「私リンゴジュースで!」

「はいはい」

 ジャリジャリと音を鳴らしながら、凸凹道を自販機に向かう。美咲は軽い足取りで近くのベンチへとさっさと腰を下ろす。

 えっと、リンゴジュースは……あった。ガコンとペットボトルが一つ落ちる。えっと僕は……コーヒー……って気分でもないしな。あ、炭酸がある。これにでもしようか。ボタンを押すとまた一つ、ペットボトルが落ちた。

「ありがと〜」

 ベンチに座る美咲にリンゴジュースを渡して、自分もその隣に腰掛ける。ペットボトルの蓋を回すとシュワと気持ちの良い音が鳴った。

 ……いや、なんで僕が買ってるのさ。

「いやはや〜、申し訳ない。まさか財布を持ってきてないとは」

「自分が財布持ってるか持ってないかくらい把握しておいてよ」

「面目ない……うま」

 飲むのが早い……。躊躇って言葉知ってる?

 僕はため息をつきながら、ペットボトルを口に運ぶ。口に流し込んだ炭酸は、舌の上で弾けて、暑さに渇いていた喉を潤していく。

「……最近暑いな」

「ねー」

「……昔はもっと涼しかった気がする」

「そうだっけ? 覚えてないや」

「そっか」

「うん」

 ……か、会話が続かねー。そんなことある? ここに誘ったの美咲だよな?

 何とも気まずい空気を紛らわそうと炭酸水をちびちび飲みながら、誰も何も通らない目の前の道をボーと眺める。それにしても本当に暑い。道路を挟んだ山の斜面のところにゆらゆらと陽炎が揺れている。ペットボトルにまとわりついた水滴が、ツーと落ちて地面にシミを作った。

「……で、さっきから何」

 耐えきれず、さっきから僕に熱視線を送ってくる隣へと目を向ける。

「炭酸って美味しいのかなぁ〜と思って。ちっちゃい頃からずっとそれ一択だよね」

「愚問だね。何度聞けば気が済むの?」

 僕はまた一口炭酸を口に含む。

「百回」

「もうそれ以上答えたよ」

「じゃあ二百回!」

「百ずつ増えてくんだ」

「え、じゃあ一万回!」

「飛んだね」

「もー、なにがお望み⁉︎」

 美咲は勢いよくベンチから立ち上がる。その勢いに一瞬たじろぐも、昔と変わらない反応に僕は声を上げて笑ってしまう。

「そんなに笑うことないじゃん。変なの」

 美咲はブスッとしてどさっとベンチに腰を下ろす。ベンチが少し跳ねた。

 次は何をするんだろうと横目で彼女を見ていると、

「炭酸なんて舌が痛くなるだけなのに、何がそんなにいんだろ」

 と、リンゴジュースを口に運びながらボソッとつぶやく。止まりかけていた笑いがまたじわじわと昇ってくる。

「相変わらずの子供舌」

「な⁉︎」

「その通りでしょ。炭酸飲めないし、まだリンゴジュース飲んでるし。何年も会ってなかったのに、そんなに好み変わらないことある?」

「え⁉︎ リンゴジュースは美味しいでしょ⁉︎」

「プハッ」

 もうだめ。論点変わっちゃった。

「なに、リンゴジュースを貶すの、そんな面白い?」

 お腹を押さえてヒーヒー笑う僕を美咲は怪訝そうな顔で見る。

「リンゴジュース『は』貶してないよ。美咲は変わらないなぁと思っただけ」

「リンゴジュース『は』? 私のことは貶してるってこと⁉︎」

「違うって」

 久しぶりの再会にギクシャクしている気がした空気は、気のせいだったみたい。美咲といるとこんなに昔と同じように笑える。ここにたむろって、なんてことないことを二時間も、三時間も話し続けては笑い合った中学、高校時代が思い起こされる。あの時は漠然とこんな日々が続くって信じてたっけ。……懐かしいなぁ。

「……ねえ、みんなはどうしてるの?」

「おっ、なおちゃんからその話振ってくるとは!」

 美咲は嬉しそうに声を弾ませる。

「じゃあ、嬉しーニュースと、悲しーニュース、どっちがいい?」

「ニュースって」

「ほら、はやく選ーんで」

 美咲は立てた両人差し指を左右に振る。こういうのはいつも悲しいニュースから選ぶんだけど……。

「嬉しいニュースで」

「お、珍し。嬉しーニュースはねぇ、なんと、舞と翔が結婚します!」

「え⁉︎ マジかよ」

「まじまじ」

 舞と翔といえば、両思いのくせに全然くっつかなくてヤキモキしたカップルだ。

「感慨深いなぁ」

「ねー。あの時、小、中ってずっと両思いなのにくっつかないから、痺れ切らして色々画策しちゃったけど、今思うとやってよかったね。あのまま放置してたらくっついてたと思う?」

