第9話 思いをはせるオムライス(2)
夜二つ目の鐘が鳴ると、すぐ入り口の鐘がチリンとなる。
「アル坊! きたよー」
「いらっしゃいませ!」
アルヴィドは苦い顔をする。
「ベリルさん! アル坊はやめてください!俺もう二十三歳ですから!」
この会話は何度もした記憶があるのだが、だれ一人直そうとしないのはなぜなのだろう。
来店したのはベリルさんと、ベリルさんと同じくらいの年齢の女性が二人帯同していた。
「ごめん。アル坊。四人で予約したと思うのだけど、一人が来られなくなっちゃって」
ベリルさんはすまなそうに頭を下げた。他の二人も視線を交わして、少し残念そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫です。じゃあ準備ができたら出しますので、まずはワインで乾杯しましょうか。用意してます」
アルヴィドが元気よく返すと、三人は笑顔になった。
引退祝い会は和やかに始まった。
用意したのはかんたんなコース料理。野菜を使った前菜。ピプルのつぼみのスープ 肉料理。次にオムライス。最後にデザートのケーキを準備している。
ベリルは店内を見回して目を細めている。
「アル坊ありがとう。すごくかわいい。私ね、黄色い色って元気が出るから好きなの」
ベリルさんはにっこりと笑う。上品な微笑みの中にも艶を感じる。
三人はお酒もどんどん入って、会話も弾んでいるようだ。レンはそつなく給仕をしている。アルヴィドも手が空くと、給仕に入った。
肉料理はマットからとっておきのものを仕入れて、柔らかく煮込んでシチューにした。
皆の表情が、一口含むたびに緩むのを見て、味に問題はなさそうだと安心した。
「オムライス」
ベリルはオムライスを見ると少しだけ、唇を震わせほんの少しだけ瞬きを多くした。
「あぁ、この味だわ」
ゆっくりとスプーンを動かして、食べ進めている。
先ほどまでにぎやかだったテーブルが、皆オムライスを食べることに夢中で静かになった。
やがて一人、一人と食べ終わると、最後にベリルさんを見守っていた。
「あぁ、オムライス食べ終わっちゃった。美味しかった」
ベリルはもう一度、瞬きをすると一筋涙がこぼれた。レンが慌てて、ハンカチを手渡した。
「ごめんなさいね。ここのオムライスが私の思い出の味なの」
ベリルはハンカチを受け取ると、目に押し付けて静かに泣き始めてしまった。二人は事情を知っているかのように、だまってベリルの肩を撫でた。
レンとアルヴィドはしんみりした空気を和ませるため、ケーキを出すことにした。クッキーに「お疲れさま、ベリルさん」と書いてクリームと、果物で花の形になるように添え、ちょっとおしゃれ心を発揮して皿にもソースを散らしてみた、渾身のデザートだ。
視線を上げたベリルは少し恥ずかしそうに笑う。
「素敵」
アルヴィドはその笑顔で工夫が報われた気がした。
ケーキを食べて幾分か落ち着いたようで、ベリルたちはにぎやかに話を始めた。三人の息の合ったおしゃべりはうらやましくなるほど楽しそうだった。長い付き合いなのだろう。
いつか自分にもああいう友達ができるだろうか、アルヴィドは厨房で店内の様子を伺いつつ、息をついた。
ベリルたちは最後の紅茶を飲み干す。
「田舎に小さな家を買ったの。そこで暮らすつもりよ。もう、私も年だから行ったらたぶん、帰っては来られないわ」
先ほどまでのにぎやかさとは打って変わって、またしんみりとした様子に変わる。
二人は手紙を書くと約束していた。今日はお別れ会なのだと改めて感じた。
「今日のお料理本当に美味しかったわ。おかげで楽しい時間を過ごせました」
「ありがとうございます」
残っていたケーキを三等分にして箱にしまって、手渡した。
「アル君、あなたほんとうにいい店主になったわね」
ベリルさんはにっこり笑って帰っていった。
扉が閉まる音を聞いて、レンはほっと息をついた。
「やっぱり、お客さんが笑顔で帰ってくれると嬉しいですね」
「そうだね。三人とも楽しそうで何よりだった。なんだか途中でうらやましくなったよ」
レンは同意するようにうなずいた。友というのはいつできて、いつそう名乗るのものなのだろうとアルヴィドは思う。だが、隣のレンを見ても友達とは名乗り合ってないが、そこそこいろんな話を言い合えている。いや、レンと自分は店主と従業員だ。だが人同士の関係なんてふいに変わる。振り返った時にその役割に応じてつける名称の一つが友達であるのかもしれない。
片づけをしていると、ドアベルの鳴る音が聞こえた。
入ってきたのはベリルだった。
「ごめんなさいね。あなたにお借りしたハンカチ持って帰ってしまっていたの。だからお返しに」
ベリルはにこりと笑うが、なぜか気を落としたかのような青ざめた表情をしていた。
レンは慌てて席を進めた。
「あのね、ハンカチは言い訳なのよ。エリーさんがいたら聞いてほしかったことがあって」
ベリルの言葉に切実さを感じた。アルヴィドはレンに側にいるように伝えて、ホットミルクを作った。
ベリルはホットミルクを受け取るとため息をついた。
「ありがとう。ごめんなさいね」
ホットミルクを飲むと、少し落ち着いたようで自重するような笑みを浮かべていた。
「祖母の代わりには足りないかもしれませんが、俺でよければ聞きます」
アルヴィドがうなずくと、ベリルは視線を上げて目元を潤ませた。
「ありがとう」
ベリルは小さく息を吸い込むと、ぐっと唇を引き結んだ。
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