第3話
「お父さん、7年前に死んだ筈じゃ」
「おおん?何を言うとるねん桜花。ポン刀なんて持ち寄ってからに。
ワイはピンピンしとるわ」
「いや、これはちょっと、怖くて持って来ちゃって」
現れた娘に藤堂は困惑する。桜花もまた困惑しているようだ。
いや、と藤堂は思う。
確かに娘の面影があるが、制服を着ている。娘はまだ小学生の筈だ。それなのに、何故?と。
それに、死んだ筈とは。手に持つあの刀は、自分の物では無かっただろうか。暴力団組長の娘であるなら、刀を持ち歩いているのは当然だが。
明らかに彼女は幻等の類では無い。記憶力には自信は無いが、愛すべき娘の姿を見紛える程。節穴の目はしていない。確かに、藤堂の娘、桜花はそこにいた。
これこそが家による因果転変、必殺の技。
高濃度な怨みにより時空を歪ませ、未来と今を無理矢理に繋げる。より正確に言えば、家が望む未来と今の因果を結びつける、と言うべきか。
家の中限定ではあるが。対象者に、未来の己の姿。或いは、近親者の姿を見せる。
それは幻覚等では決してなく。確かにあり得る未来の姿だ。家は数多ある未来の可能性から、意図的に家が存続している未来を手繰り寄せ、対象者に見せる。
未来に家があれば、家を壊そうとするものの行動は失敗する。失敗した事になる。
更に、未来の存在も対象者の姿を視認し。逃れられない呪いの因果に囚われる事になる。その未来へと収束して行く。
あらゆる家に対する害意を、全て無に帰す無法の能力。
藤堂が見たものは、己の娘が家に遊びに来て、家に呪われると言う未来だった。当然。そんな未来になっていると言う事は、藤堂高丘は死んでいると言う事だろう。
この能力により。かつて家に火を放とうとした人間等も、追い詰められ死んでいった。
未来の確定。因果性の改変。未来にこの家はある。だから藤堂の目論見は失敗する。そして娘もまた、呪いに捕らわれる。
現在10歳の藤堂桜花が7年後、また死んだ父の元に現れ、そして父と共に殺されると言う永劫の呪いを廻り続けるのだ。
これにより。
「お父さん、何がどうなってるの?」
「今は説明しとる場合とちゃうわ。
こっちこんかい桜花!」
藤堂は娘を己の腕に抱えて、畳の部屋から距離を取らせる。
桜花の長く黒い髪、黒いセーラー服のスカートが揺れる。刀を手放さないのは流石の血筋だろうか。
触れてみる事が出来て殊更、これは己の娘だと藤堂は確信した。理屈では無い。獣以上に鋭い本能でだ。
娘を己の後ろに庇い、藤堂は畳の部屋の入口を険しい表情で見据える。
駄目押しと言わんばかりに。二体の特級の怨みを宿した怨霊がそこに立っていた。
現れたのは、最後の刺客にして惨劇の
死は因果により確定したは言え、理由は必要だ。
家は藤堂の死の因果の確定を、この二人によるものとシナリオした。
主人の霊は、刺された全身から血を流しながら、腕を揺らし。
妻の霊は、長い髪の後ろに目を見開いて、折れた首を不気味に揺らしている。
二体の霊は、空気も心の臓も凍てつく程の殺気を、藤堂高丘と藤堂桜花へ向けていた。
「おうおう、殺る気やんけ。人様の娘まで召喚しよって。
ワイ諸共殺す気満々かいな」
「こ、ころっ!?何、何!?」
「ええから、桜花は後ろで大人しゅうしときぃ。
安心せぇ。お父ちゃんが絶対守ったるからな」
藤堂桜花は押し黙る。10歳までの記憶であるものの。父の大きさと安心感は記憶にあるままで。怖いが勝り持ち出してしまった刀を握り込む。
自分は只肝試しに来ただけなのに!と叫びたい戸惑いはあるが。父に守られる安心感が何よりも勝った。
だが、桜花の脳裏をたった一つの疑念が過る。
──父はこの場で死んだからこそ。私がここに来たんじゃ無いだろうか?と。ならば父はまた、今。ここで、死んでしまうのでは無いだろうか。
桜花の懸念等構いもせず、藤堂高丘と二人の怨霊は睨み合う。
主人とその妻の怨みの念は凄まじい。
家を他の人間にくれてやるものか。決してそうしてなるものか。
今度こそ、暖かだった幸福を守るのだ。最早そんなものは無いと言うのに。
その妄念が今や、黒々とした怨みとなり。冷たく重たい殺気となっている。
ヤクザ組長と、怨霊。睨み合って、からの。
「うわっ!来た!」
桜花が叫ぶ。先手は怨霊二体が取った。藤堂は娘を守る意識が働き、その場を動けない。
主人の霊が両手を藤堂へと伸ばす。
そして妻の霊は、藤堂の後ろにいる桜花をその開かれた目で視界に捉えた。
