放題言われて」

「確かに、時々本気でイラッとする言いがかりをつけられることもあるけど、さっきのは軽い挨拶みたいなもんさ。それに、大方は別に間違ってはいないからねえ。王都でダメ男やってたのも、そのせいで更迭とばされたのも、あと借金あるのも」

「……私は、悔しいです。だって—―」


 愛用のトランクケースの持ち手をぎゅっと握り、すがるようにシスティーナは見上げてくる。銀糸のような髪がふわりと揺れる。


「だってあなたは、殿は私の。私たちの命を—―」


 もどかしさを叫ぶように吐露したシスティーナ。だが、フォートはそれを言い切る前に「――しっ」と遮った。


「……システィーナ。どうやら、俺のお客さんみたいだ」


 システィーナはハッとして思わず背後を見遣る。

 3人、4人……曲がり角からさらに男達が合流し、5人、6人……。刺青に、顔の生傷に、抜身の得物を隠さないせっかち者までいる。いずれも体格の良い、ガラの悪い男達揃いだ。何気ない素振りをしながら、フォート達を尾行している。

 やれやれ、とフォートは腕を後頭部で組んだ。


「こりゃあ【白午亭】にいたのを密告チクられたかな」

「いかが致しましょう。フォート様」


 少女のしおらしさを先程まではたたえていたシスティーナだったが、今ではすっかり覚悟を決めた表情になっている。


「男のお誘いってのがちと残念だけど。ま、お話くらい聞いてあげましょうかね。――絶対に離れるなよシスティーナ」


 その一声で、お茶らけた態度をずっと崩さなかったフォートが豹変した。

 そしてゆっくりと、街の袋小路に向かって、一団を誘導するのであった。


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