第3話 ハンバーグが食べたいです(3)

 スコオル亭は二人席のテーブル二つ。四人席のテーブル二つ。カウンターは三席あり、厨房からすべての席が見えるくらいの小さな店構えだ。通りに面した大きな窓からは柔らかな光が店内にそそぐ。祖母の時代から変わらない古い内装も相まって、少し懐かしさを感じさせる雰囲気をしている。

 レンは飴色に焼けたテーブルを丁寧に拭いていた。

 レンには黒いズボンと白いシャツ。腰に巻くエプロンも黒を用意した。サイズは少し大きいものの。よく似合っていて急誂えには見えないだろう。


「こっちのは作業、終わりました……次は何をしましょうか?」

 厨房内でスープの仕上げをしているアルヴィドにレンが声をかける。アルヴィドは、視線を上げて店内を見回した。各テーブルには白と紺のテーブルクロスがきれいに角をそろえて掛けられていた。

「あぁ、ありがとう。あと少しで開店だから表の看板上げてきて」

 レンはうなずいて、アーチ形の扉を開く。チリンと高い音とともに朝のさわやかな光が、扉から店内に届いた。

 今日はとてもいい天気のようだ。ちょうど、朝四つ目の鐘が鳴り響いた。


「レン君、ハンバーグができた 運んで」

「はいぃいぃ」

 レンはよたよたと、運ぶものの、隣の席だとたしなめられていた。

「レン君、注文はなんだって?」

「はい、オムライス……でしたよね」

「いや、生姜焼きだよ」

「すみませんっ」

「ははは、どっちも好きだからいいよ」


 客のほとんどが常連であったため、温かく見守られていたが、レンは緊張で空回りしていた。お詫びにプリンをつけたり、付け合わせを少し増やしたりして対応した。


 昼四つ目の鐘を合図に店を閉めると、二人はカウンターの席に座った。レンは深刻そうにうつむいていた。アルヴィドは空気をほぐそうと伸びをして声をかける。

「んー……レン君。お疲れ様」

 レンは今にも泣きだしそうに見えた。

「ごめんなさい、迷惑をいっぱいかけました。もう雇ってもらえませんか?」

 アルヴィドはレンのしっぽが力なくうなだれているのが可視化できた。最初からレンが緊張しているのは見えていた。ぎこちなくなり、空回りしていたことも気づいていたのに、店主として適切に補助できなかった。

 祖母だったらどうしていただろうか。

『投げ出した時に失敗になるの。取り返せるうちは失敗じゃないのよ』 きっとそう言うだろう。祖母なら。

「初めてだったからね。働いてもらうのは店の様子を見てもらってからのほうがよかったね」

 レンに対して、心配りが足りない店主で申し訳なくなる。


「いや、僕が……」

「いや……俺が至らなかったんだ」

 このやり取りを四、五回ほど繰り返すと、レンはエプロンの裾をぐっと握りしめてさらにうなだれた。

「レン君は割と頑固だね。辞めたいわけでもないなら、おあいこってことにしようか」

「……すみませんでした」

 安心させるように肩をたたいた。

 レンはほっとしたのと、情けないのとを混ぜたような表情をした。レンは見るからに育ちのよさそうな少年だった、だからすぐに心が折れるかと思った。だが、しっかりと反省する姿が見られた。それに変な矜持は持っていないようで、こんな小さな店の店主相手に頭を下げて謝罪をしてくれる姿勢にうれしくなる。

「じゃあ、俺は厨房の片づけをするから、レン君は店内の掃除を頼むよ」

「わかりました」

 レンは決意を新たに大きくうなずいた。その顔には頑張ろうとする意思がみえた。


 レンは丁寧に掃き掃除と拭き掃除をしていた。アルヴィドはレンのその生真面目さを好ましく思う。与えられた仕事は全うしようとする責任感を持っている。今日は確かにいろいろとやらかしたが、きっとすぐにできるようになると思えた。それに、なんだか放っておけなかった。


「よし決めた、レン君。明日からもよろしく」




「ひとまず、生活用品をそろえようか」

 二人が店の外に出ると、夕陽が街並みを赤く染めていた。レンはそれを見上げてほぅとため息をついた。それは見事な茜空だった。


 下町は共同体だ。ひとたび顔見知りになれば、なにかと気にかけてくれる。レンを下町の人たちにお披露目をすることにした。

「僕、お金ないです……」

「気にしないでいいよ。今日も立派に働いてくれた。それにこの買い物はレン君への投資だと思ってるからね。その分、明日から頑張って」

「でも……」

 レンがうつむく。

「いや、レン君を育てるのも店主の務めだから、それとも働くのが嫌になった?」

 レンが甘え下手なのが気にかかって、きつい言い方になってしまった。

「いえ、働きたいです」

「うん、よかった。今日だって働いてくれたよ」

 掃除とか、店じまいとか…ね、とアルヴィドはレンの肩をたたく。

「どんな結果であれ、働くってことは、自分の時間を売ってるんだ。だから対価をもらうのは当たり前だろ。自分を安く売っちゃだめだ。見合わないと思うなら、次はもっと頑張ろうでいいよ。レン君はちゃんと、次頑張ろうって言ってくれたろ? 最初から完璧なんて目指さないで、できなかった分は明日の自分に丸投げすればいいんだよ」

 言い聞かせるように声音を落とした。レンはぐっと裾を握ってうつむいた。

「はい。明日からもっと頑張ります」

 思わず熱くなったアルヴィドが照れ隠しに笑うと、レンがつられて笑う。やっとレンの顔に笑顔が見られたことにほっとした。

「それでいい。……ってまだ給料の話をしてなかったな。帰ってからしよう」

 ごめんねと笑うと、さらにレンは笑みを深くした。

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