我が家。畦道。自販機。ベンチ。バス停。

 高校卒業と同時に家を飛び出したのがだいたい十年前。帰省してきたのはほんの数時間前。暇だなぁと散歩に家を出てきたのが数分前。

 マツムシが鳴く、八月の十七時。何年ぶりかの日常は目新しいもので溢れていて、どうも足が軽い。あの頃は当たり前で、「景色」でしかなかったのに、こうやってまじまじと見ていると、宝物で溢れている。絶え間なく思い出す学生時代の記憶に僕も大人になってしまったものだなぁとしみじみ感じる。

「あっ」

 声が零れる。目に捕えたのは、記憶より少し古びたものの、変わらず同じ場所に佇んでいる鳥居。懐かしさに足を止めて、鳥居の先の階段を、頂上をもとめて空を仰ぐ。

「あれ」

 もう一度鳥居から階段、頂上へと目を滑らせる。結果は変わらない。

「こんな短かったっけ……」

 記憶の中より短い階段に思わずつぶやく。

 よく考えたら、この神社を見るのなんて何年ぶりだろう。帰省したのも十年ぶりだから、それくらい? いや、もっとかな。

 いつのまにか蝉の声が止んでいる。

 ふと思い出すのは小学校に上がる前に死んだ祖母の言葉。

『この神社は産土神様を祀っているのよ』

 寄っていくか。

 そう思って鳥居をくぐりかける。

「あれー? なおちゃんじゃーん!」

 懐かしい声が騒がしい蝉の声の合間を縫って耳に飛び込んできた。

 僕は振り返る。長い黒髪がふわりと舞って、さわりと木々を揺らす風が彼女からお日様の匂いを運んで来た。

「その呼び方やめてって何度言えばわかるんだよ……」

「えぇ〜、いいじゃんなおちゃん。かわいいでしょ?」

「かわいいってなぁ」

 ヤッホーと手を振って駆け寄ってくるのは、お向かいに住む同級生の女の子、美咲みさき。昔はよく遊んだっけ。

「いやー、久しぶりだね。何年ぶり? 元気にしてた?」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に僕は度肝を抜かれる。そんな僕はお見通しか、美咲は柔らかく微笑んで、元気そうでよかった、と話を完結させた。

「ね、なおちゃんもお盆休み?」

「……そーだよ」

 気恥ずかしさからそっと美咲から目を逸らして、そっけなく答える。

「じゃあ今年は私たち二人だね。まいと〜、早紀さきと〜、あいと〜、達也たつやと〜……かけるも帰ってこないって」

 指折りで数えながら美咲が懐かしい名前を列挙する。そんな急に何年も会ってないような友達の名前を出されても、一瞬誰だかわからないって。そもそもさ。

「なんでそんなこと知ってるのさ」

「なんでって、聞いたからだよ。……あっ、そっかぁ〜」

「なんだよ」

 美咲はニヤニヤと笑う。

「なおちゃん、みんなの連絡先知らないんだぁ? もー、これだから全く帰ってこない人は〜」

 その通りだと言えばその通りだが。

「連絡先持ってたとしてもわざわざ帰ってくるか、なんて聞かないでしょ」

「わざわざ聞く必要なんてないよ。会話の流れでしぜーんにその話題になりますから? 私、忠実まめな人間なので」

 ……何も言い返せない……。その通りで間違ってないし……。

 くふくふと笑う美咲は何かに気がついたのか、おっと言いながら僕の後ろをぴょこりと覗く。

「神社? お参りするつもりだったの?」

「……まあ」

「そっか。……懐かしいなぁ。よくみんなで初詣で来たよね〜。覚えてる?」

 僕はただ頷く。

「舞と早紀が着物着てきたこともあったよね。よく似合っててさ。私も着たかったなぁ」

 どこか遠いところを見る美咲。

「……次の正月の時に着ればいい」

 その横顔が寂しそうに見えて、僕は思わず口を挟んでいた。

「えー、この歳になって?」

「着物なんて幾つになって来たっていいだろ。僕のおばあちゃんとか普段着にしてたし」

「それもそうだけどさ。どうせならこー、派手なやつ着たいじゃん?」

「着ればいい。きっと……似合うよ」

「でも、家にないよ?」

 も、文句しか言わないじゃん……。そんなに着たくないなら着なきゃいいのに。けど……

「……買えばいいよ。欲しいものを簡単に買えるぐらいには大人になっただろ」

 そう言わずに、彼女の文句に付き合う僕も僕だな。彼女は細めた目を優しく緩めた。

「それもそうだね」

 と言ってニヒッと笑ってみせると神社の方に一歩、二歩と足を踏み出す。

「もし、私が着物着るとしてさ、なおちゃんは見てくれる…?」

 背を向けられてるから美咲がどんな顔をしているかはわからないけれど、少しその声が揺れる。

「……帰ってきてたらね」

「わっ! 薄情者! 今のはもちろんって言うとこでしょうが!」

 飛びかかってくる彼女をひらりとかわす。ぷくりと膨らむ彼女の頬に僕は笑う。いくつだよ。

 しばらく僕を睨みつけたあとふいっと顔を逸らした美咲が、ふと「あっ」と手を打つ。

「ねえねぇ」

「なに?」

 美咲に呼ばれて彼女を見てみれば、彼女はなんとも楽しそうな顔で僕を見ていた。

「こんな暑いところで立ち話もなんだからさ、あの、自販機のとこにでも行かない? こっからそう遠くないし」

 自販機のとこ……中高って僕らの溜まり場だったところで、自販機が一つとベンチが一つの小さな広場みたいな場所。いや、どちらかといえば展望台兼運転手の休憩場所かな。たまに車が止まってて、人がコーヒーとか飲んでるのを見た。

「え……」

 あからさまに嫌な顔をしていたのか、美咲は「お願いっ」と手を合わせる。

「なおちゃんと話したいことたくさんあるし、それにほら、なおちゃんの新しい連絡先も知りたいし。高校の時と変わってるでしょ?」

「理由になってない」

「う……じゃあしょうがない。私、おねーさんだし? 缶ジュース一個奢ったげる」

 なにがおねーさんだから、だよ。年齢同じだし。そもそも缶ジュース一個にそんな価値があるのは高校生までだ。

「……だめ…?」

 僕の表情を伺うように、上目遣いで僕を見る美咲。

 僕はハァ……と肺に入っていた空気を全て吐き出す。

「わかったよ。少しだけね」

 目の隅にとらえた美咲は嬉しそうに顔を輝かせていた。

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