第16話 仲直りのハンバーグ(4)

 昼四つの鐘が鳴り、看板を下ろす。疲れた体をカウンターの椅子に預けて天井を仰いだ。


 扉のチリンという音が鳴るたびに、レンではないかと見てしまう。食器をカウンターに持ってきてくれる客をレンではないかと見てしまう。一日中ずっともやもやとしてしまった。

 おかげで普段はしない失敗を何度もしてしまった。

 もうこれは末期だ。

 たぶん、明日もきっと同じことをする自信がある。

「わぁああああ!」

 自分の腑抜けた様に、頭をわしわしと掻き乱して、ため息をついた。


 レンに会って話がしたい。今ならまだ追いかければ会えるかもしれない。

 そもそも、レンについて何も知らなかった。別れなんていつ来るかわからないのに。強引に聞いておけばよかったと、いまさらながらに後悔する。彼の好きなもの、彼の好きな色はわかるのに。彼が何者かを知らない。なんとなく会話の端々では察するものはあったが、強くは聞き返せなかった。いつか話してくれるだろうと。

 ――時間が無限になるなんて勘違いをしていた。


 このままでは後悔する。レンのことを知らないまま終わるなんて嫌だ。

 やはりレンを迎えに行こう。

 心が決まると、アルヴィドは二階の自室に入る。

 クロークに祖父がアルヴィドに残してくれた短剣と、マントがあった。マントには魔獣除けがしてある。

 よしこれで、大丈夫。……たぶん。頭を振って、たぶんを取り消す。すこし気弱になったが、マントの前を留めると気が引き締まる。祖父が守ってくれるそう思えた。


 レンが最後まで気にしていたのは、角ネズミと結界のことだった。ならばきっと、そこに向かったに違いない。

 アルヴィドは決意をしてレンを探しに向かった。



 ☆☆


 レンは店を出ると、まっすぐ街はずれに向かった。

 空を仰ぐと、大きな夕陽が真っ赤に空を染めていた。さえぎるものも隠すものもない、見渡す限り広がる夕焼け空に目を細めた。

 いつも四角く切り取られた空ばかり、祖母の部屋から見上げていた。来る日も来る日もその四角い空を見ていた。

 この空を見るだけで胸が透く思いがした。



 街はずれの森近くには警戒中の騎士の姿が見えた。レンはそれを避けるように森に入った。倒木や、雑草を避けながら慣れた足取りで森の中を進む。すっかり、あたりが薄闇に染まるころ、やっと足を止めた。

 ……手をふっと振り、自分にかけていた魔術を解く。

 現れたのは夜のような黒い髪と、黒い瞳。それは召喚された聖女しか持ちえない色だった。


 レンはあたりを確認して指笛を吹く。そのまま目を閉じ耳を澄ませた。木々がざわめき、ふわりとつむじ風が吹き抜ける。いつのまにか大きな黒い塊がレンの前に現れた。

 全身が真黒の大きな馬型の魔獣だ。頭をぶるんと振って目にかかるたてがみを払う。馬と違うのは足が六本あることだ。彼はその脚力で森にいるどの生き物よりも足が速い。

「スレイ 久しぶりだね。元気だった?」

 スレイと呼ばれた大きな馬型の魔獣は、返事の代わりにしっぽを振って答えた。


 一般的に魔獣は人を襲う。だが、たまにこうして人に歩み寄るものもいる。

 スレイは森で聖女と出会い。気まぐれにその聖女の魔力を食べたことから、聖女に懐くようになった。食べると言っても物理的にかじるわけではなく。ぺろりとてのひらを舐めたそうだ。聖女の言葉で『ていむ』というらしい。

 そして、スレイは魔力をもらう代わりに、聖女に乗ることを許し、森の探索はいつも一緒に回ったそうだ。


 その後、魔獣の森の管理はレンに託されたが、その際もレンの魔力をスレイに食べさせた。スレイはレンを受け入れ、森で呼ぶと駆けつけてくるようになったのだ。

 レンは手を伸ばし、ねぎらうようにたてがみを撫でる。魔獣は目を細めてそれを受け入れていた。口元に手を持っていくと、ぺろぺろと舐めて満足そうに鼻を鳴らす。


「森の外に角ネズミが出たんだ。どこか結界がほころんでいるかもしれない。一緒に探してくれる?」

 スレイは頭を振って、前足を折って身を低くする。乗れと言っているようだ。レンは首の腹を撫でてスレイに横乗りした。

 夜でも迷わず魔獣の森を探索できるのはスレイの持つ能力のおかげだ。スレイが駆けると木々がスレイを避けていく。


 祖母から手ほどきを受け、聖女の力を受け継いでからはただひたすら、森の結界の確認と修復を仕事にして来た。それがすむと塔に帰って祖母の世話をする。咳をする祖母の背中を撫でたり、話し相手になったりした。

 祖母の話で一番好きだったのが、もう一人の元聖女の話だった。

 祖母は彼女と出会いこの世界で生きる決意をしたという。彼女との出会いから別れまでを語る祖母の顔が寂しそうで、でも優しくて好きだった。

「エリーのつくるハンバーグが一番おいしかった」

 その言葉を言うときが一番、祖母の顔が光るのだった。

 レイは祖母の作るハンバーグが一番だと思っていた。だから、エリーのハンバーグはそれよりもおいしいとは、どれほどおいしいのか。レンは思い浮かべてあこがれたものだ。

 祖母はもうハンバーグを作れなくなった。それでも、祖母の魔道調理器具を調整していつもで作れるようにしておいた。だが、最近ではもう、そんな気力もないようだった。

 最近の祖母はいつも目を潤ませて「エリー、ごめんなさい」とつぶやいていた。

 どうしてごめんなさいなのか、その涙の理由を知らない。

 理由がわからないから泣き止ませ方がわからなかった。

 来る日も来る日も泣き続ける祖母を見ていると、なんだか自分も泣きたくなってくる。


 そしてとうとう、糸が切れてしまったのだ。祖母の世話も、結界の保全も全部……自分でなくてもできるんじゃないかと。しょせん自分は誰からも名前を呼ばれない塔の貴人なのだから。


 しかし、飛び出してもレンはどこに行けばいいのかわからなかった。


 そこで思い出したのがエリーのハンバーグだった。祖母の顔をあんな風に輝かせるハンバーグを食べたい。それにもしかしたら、そのハンバーグを食べさせれば祖母が昔のように戻るんじゃないかと思った。

 ハンバーグと名前しか知らなかったから、エリーの店にたどり着くまで苦労した。しかも、エリーはすでに亡くなっており、店主が変わっていた。エリーの店の店主はエリーの孫だった。


 それからの三か月は、泣いたり笑ったり忙しい日々が過ぎた。

 レンにとって一番のハンバーグはアルヴィドのハンバーグになった。

 振り返ると自然と笑みがこぼれる。

 初めての労働、初めての料理。初めてすることがこんなに楽しいなんて。だが、楽しすぎて忘れていた、自分があの塔から逃げてきたことを。この森からも逃げたことを。


 街で見かけた騎士に血の気が引いた。

 このままでは迷惑がかかると思い、アルヴィドの元から去った。

 自分の事情に因縁のある彼を巻き込んではだめだと思った。

 だから、これでよかったんだ。

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