「全然」

「だよねー」

 クスクスと笑う美咲。

「早紀が一番最初に音をあげてたのが面白かったなぁ」

 懐古するように空を望む彼女の視線を追って、僕も空を仰ぐ。

「あの中で誰よりも我慢強かったよな?」

「そうそう。みんなでテスト勉強した時なんて、みんなが投げ出してる中一人でずーっと勉強してたもん。しかもそのくせ怒りっぽくて! すーぐ私のこと叩いてくるの!」

 まるで被害者のように頬を膨らませてるけど……

「それは美咲が勉強し始めて五分もせずに、他の人にちょっかいを始めるからでしょ」

「あ、覚えてる?」

「覚えてるよ」

 美咲はあちゃーといたずらっ子のような顔で笑う。忘れるわけがない。忘れられるわけがない。あの日々は、今でも僕の宝物なんだから。

「まあ、早紀が痺れを切らしちゃったせいで、あの持ち前の行動力で翔に突撃するわ、舞に誤解されて友達関係は拗れるわ、二人の関係も拗れさせるわ……いや、こう振り返ってみると私たちよくやったな」

 突然の真顔の自画自賛に笑いが溢れる。そうだな、なんて無難な返事をして、僕は美咲から目を逸らした。

 あいつらが付き合ったのも、ここでだったっけ。僕らは自販機の後ろに隠れてて、舞が頷いた瞬間にわーって飛び出してみたり。その時の二人の顔は傑作だったな。

「舞と翔の結婚、早紀が一番喜んでたよ」

「だろーなー」

 二人が付き合った時も泣くくらい喜んでたし。なんと言っても二人の関係を掻き回したのは早紀だけど、一番の功労者も早紀だったもんなぁ。

「早紀といえば、今バリバリ仕事頑張っててね、今度昇進するんだって」

「すご」

「なおちゃんは?」

「ノーコメント」

「けちー!」

 ケチも何も……教えられるほどすごいことはなんもしてません。

「で、悲しいニュースは?」

「聞いちゃう?」

 すごい意味深に笑うじゃん……。美咲の言う「悲しいニュース」だし、大したものじゃないだろうと思ってたけど、そんなことない…?

「悲しーニュースは……愛が彼氏と別れました……。なんとこれで……あれ、何回目だっけ?」

 ひーふーみーと、指を折り曲げて数を数える美咲。いや、忘れるくらい多いのかよっていうのもそうなんだけど。

「あいつ、達也のこと好きじゃなかったっけ?」

「お、よく覚えてるね」

 美咲は数えるのをやめて僕を見る。

 いや、覚えてますとも。高校の卒業式の日、達也に告白した愛が玉砕したってんで泣き叫んでたし。それまで愛が達也のことを好きだって素振りを全く見せてなかったのもあって、衝撃的だったからなぁ……。

「フラれたけど……諦めきれないよー! 絶対振り向かせて見せるんだからー! って意気込んでたよね?」

「そうそう。その甲斐あって一度付き合ったよ」

「え⁉︎」

 思わず体を乗り出してしまう。美咲はクスクス笑う。

「でも結局なんか違ったって円満に別れてた。どこまで行ってもやっぱり友達なんだってさ」

「ふーん……」

「今では飲み友だって。がしかーし、達也は結婚したんだけど、愛は彼氏とすらまともに続かず……。ってこの前電話口で嘆いてた」

 達也結婚したんだ……。いや、なんかもう新しい情報多過ぎてパンクしそうなんですけど。

「で、ついでに言うとその達也はこの前、階段から落ちました……」

 まだ情報増える⁉︎ 美咲はグスンとわざとらしく鼻を鳴らす。

「大丈夫だったの?」

「片足骨折だってさ。派手に行ったよね〜」

 そう言って、美咲は一口、リンゴジュースを口に運んだ。

「あ、階段から落ちるといえばさ、達也が落ちたって聞いて思い出したんだけどー。昔、なおちゃんがさっき見てた階段でさ、なおちゃんが派手に転んだこと、あったよねー」

「え?」

 生温く気持ちの悪い空気が、肌にまとわりついた。

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