第15話 仲直りのハンバーグ(3)

 カウンターにコトッと皿を置いた。レンはその音に顔を上げる。

 レンが来てからご飯はここで並んで食べることが多くなった。

「はい、途中になってたけど、仕上げてきたよ。ピプルはレンが炒めたやつだ」

 レンは湯気の立つハンバーグの皿をじっと見つめた。

「では「いたただきます」」

 二人は声を合わせて手を合わせた。

「うん。美味しい」

「僕はやっぱり、アルさんのハンバーグが一番好きです」

 レンは頬を赤くしてハンバーグをパクついている。すこし張り切ったのは間違いない。なんだか元気のないレンのために野菜をたっぷり添えて、煮込みハンバーグにした。焼いただけにするよりも柔らかくなって、ふわふわな食感になる。

『美味しいものは何を置いても心を癒す』と祖母が言っていた。今日のレンの様子から、少しでも元気になって欲しいと思った。そんな風に思っていたのが、伝わったのか。

 バチっと目が合うとレンは口からポロリとハンバーグをこぼす。どうやらアルヴィドは慈しむような、すごく優しい笑顔を浮かべていたようだ。

 レンは何事もなかったと装うように慌てて、またハンバーグを食べる。アルヴィドは笑って、レンの口の端に着いたソースを親指で拭い、それをぺろりと舐めた。

 レンは気付かないふりを装うことができなくて、プルプルとフォークを持って震える。

「まったく、アルさんは無自覚なんですか? わざとなんですか? どっちにしたって人が悪い!」

 アルヴィドはきょとんとした。どうやら彼自身ほんとうに無自覚だったことに気づいて、レンは項垂うなだれてしまった。

 人の気も知らないで、レンは大きく切り分けてパクリと食べた。



 片づけはいつも通り二人で行った。レンの腕にはアルヴィドが買ったアームクリップがついていた。やっぱりレンに似合うと思った。


「紅茶は僕に淹れさせてください。ほら、座って待ってて」

 アルヴィドは厨房から追い出されて、カウンターに座った。ちょっと待つとレンがカップを持って座る。

「ありがとう」

 カップの赤い水面から、やわらかな匂いが浮かぶ。

 アルヴィドは受け取って一口含んだ。レンは心配そうにアルヴィドを見ていた。

「おいしい。紅茶を淹れるのが上手になったね」

「アルさんに褒めてもらえるものができてよかった」

 レンはうれしそうに自分のカップに口をつけた。お世辞ではないのだけど、レンがうれしそうなで言い返すのは野暮ったくなりそうでやめた。もう一口飲んでホッっと息をつく。

「ありがとう、レン」

 レンはカップに口をつけたまま固まってしまった。人に淹れてもらう紅茶がこんなにおいしいとはアルヴィドは嬉しくて仕方がなかった。

 そして、見せつけるように大きくため息をついた。

「はぁー、全く。アルさんはいったいなんなんですか」

「ええ? どうしたの」

 急に言葉が砕けたレンにアルヴィドは目を丸くする。

「アルさんはこんな見ず知らずの怪しい男を雇いいれて、寝起きを共にし。さらに胃袋をつかんでどうするつもりだったのですか?」

 アルヴィドは目をぱちぱちとする。

「そうやって、いつだって気づかわしげに見つめてくるくせに、何も聞かないなんて優しすぎます。僕がそのせいで、どれだけアルさんにどぎまぎさせられたか。挙句の果てに男の子が好きなんて言ってきて」

 レンは興奮してか、頬を赤くして上目遣いでにらんでくる。

「わかっていますよ。アルさんは天然のたらしで他意も下心もなかったって。でももう僕は、それを期待してしまいました……いつのまにか」


 レンが浮かべていたのは、凪いだような穏やかな笑顔だった。


「アルさん。僕はアルさんが好きでした」

 真剣な声だった、ごまかすこともない真摯な声。アルヴィドは息を呑んだ。


 レンはアルヴィドのそばに立って見上げてくる。じっと目を見られると逸らせなくて見つめ返した。瞬間、レンの顔が近づいてきて、あっと思うと、唇が重ねられた。そのとたんガクリと力が入らなくなる。


 一瞬の間をおいて、心臓が馬鹿みたいに跳ねる。

 どうして過去形なのかと聞く前にレンが口を開く。

「ここにいては迷惑をかけることになりそうなので、出ていきます」

 レンはくしゃりと顔をゆがませて、口角を上げた。

「説明できなくて、急でごめんなさい」レンはそう言うと振り返りもせず扉へ向かった。

 アルヴィドがしびれたように動けないでいる間に、チリンと鈴の音を残して出ていった。


 アルヴィドは茫然とレンのいなくなった扉を見つめる。あまりの展開についていけなかった。追いかけようと立ち上がろうとしたが、なんだか視界が明滅する。そのまま力が入らず、カウンターに突っ伏した。

 今日は忙しかったからだろうか……。

 あんな泣きそうな顔をしておいて、迷惑をかけないために出ていくなんてとんでもない。自分の目の届かないところで泣かれる方が嫌だ。追いかけてやろう。あの子犬みたいな髪をくしゃくしゃに混ぜて叱ってやろう。

 だが、どんなに意志を強く持とうとしても、まぶたはゆっくりと重くなっていく。

 胸がざわざわとする、レンを一人にしてはいけないと。

 ――だが、まぶたの重さに抗えなかった。





 重いまぶたを開けると、見知った天井が見えた。

 いつの間にか自室のベッドの上で寝ていた。あぁ、なんだ。夢だったのか。

 部屋の外に人の気配がした。レンはもう起きたのか。


 部屋の扉を開けると、そこに座っていたのはマットとおかみさんだった。

「あら、起きたわね」

「びっくりしたよ。昨日レン君が二代目を頼むってうちに言ってきてな」

 アルヴィドは二人を交互に見て、はたとレンの部屋のほうを見た。

「すっかり寝てたから、運ばせてもらった。疲れてたんだな」

 マットは心配そうにこちらを見ていた。

「レンは……?」

「あぁ、ご実家のおばあさまが体調を崩されたと言っていたわ。急に発つことになったからって挨拶に来て、あなたが起きないから見てくれって」

 おかみさんはマットのほうを見てうなずいていた。


「……じゃあ、これで。俺たちは帰るから」

「ありがとうございました」

 お礼は言えたものの呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 外では変わらず


 朝二つの鐘が鳴る。体はいつも通り仕事をするために動く。


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