召喚聖女の幕引きとその裏で

立木砂漠

ハンバーグが食べたいです

第1話 ハンバーグが食べたいです(1)

「……ハンバーグを……食べさせてください」


 ボロボロの外套をまとった少年が、縋るように見上げてくる。

 その声はか細く震えていた。少年からはグググ……と地の底を這う様な低い音が響いた。

 たぶんこの音は少年の腹の音だ。


 ここはスコオル亭という定食屋の前。この店の店主 アルヴィドは昼四つ目の鐘に合わせて、看板を下ろしに外へ出たところでこの少年に遭遇した。

 少年はその場でパタリと横になる。

 また、地を這う様な腹の音が響いた。意識が遠のきかけていても腹は鳴るのだなと冷静に観察する。

 少年の茶色い髪は艶が無くぼさぼさで、質の良さそうな服装も、いたるところが擦れて汚れが見える。どう見ても理由わけがありそうだった。


「ハンバーグかー……」アルヴィドは頭をいて唸った。


 スコオル亭は大通りを一本入ったところに店を構える定食屋だ。世間が召喚された聖女と王太子の婚姻に湧いていた頃、祖母たちがここに店を開いた。名物はハンバーグと言われるひき肉料理だ。ハンバーグは召喚された聖女の故郷の味を再現しているという。聖女人気にもあやかって開店当時から一番人気のスコオル亭の看板メニューとなっている。


 ハンバーグは手間がかかるため数量限定で、今日の分はもう売り切れてしまっていた。食べさせてあげられるのは明日以降だ。行き倒れている少年に食べさせてやる義理もないのだが、突っぱねたことで、彼がここで天に召されでもしたら寝覚めが悪い。

 それに、三年前に亡くなった祖母も言っていた。

「お腹を空かせるのが世の中で一番の不幸」だと。

 アルヴィドはもう一度少年に視線を移す。少年はとうとう目を閉じて、動かなくなってしまった。

 大変だ、彼はとてつもなくお腹を空かせている。


 アルヴィドは祖母譲りの釣り目を凶悪にゆがめながら腕を組んで悩む。

「おう、二代目。どした? その子」

 声をかけてくれたのは同じ下町で肉屋を営む マットだった。二代目というのはこのスコオル亭の一代目が祖母で、祖母の死後、その跡を継いだのがアルヴィドだからだ。

「ここで行き倒れていまして……ハンバーグが食べたいと……」

 マットははっとした顔でポンっと手を叩く。

「そう言えばこのところ、ハンバーグを食べたいって言いまわっている少年がいるって、噂に聞いたな。その子か?」

「だとしたらいつからご飯を食べていないのかな」

「俺が噂を聞いたのは昨日だから、二日以上だろう」

 そんなに!? のんきに悩んでいる場合じゃない。

「すみません、この子を店に運びたいので、手伝っていただけますか?」

 マットは破顔してうなずいた。


 マットに少年の脇を支えてもらって、自分は足を持った。チリンと鳴るアーチ型の扉を開けて、店内のベンチ席に横たわらせる。二人で持ってみたが少年は不安になるほど軽かった。濡らしたタオルで汚れをぬぐうと、思った通り顔色が悪い。おでこに手を当ててみたが、熱はなさそうだ。

 外套を脱がせ首のボタンを外してやると、少し呼吸が安定した。


「寝てしまいましたね」

「あぁ、ちょっとこのままで様子を見てやれよ」

「マットさん。ありがとうございました、助かりました」

「世話焼きなのは、ばあちゃんに似たなぁ。まぁ、なんかあったら頼ってくれよ」


 マットは自分より頭二つ大きいアルヴィドの頭をぐりぐりと撫でまわす。

 この下町で祖母は世話焼きで有名だった。マットはアルヴィドにその血筋が正しく受け継がれているのを感じ取り、うれしそうに笑った。

 少年の寝息が規則的なことを確認すると「じゃあまた、嫁とオムライスを食べに来るよ」 と言ってマットは帰っていった。


 少年の寝顔には幼さがにじんでいた。呼吸が深くなっている。本格的に寝入ったみたいだ。


 明日の仕込みもあるため、仕方なく、少年をそのままにして厨房に移動した。

 店はメニューを絞り込むことで、なんとか一人で店を回すことができている。求人を出してはいるのだが、祖父譲りの体格の良さと、祖母譲りの目つきの悪さが災いし、いまだ応募もない。困っていれば下町の奥さんたちが手伝ってくれるために、一人で店を回すのにも慣れてしまった。

 白壁の店内には日焼けした配膳係募集の板が所在無げに張り付いていた。


 腕まくりをし、明日の仕込みに取り掛かかる。氷室から明日の分の肉や野菜を取り出した。まずは食材に手を合わせてから、作業に取り掛かった。

 慣れた調子で肉についている余分な脂や筋を取り除く。祖母から受け継いだ包丁は騎士をしていた祖父の剣を打ち直したものだ。スコオル亭という名前も騎士だった祖父の家紋に書かれていた魔獣スコオルからきている。

 希少な金属でできており切れ味が良く刃こぼれもおきない。アルヴィドの腕を一段上げてくれているように感じるお守りのような包丁だ。何を調理するにもこの一振りがあればなんとかなる。

 肉が終われば、野菜を刻む。スープに使うものメイン料理使うものに分けて刻んでいく。ボウルいっぱいに切れたところで、それぞれ濡れ布巾をかけて、氷室にしまった。


 窓の外は赤く染まりはじめていた。かなり集中していたようで、少年のことをすっかり忘れていた。急いで店内を見ると、少年はぼんやり座っていた。


「大丈夫ですか?」

 アルヴィドが声をかけると少年の視線がこちらを向く。

「ひいぃぃ」

 少年が驚くくらいにアルヴィドは怖い顔なのだ。脅かさないようにできるだけ丁寧にしゃべるよう心掛けてはいるのだが、初対面に功を奏したことはない。

「驚かせてすみません、あなたがこの店の前で行き倒れていたので、運ばせていただきました」

 にっこりと微笑んで見せた。少年は身震いするも頭をぺこりと下げた。

「ありがとうございます」

 どうやら、ちゃんとお礼を言える子のようだ。

「俺はアルヴィドと言います。ここの店の主人です。率直に尋ねますが……帰る家はありますか?」

 少年は目を見開いて、力なく首を振る。それと同時に腹の音がまたぐぐぐぐっと鳴り響いた。少年は慌ててお腹を擦っている。

「すみません。僕はやりたいことがあって、家を出てきました」

 少年は決意した雰囲気を出している。服装は質が良く整っていて、育ちの良さそうな顔をしていた。やつれ具合を見ると、ここまで苦労したことがにじみ出ている。このまま追い返すのも少しかわいそうだ。せめて一晩くらいは、寝るところを提供してあげよう。そう心の中で算段を決めると、少年に向きあった。

「おなかがすいてるみたいだね。まずはご飯を食べよう。ご飯なら売るほどあるからね。よければ今日はここに泊まるといい」

「いいんですか? 本当は……お腹がすいて……すごく不安で、どうしていいか分からなくて。ありがとうございます」

 目を真ん丸に見開いて、少年はぽろぽろ泣き出してしまった。よほど心細かったのだろう。アルヴィドはいままで、驚かせる以外で人を泣かせたことが無かったので大いに困った。

 先ほどの肉屋の店主を真似て、少年の頭をおずおずと撫でまわしてみた。柔らかな茶色のくせっ毛はどこか犬を思わせる手触りだった。涙をこぼす目を見れば、子犬のように茶色いまん丸の目だった。

 不謹慎ながら、犬を飼いたかったことを思い出した。

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