呪いが奔る──。妻の霊の呪いは、目に映る者を怨み害する呪眼である。
藤堂は娘を捉えたその呪いに気づく。妻の霊は遠い。主人の霊も向かって来ている。避ければ娘は忽ち殺されてしまうだろう。
藤堂に出来る事は、視界を遮り、娘の盾になる事だった。
「お父さん!?」
「ぐっ、ふ」
藤堂の腹から血が噴き出す。呪いによって内から捻られた内臓と筋肉による出血が、耐えきれずに内から皮膚を突き破ったのだ。
常人ならざる肉体を持つ藤堂。当然その内臓の頑丈さも並みでは無いが、呪いの力も並みでは無い。
一の呪いが発生してから早10年。その被害数、実に数千人以上。それだけの怨みを、呪いとして貯め込んで来ているのだ。
怨霊の攻撃はまだ終わらない。負傷により態勢を崩した藤堂の首を狙い、主人の霊の手が伸びる。
「しゃらくさいわ!」
藤堂の剛腕が主人を迎え撃つも、主人の霊の全身から噴き出した夥しい血が腕の軌道を逸らす。妻の霊による攻撃のせいで避ける事も出来ず。かろうじて首から肩に狙いを変えさせたものの。
砕ける音がした。藤堂の肩の剛骨が、人の骨が砕けたとは凡そ思えない音を立てて割れたのだ。藤堂の左腕が垂れ下がる。
「
また桜花の声から悲鳴が上がる。
藤堂は右腕を主人の腹へと今度こそ叩き込むも、傷のせいで威力が完全には出ない。
高密度の呪いに防護された主人の霊は、数歩後ろによろめくのみ。藤堂の深手に、二体の霊はほくそ笑む。最早、抵抗する事は出来まい。
その思惑は吹き飛んだ。主人の霊の身体と共に。
即座に再度間合いを詰め、折れた左肩を身体の旋回で振り回し。使いものにならない筈の左腕で主人の霊を殴り飛ばした、藤堂高丘によって。
主人の霊は、衝撃で仰向けに倒れ込んでいる。
「これやからカタギはあまっちょろいんじゃあ!
嗤うんはワイの首取ってからにせんかい!!」
藤堂は主人の霊の顔面を掴み上げながら、妻の霊へと接近をする。妻の霊は呪眼にて止めようとするも、出来ない。藤堂が主人の霊を盾に、妻の霊の視界を遮っているからだ。主人を呪ってしまうだけだ。
「「■■■■■──!」」
主人、妻の霊が、呪詛を込めた声で共に叫ぶ。聞くもおぞましい金切り声だ。廊下の奥で桜花が耳を塞ぐも、藤堂は止まらない。その鼻からは血が流れ出ている。
「じゃぁかましいんじゃぁ!!」
藤堂は、己の怒声で呪声を相殺し。主人の霊の後頭部を、妻の霊の顔面へと叩き込んだ。強すぎる衝撃に、空間が揺らいだようにすら見えただろう。
二体の霊の首が、同時に勢いよく胴体から千切れ。激しすぎる圧力と、藤堂の掌と共に。床へと叩きつけられた。
「ふぅ~っ。なはは。
流石に、ちょっとしんどかったわ」
藤堂は叩き込んだ勢いで、二体の頭部に覆い被さるようにして息を深く深く吐いた。
だが、首は獲った。首を取れば人は死ぬ。
この考えがこの瞬間においては、極道の中の極道である藤堂の、致命的な油断だった。
まだ。夫妻の霊は消えていない。幽霊は、首と胴体が離れた程度では止まらない。
その程度で済むなら、火野子が払っている。藤堂は未だに、死の因果から逃れ得てはいない。
「む、ぐおおおお!」
油断し、力が抜けていた藤堂の身体を。後ろから、夫妻の首の無い胴体が羽交い絞めにする。
そして、掌を離された主人の頭部の後ろから。妻の霊が、生首のままに藤堂を呪眼によって睨みつけた。重く激しい呪いを、至近距離で。遮るもの無く浴びせ掛けられる。
藤堂の内臓が捻じれる。脳の血管が膨張する。全身の骨が悲鳴を上げ、筋肉の繊維が千切られていく。異様な目が、弾け飛びそうになる。
こらあかん。ちょっと油断し過ぎてもうた。
藤堂が、激しい痛みの中でも冷静に打開策を巡らせていた瞬間。
「お父さんをぉ!」
藤堂桜花の叫び声と同時の、踏み込音が後方から爆発し。
「離せぇぇ!」
次いで刀が振るわれた透明な音がする。一拍置いて。夫妻の霊の腕が床に落ちていた。
文字通り、
「なっはっは!流石ワイの娘やでぇ!」
一瞬目を丸くした藤堂は、大きく高笑いをすると。変わらず肉体から血を迸らせながら、高く拳を振り上げる。
「可愛いおっきなった娘が見とるんじゃ。かっこつけさせえや」
そんな筈は、と家は思う。この男も、その娘も死の因果に囚われている筈だ。この場で、娘と共に呪い殺されるのがこの男の運命と定めた筈だ。
それなのに、どうしてこうなっている?
