第10話 思いをはせるオムライス(3)

 私が娼館に入ったのは十三歳になった年だった。

 今でこそ、娼館で働くのは大なり小なり実家に借金があって、かたとして落とされる子が多いのだけど。当時は孤児も多く、娼館のおかみたちはいろんな孤児院を訪れては、容姿の良い子に声をかけていたわ。孤児にとって女の身一つで大金を得られる職業として、娼婦の仕事は当たり前にあった選択肢なの。

 でもまぁ、おかみたちは本当のことは言わなかった。お酒を飲んできれいな服を着て、楽しく芸を披露するのが娼婦の仕事だと言ってね。今思えばそれも手段で、そういう口説き文句に疑問を持たない従順な子を選んでいたのね。

 かくいう私も声をかけられて舞い上がって娼婦になった。年季は十年。仕込み料10万ルミアを預け金として入ることになった。


 ベリルは机の一点を見つめていた。


 そして始まった仕込み期間は大変だったわ。私が入った娼館はね。貴族様のお相手もする娼館だったの。だから、マナーに言葉遣い。立ち振る舞い、芸事に盤面遊戯……覚えなければいけないことが山ほどあったわ。それを二年間で娼婦として客を取るまでに完璧に覚えなければならなかったの。教わったことを次の日にできなければ、ご飯抜き。空腹ほどつらいものはなかった。だけど私には支えあえる友がいた。そうね、レイラと呼ぼうかしら。


 彼女の出自は由緒正しい男爵家で、借金の形に娼館に入ったそう。私と同じ年なのに、マナーも言葉遣いも完ぺきだった。何より、レイラがほほ笑むとまるで花が咲いたように明るくなるの。彼女はとてもきれいな子だった。でも彼女が美しいのは、見た目だけじゃない。勉強が得意じゃなくて、ご飯を抜かれることの多かった私を心配して、たびたび食事を分けてくれたの。心根も優しい子だった。


 そういうとベリルは懐かしむように頬を緩ませた。


 二年の仕込み期間が過ぎ、私たちは部屋へ上がった。習ってはいたけれど、その行為は恐ろしくて、初めての夜の後、レイラと二人で抱き合って泣いたわ。お互いを抱きしめあって、秘密のキスをした。こういう行為に心はいらないと思った。

 心はレイアに預ける。そう決めて仕事に励んだ。

 レイアも私も徐々に指名が増えて、初めての夜から一年で花を与えられた。

 花は娼婦として一人前と認められることなの。

 そして、五年目でレイアは大輪になったわ。ってごめんなさいね、大輪というは花の中でもさらに別格。その娼館を代表する娼婦に与えられる称号のようなものよ。

 親友で、憧れで、尊敬するレイアがその座に就いたこと、当然だと思ったわ。

 自分のことのようにうれしかった。世間が聖女さまの結界のおかげで、魔獣におびえなくても済む生活を手に入れ。世の中は希望に満ちていたから娼館街も活気にあふれていた。

 その中で大輪として燦然と輝く彼女はみなの憧れになった。レイアの黄金色の髪をまねて染める子も出てくるくらいにね。



 ベリルの瞳は興奮気味にうるんでいた。まるで若いころの彼女が乗り移ったかのように、ギラギラとした光が灯っているように見えた。


 レンとアルヴィドは静かに耳を傾ける。



 レイアは四年間、大輪の座を守り通して、借金返済とともにあっさりと落籍を決めた。彼女には思いを寄せる人がいたの。

 彼女が選んだのは町の警ら兵で、騎士でも貴族でもない元孤児だった。出会いも迷子だったレイアを警ら兵の彼が助けてくれたってよくある感じでね。とても、彼女とは釣り合わないと思ってしまったの。彼女にはきれいな服が似合うし、きらびやかな世界こそが彼女の世界だと思ったから。

 だから、彼女がうれしそうに落籍の話を打ち明けてくれた時、私は「かわいそうね」 と言ってしまった。

 レイアは傷ついた顔をした。

 ええ、彼女が私を置いて落籍することが悲しかったからとか。彼女にはいつまでも私の憧れでいてほしいとか。自分勝手な思いを、その一言に込めてぶつけてしまった。

 それから何度か彼女に声をかけようと思っても、かける言葉が見つからなくて。落籍までの三ケ月は、仲良くしていた十年よりも長く感じたわ。


 大輪が落籍するというのに、見送りは質素に行われた。見送りを豪華にするのは、身請けしたものが娼婦に贈る最後のプレゼントだから派手なことが多かったの。だけど、彼はただの警ら兵だったから派手には祝えなかった。

 私は窓から彼らを見送った。

 レイアは花束を持って迎えに来た彼に、今まで見せたことのないような、屈託のないきれいな笑顔をしたのよ。

 私はレイアが私のいないところで幸せになるんだって、その顔を見てわかってしまった。

 一度は見送ったのに、たまらなくなって追いかけた。結局、追いつけなくて、エリーさんのお店の前で泣いてしまった。

 そしてそのまま動けなくなって、うずくまっているところをエリーさんに拾ってもらったの。泣いたらお腹が減るだろうと、エリーさんはオムライスを出してくれた。

「聖女さまの故郷ではね、黄色って幸せの色だそうよ」

 まっ黄色のオムライスの前で、エリーさんは泣いている私の背中を撫でながらそんな話をした。

「だけど、私にとって幸せの色ってこのスコオルの灰色狼の色こそ幸せの色。幸せって人の数だけあるんじゃないかしら。全部違うんだもの比べるものでもないと思うわ」

 泣き止むのまで、エリーさんは静かに隣に座り続けてくれた。


 どうして、私は彼女の幸せを否定することしかできなかったのかしら。どうして誰よりも大切だったレイアの幸せを認めることができなかったのかしら。

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