3
「え?」
僕の素っ頓狂な声に、美咲は肩を跳ねさせて僕を見る。そして、僕を見るなりキョトンとした顔で首を傾げた。
「……さっき見てたって……あの神社の?」
「え、うん」
美咲は意味がわからないとでも言うように、眉根を寄せながら頷く。
「昔ってどれくらい…?」
「幼稚園生くらいの時じゃなかった? 私のママとなおちゃんのママがあの近くでばったり会っちゃってさ。始まった長〜い世間話に飽きて、私が誘ったんだよ。なおちゃんったら途中で転んで大泣きしてさ? あの時は大変だったよね〜」
……全く覚えがない。
「ごめん、ほんとになんのこと?」
えぇ〜なんて言う美咲は、突然ハッとした表情になる。それから……ふにゃぁと笑った。
「私の記憶違いかも。なおちゃんがまったく身に覚えがないんだもんね。……えぇー。私、誰をなおちゃんと間違えたんだろ」
何かを隠した。そう思った。だってあまりにも困ったように笑うから。何かを隠す時、美咲はそうやって笑う。僕はもう一度自分の記憶を掘り返してみる。……神社……階段……転ぶ…?
視界が揺れる。
……あぁ、暑い。
一口煽った炭酸は、とてもぬるくなってしまっていて、ただ流れた感覚だけを喉に残していく。
「……僕があの神社を知ったのは、小学校の時だよ」
「え、こんなちっさい町なのに?」
美咲が目をまんまるくして僕を見る。僕もそう思うよ。
「興味なかったんだと思う。ほら、小四くらいの時にさ、あの階段を上りきったら願いが叶う、ってウワサが流行っただろ。そん時に、そんな場所あったんだーって思った記憶がある」
「あーあったあった。なんだっけ。願い事を唱えながら三回、上り下りするんだっけ?」
「そうそう」
「……あっ! 思い出した! 確か翔が誰かと付き合いたいって願ったって盛り上がってなかった?」
「あったなぁ、そんなこと。で、その相手が舞だったんだよな。高校でやっとわかったんだよ」
僕は薄目で遠くを見る。翔が少し恥ずかしそうに僕と達也にその恋心を告げてきたその時のことは、今でも覚えてる。しかも愛と早紀から、舞の翔への好意は聞いてたからもう驚いたのなんの。
「そう……それだ!」
「え?」
美咲は大声をあげてベンチから飛び上がる。
「早紀が痺れを切らした理由!」
目をキラキラさせた美咲が僕を見る。じわじわと込み上げてくるのはなんだろうか。気づいたら僕はまた大笑いをしていた。
「そうだったね。なんでそれで痺れを切らすのか、結局最後までわからなかったなぁ」
「早紀は少女マンガとか好きだしね〜。ほらそれが転じて編集者してるぐらいだし。限界が来るのも納得」
「ほんとかよ」
「ごめん、ウソ」
美咲はんふふと面白そうに笑う。どんな嘘だよ。
「あの噂ねぇ……。私もおもしろそー! って思ったことはあったけど、結局やらずじまいだったなぁ」
美咲は足を投げ出して、空を見上げる。僕は彼女の横顔からそっと目を離した。
「……僕は上ったよ。何を願ったかは覚えてないけど、大変だったことは覚えてる」
「えっ初耳‼︎」
「嘘つけ。高校の時にも話したよ」
「えー? そうだっけ?」
その言い方は覚えてるだろ。美咲は何かを含むようにニヤニヤと笑う。僕はそんな美咲を横目に、炭酸を一口、口に含んだ。
僕らが口をつぐんだからか、ヒグラシの声が一段と大きく聞こえてくる。僕はそのうるさくも心地よい声に酔いしれる。
……あ、そうだ。
「上ったら、思い出せるかな」
僕はポツリと呟いた。
「さぁどうだろうねー」
美咲は言った。
「あっ、そうだ」
美咲がパチンと手を打つ乾いた音が、湿気に潤う。美咲はポケットからスマホを取り出してきた。
「ほら、見てこれ。達也が骨折したーって連絡してきた時に、一緒に送られてきた写真」
