第2話 ハンバーグが食べたいです(2)
「ところで、名前は?」
「……レンです」
一瞬黙ってしまったので、偽名であることがバレバレだ。
「じゃあレン君。座って待ってて。まずはご飯にしよう」
アルヴィドはレンの涙をエプロンの綺麗なところで拭くと、もう一度ベンチに座らせ厨房に戻った。
長いこと食べていないなら、お腹にやさしいものを作ろう。パンと乳酪と、野菜スープは残っていた。簡単だがパンのミルクスープを作った。チーズをのせてオーブンで焼く。ついでに自分の分も同じものにすることにした。
「どうぞ、召し上がれ」
レンは湯気の立つスープを受け取ると、目をキラキラさせた。半開きになった口からよだれが出そうなほど、蕩けた顔をしている。表情豊かな子だ。
「いただきます!」
アルヴィドが感心するほど勢いよくパクパクと食べていった。スプーンを口に入れるたびに目が光る。抜き出したスプーンをしげしげと見て、また、口に入れる。全身で美味しいと表現されているようでこそばゆい。あっという間に皿にあった料理が彼の口に消えて行った。おなかを壊さないか心配になるほどだ。
「すごいな、君は」
つい食べるのも忘れて緩んだ顔で眺めてしまった。
「おいしくて……うっ」
「おいおい、泣くか食べるかにしなさい」
「だって……おいしくて食べるの止まらない」
あまりに素直な感想だった。
「ありがとう、料理人冥利に尽きるよ」
レンはパンをもう一個お代わりをして、手を合わせ 「ごちそうさま」を言った。それに「どういたしまして」と返す。アルヴィドは、遅れてゆっくり食べ始めた。
「あの、アルヴィドさんってすごくきれいに食べますね」
「うちはばあちゃんが、食べる事には厳しかったんだ」
「へー……」
「そういうレン君、こそ……?」
そう言うレンもマナーがよく、野菜くず一つ残らない綺麗な食べっぷりだった。
「うちも祖母がうるさい人なので……一緒ですね」
口ぶりからすると、レン君のおばあさんはご存命のようだ。
「じゃあ、レン君には家で待ってる家族がいるってことだね。限界なら帰ったほうがいいんじゃない?」
「あの……まだ……帰れません……あのっ」
生真面目に膝の上で握りこぶしを握りながら、レンは視線を揺らす。アルヴィドはなんとなく理由ありであろうことは感じていたので、言葉が出るのを待った。
レンが顔を上げてアルヴィドをまっすぐ見る。
「祖母がハンバーグを食べたいって……作れるようになってから……でないと、帰れない」
「そうか……それがやりたいこと?」
アルヴィドは腕を組んで天井を見上げた。レンの瞳は決意に満ちていて、本気であることはうかがい知れる。
「それで……あのっ……あれ」
レンが指を差したのは店内に貼っていた配膳係募集の板だ。
「ここで働かせてください」
レンはガバっと立ち上がると、頭を下げた。だが、急に動いたからだろう、ふらついてたたらをふむ。慌てて手を伸ばして、肩を支えた。レンの目は乞うようにうるうると揺れていた。
どうしようか。アルヴィドにはもう、この少年が子犬にしか見えなくなった。断われるのか……無理だ。眉間にしわを寄せ、口を真一文字に結ぶ。ただ一緒にご飯を食べ、自分が作った料理をこんなに丁寧に食べてくれたこと。それがレンの
「明日。うちで働いてもらってそれで決めても良いかな?」
「……ありがとうございますっ」
不安そうにしていたレンはキラキラと目を輝かせて、アルヴィドの手をとり、ぶんぶんと振る。見えないしっぽもぶんぶん振られているように感じた。
「じゃあ、そういうことで、片付けをしたら部屋に案内するよ」
レンはまた立ち上がると勢い良く頭を下げた。
危うくテーブルに頭をぶつけそうになって慌てている。なんだか世話が焼けそうだ。
食事の片づけをした後、レンを二階の住居へ案内した。
「奥の部屋が客室で、手前のこの部屋が俺の部屋だ」
アルヴィドは一旦部屋に引っ込むと、タオルとシャツを持って出てきた。
「トイレはそこの扉で、その隣の扉がお風呂」
「ありがとうございます」レンは礼を言って受け取る。
「洗濯はお風呂でするから、とりあえず置いておいてくれ」
レンはうなずくとお風呂に行った。
それを見届けて客室のベッドを整えた。昔は母の部屋だったが、母は自分が三歳の時に亡くなった。なんとなくきれいな人だったという記憶はあるが、思い出はなかった。
自分の母親は祖母で、父親は祖父だと思っている。
窓をあけて部屋の換気をした。家具は古いが机とベッド。服が掛けられるチェストがあり、ほこりを払えばそれなりに綺麗だ。布団はしまってあったのを出した。
あぁ、そうだ。風呂の調子が悪かったのを思い出した。
やばい、熱湯が出るかもしれない。この家は古い。それに合わせて設備も相当古くなっている。
血の気が引く思いがして、客室を出ると、レンも風呂から上がったようだった。頬が上気していて赤らんでいる。
「あれ?お風呂のお湯……熱湯でなかった?」
「あっ、はい。魔力回路がずれていたので直させていただきました」
アルヴィドは驚いてまばたきした。
「レン君。魔導具が直せるの?」
「簡単なものでしたら」
レンは頬を掻きながらにっこりとうなずいた。
「うちの魔道具は年代物が多くて。技師でないと直せないものが多いのに。すごいね」
「祖母の住むと……家と同じものだったので」
と? だがなるほど。もしかしたらレン君の家も、うちと同じくらい古いのかもしれない。
「良かった、火傷とかなさそうで。部屋の準備ができたからここを使って。今日はこのまま寝てくれていいよ」
レンは「ありがとうございます」と言って客室に入ると、顔だけを出した。
「アルヴィドさん。おやすみなさい」
パタンとドアが閉まるのを見守って風呂場に行った。
昨日まで水と熱湯が交互に出ていた蛇口から、レンが言う通りちゃんと、ちょうど良い温度の湯が出ていた。
彼も苦労してきたのだなと小さく独り言ちた。
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