第2話


  いちおう、さまざまな風変わりな文学の形式とか、ありうべき可能性ということで書き始めたものの、そもそも自分と文学というものに何の関係が?というと、これも ambigous である。


 ここは小説サイトで、小説は文学の一分野で、というだけで、漫画、動画サイト、あるいは、広義の様々な表現形式?ポップなアート、音楽、イラスト、映画、…近年は文学や小説は様々な選択肢の一つ。でしかない。


 自分に向いているのがなぜに文学か?というのはあって、リテラシーの高さとか、読書量の蓄積、蘊蓄の多寡の差とかいろんな要因で、文筆、綴り方関係がまあかろうじて「語るに足る」で、「語るに落ちる」でないというだけかな?


 義理の兄が、割と読書家ですが、うちの、ボクの本棚を見て、「なかなかいい本を集めてるな~」と言ってくれたりして、読書一般のセンスでもローブローでもないかな?とも思います。が、精神を病んでほぼハイジン?という灰色の期間が大半で、今もそうですが、ハが取れて、晴れて「偉人」となるまでには前途遼遠という、寧ろ、只の健全人にも程遠い状況です。


 ですが、読書には兎に角人格を陶冶する効果はありそうで、「ポジティヴシンキングと同様の効果」もある、と、愛読書の中にあったです。


 障害があって、でも鈍感力で?明るく生きている人は多いし、何食わぬ顔で、成功者にmetamorphoseするという、そういうケースもざらで、作家でも例外でないと思う。


 執筆をpsychotherapyの場とする、そういう創作動機の過去作もあります。それはかなり、フィクショナルに、話を構成していて?、”藝術療法”を指導してもらっている被害妄想の患者の、日記と実作した小説作品をオーヴァーラップさせる、という手法、趣向で書いてました。


 で、そういうtherapyの方法論の骨子は、結局complexの解放かと思うのです。


 言葉や観念のこだわりとか、気になっている過去のトラウマ。端的には、精神分析は、実際にはあいまいですけど?なんとなくこだわっているトラウマをあぶりだして、意識的にして、言語化して、で、合理的に処理をして、解決する。たぶんそういうこだわりになっていることの”意味”を理解するだけでも神経症状が改善するという、基本はそういう道筋で、自由連想も夢の分析も、そのための資料。


 

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