僕は出されたスマホを覗き込む。写真は足を包帯でぐるぐる巻きにされて、満面の笑みでピースをする達也だ。
「懐かしい顔…」
自分からぽろりと出たその言葉を自分で理解する前に、美咲が吹き出した。
「どんな、反応……フフッ、そ、そうだよね、卒業アルバムとか開かないしね、ンフフ」
笑われるのは解せない……けど、美咲がどうしようもなく楽しそうに笑うから、僕は文句の言葉を飲み込む。
「ねえ、他にも写真持ってたりする?」
「ンフ、あるよ。見る?」
「うん」
美咲は幾つもの写真を見せてくれた。写真を遡って、みんなの写真を見つけては、これはね、とその時のエピソードを交えて見せてくれる。
写真の中のみんなはとても楽しそうで、とても嬉しそうで……思わず羨ましいと思ってしまった。写真と共にエピソードを語る美咲は幸せそうに笑っていた。
「今度の正月は帰ってきなよ」
「……うん」
「みんなも会いたがってたよ」
「……うん」
「ぜったい、絶対帰ってきてね」
約束! と小指を立てる美咲に、僕はなぜか泣きそうになった。
約束を結んで、満足そうに笑って、美咲はベンチを立ち上がる。
「そういえばさー、なおちゃんってどうしてこの町出たんだっけ?」
「んー? んー……こんなところで終わりたくなかったから、かな」
夢はあった。けどそれが理由だった、なんてこともなく。ここが嫌だったから飛び出した。東京に行けば何か変わるかもと漠然に思っていた。
「ま、その結果がこの社畜なんですけどね」
僕は自嘲気味に笑う。
漠然と思うだけじゃ何も変わらなかった。ただ時間を浪費しただけだった。同級生はこんな立派にやってるのに。
美咲は何かを言いたそうに口を開けるも、何かが出てくることもなくそれは閉じられた。項垂れた美咲が僕より痛そうで、僕は笑う。
「これでも生きてますから。生きてるだけで儲けもんっていうだろ? 生きてるからこうやって美咲とも話せてる。だから大丈夫」
ヒグラシが鳴いている。橙色に染まった空の下で、美咲は眉を八の字にして笑った。その笑顔はどこか寂しそうに見えた。
「夢なんて忘れられればいいのにね」
「……え?」
脈絡のない突然出てきた言葉に僕は聞き返すも、美咲はただ笑う。
ぬるくなった炭酸の側面を水滴が伝って、地面にぽたりと落ちる。風が自分を主張して、僕らの間を吹き抜けていった。
「あ」
夕焼け小焼けのチャイムが鳴る。十八時だ。
「えー。もうそんな時間? 一時間も話してたんだね、私たち」
「高校の頃に比べたら短い方だろ」
「確かに」
僕らは顔を見合わせて笑った。
「私、そろそろ帰ろっかなぁ。なおちゃんは?」
「んー。ちょっとあそこの神社にお参りしてから帰ろっかな」
「えー? あの階段上るの?」
肩を落として、すっごい嫌そうな顔をする美咲。
「まるで付いてくるかのような反応するじゃん。僕が上るんだから僕の勝手だろ? それに記憶にある階段よりずっと短かったし」
「でももう六時だよー? 田舎の夜は早いんだからね?」
まだ言うか、僕は苦笑する。
「わかってるよ。だから少しだけ」
「……そっか。じゃあ私も上ろうかな」
口に流し込んだ炭酸を吹き出しそうになる。じゃあって何がじゃあだ。あ、気管に入った……。
「なおちゃんは怖がりだし、私がいないと泣いちゃうもんね」
「いつの話だよ」
美咲はむせながらも笑う僕を見るとニヤーと口角を上げる。
「それじゃあ、しゅぱーつ!」
「あ、おい、押すなって!」
さっきまであんなに乗り気じゃなかったのに、なんて考えながら、空になったペットボトルを自販機の横のゴミ箱へと放り投げた。ペットボトルはきれいな弧を描いて、ゴミ箱の中に落ちていった。
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