第7話 すれ違いの生姜焼き(3)

 ロレーヌは話し終わると、ほぅと息をついた。ティーカップに添えている指が震えていた。


 アルヴィドは笑顔で受け止める。

「下町に来る前どう過ごしていたか、詳しくは聞いてないですが、祖母は貴族には向いてなかったって言っていました。自分の意志でこの下町に来たのだと思います。聖女さまのことで悲しんだり、後悔してたら、きっとこの定食屋を開いてなかったと思います。何せこの定食屋の看板メニューは聖女さまのレシピですから」

 ロレーヌの目を見てしっかりと言い切った。

「だから、聖女さまの犠牲になったなんて思ってない。そりゃ、小さな苦労はあったろうけど。じいちゃんも、ばあちゃんも幸せだと言っていました。それをロレーヌさんの物語で否定しないであげてください」

 ロレーヌは視線をうろつかせて自嘲した。アルヴィドは少し遠い目をしてほほ笑む。

 祖母はいつも楽しそうだった。よく働き、よく笑い。よく周りの世話を焼いてきた。亡くなった時も下町中の人が店に集まって悲しんでくれた。それくらい、祖母は下町になじみ愛されたのだ。それはとても幸せな生涯だと思う。


「ここはとても居心地のいい素敵なお店だわ。まるでエリザベス様のよう」

 ロレーヌはカウンター天板を撫でながら、うなずいていた。

「祖母も祖父もハピエンでした」

 アルヴィドはロレーヌをやさしく見つめた。

「ほんとうに?」

 黙っていたレンが急に戸惑いをにじませた瞳でアルヴィドを見つめる。

「あぁ、幸せってのは自分で決めるものだから」

 にっかりと笑ってアルヴィドは答えた。

「ごめんなさい。そうね。外野がとやかく言う話ではなかったわね。レンさんの瞳を見ていると、どうしてもエリザベス様と聖女さまの話をしたくなってしまって」

 どうしてかしら、と頬に手を添えながら上品に笑う。アルヴィドは、ロレーヌにお代わりの紅茶を注いだ。


「ピプルのつぼみはたまねぎではないし。ティチの茎は生姜ではないけれど。できたお料理は生姜焼きなのよ。聖女さまのそばに仕えるのが、エリザベス様や私でなくとも、あの方は立派に救国の聖女となられたのだから。そうね。寂しかったのかしらね、私は……。だからこんなにいつまでも忘れられないのかしら」


 ロレーヌは新しく注がれた紅茶をゆっくりと飲み干した。

「懐かしい場所にいるとつい振り返りたくなるの。最近のことはぼんやりとするのに、昔のことははっきりと覚えているの。これがきっと老いるってことなのね」

 ため息のようにこぼされた言葉には寂寥をにじませていた。



「そろそろ、馬車が迎えに来る頃だわ」

 ひとしきり話をしたロレーヌは、笑顔で帰っていった。レンは店に来た時と同様、ロレーヌに肘を貸してエスコートした。チリンと鳴る扉を開くと、ロレーヌを待つ馬車が見えた。レンはそこまでエスコートすることにした。

「また来てください」

 ロレーヌは深くうなずいて笑う。レンは手を添えて、ロレーヌが馬車に乗り込むのを手伝った。

 見た目は簡素な馬車だが、中は豪奢なつくりをしていた。柔らかそうな赤いベルベットの座面。窓には防音魔道具や、耐衝撃魔道具などが取り付けられている。

 扉を閉める前、ロレーヌはレンを鋭く見据えた。


「あなたのその目、本当は何色なの?」


 レンは目を見開いて固まった。だがロレーヌは返事を期待してないようだった。扉が閉まり馬車はゆっくりと動き出す。レンはその馬車が角を曲がるまで動けなかった。





 レンは帰ってくると箒をとりだして床掃除を始めた。アルヴィドは目を細めてその背中を見守る。レンが少し気落ちしたように見えた。

「お疲れさま。大丈夫?」

「あ……はい。すごい話を聞いてしまって。びっくりしただけなので」

 ほうきの柄をぐっと握って、ゆるく口角を上げる。アルヴィドはレンをじっと見つめたが、それ以上の言葉は返ってこなかった。

「驚く……よね。彼女も懐かしくなるとつい話したくなるんだろう。俺は何度も聞いているけど……少なくとも、ばあちゃんは自分の意志でじいちゃんと駆け落ちしたんだよ。追放ってのはロレーヌさんの脚色だ」

 レンは箒を動かすのを止めて顔を上げる。

「きっと、ロレーヌさんはお別れも言えず、いなくなってしまった衝撃から逃げられないのでしょうね」

 レンはポソリとそんな風につぶやいた。アルヴィドは思わず近づいて、その手を握り締めた。箒の柄をぎゅっと握る手が白くなって冷たそうに見えたからだ。冷たいのなら温めてあげたい、その衝動にかられた。

 レンは驚いた顔でアルヴィドを見上げてくる。大きく見開いた目が少しうるんでいるように見えた。

「……泣きそうだね」

 アルヴィドは手を伸ばして頬を指で擦る。レンは驚きながらもその指に頬を擦りつけるように目を伏せた。

「ほんとうに、疲れただけです」



 窓の外では、夕焼けが街並みを赤く染め上げていた。ふいと、足を止めたくなるような見事な茜色だった。そして、茜空を見上げる先には救国の聖女の住む、聖女の塔が黒く影を落としてそびえている。そこに住む彼女は今何を思っているだろう。

 レンは目の裏にそれを浮かべて、足元に視線を落とす。

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