この男は。藤堂高丘は。その血に連なる者は。因果すらも破壊し得るとでも言うのか。
「ほなな!」
藤堂は今度こそ。全力で。夫妻の霊の頭部を、拳で叩き潰した。
只の拳。されど、藤堂が本気で握り。打ち込んだ純粋な暴力の破壊力は。死の因果をも叩き割る。
家が、この日で一番の軋んだ悲鳴を鳴らした。
藤堂はやや緩慢ながらも、両の脚でしっかりと立ち上がる。
「さてと。ええもん見せてもろたわ。おおきに。
やっぱ嫁さんに似て、美人に育つのぉ。けどワイは、自分の目ぇで成長していく所を見たいんや」
藤堂は、桜花の姿を、優しさと愛しさを込めた目で見返す。
桜花は興奮やらなにやらが混じりながら。刀を振り切った姿勢のまま、肩で息をしていた。
藤堂高丘の拳は、ここにいる藤堂桜花へと続く因果を破壊した。
破壊された因果が収束し、今この場の異物である藤堂桜花の身体が浮き上がり始めた。
藤堂高丘が死んだ未来線から来た藤堂桜花は、今この場にはいられない。
「わー!きゃー!お父さん!?
どうなってるのこれ!」
「そう騒がんでええ。元の場所に戻るだけやろ。知らんけど。
いやー助かったで桜花。おおきに」
藤堂はそう言うが、実際の所は分からない。因果の壊れた未来に、まだこの家があるのか。そもそも、藤堂高丘が死んだ世界線の藤堂桜花は存在出来るのか。
それは誰にも分からない。
世界線事消え去るのかもしれないし。また別の次元として進んで行くかもしれない。
それでも藤堂高丘は、娘の未来が輝かしいものである事を疑わない。これもまた、本能による勘だった。
「ほなな、おっきなった桜花。また未来で会おうや」
藤堂高丘は、姿を消して行く藤堂桜花へと軽い調子で手を振る。
藤堂桜花は何かを叫びながらも、吹っ切れた様な表情で父へと両手を振って消えて行った。
娘を見送った藤堂は、畳の部屋へと踏み入って行く。
腹から出る出血が滴る。ワタは出ていないものの、かなり深い傷だ。折れた左肩の骨も全身も、歩く度に軋んでいる。内臓も幾らか損傷したようだ。
だが揺るぎないその眼に映るのは最奥。開いた押し入れの中。
「10年掛ったで。この家の話がワイの耳に入ってくるまで。
子どもやっちゅうのに随分長い事、気張りよったもんやなぁ」
押し入れの中では、涙を流した子どもが藤堂を見ていた。
それは、間違いなく霊だった。だが、只の霊とは思えない存在感。先程の夫妻の霊以上の、怨みの質量。
そこにいる子どもは最早、家そのものと一体化した、呪いそのもの。
この家の怨みの本体であり、家でもある。行方不明となっていた子どもがそこにいた。
「うちの組のもんが、ほんまにすまん事をした。
ケジメをつけに来たんや」
子どもの口から、泣き声が漏れて行く。静かに。深く、濃い怨みの音。
音と共に。子どもの霊と藤堂の間に。怨みが満ちて行く。瘴気が濃く、濃くなって行く。
現れ出でるのは、
家が子どもを取り込んだのか。子どもが家に溶け込んだのか。それは定かでは無い。
だが。家は、子どもは。藤堂を敵として今。深い呪詛を向けている。
藤堂高丘は。なにもかもを不幸にした暴力団の組長。全ての不幸の始まりは、お前のせいだと。
「……いつまでも子どもが。成仏もでけへんままに、この世のなんもかんも怨んどったらあかん。人を怨むんはええ。けど、縛られとるんは不憫や。ちぃとおいたも過ぎたしのぉ」
藤堂は構える。子どもまでの道を、一直線に向かえるように。
既に身体は満身創痍。なれど、彼には信念があった。
「その怨みの全部。ワシにぶつけぇ。最期まで、キッチリ、とな。
泣き止んだら、また元気になるんやで」
自分の身がどうなろうとも。どれほどの痛みと苦難があろうとも。
一度決めたケジメは、必ずつける。
暴力団は悪だ。だが。
ケジメをつけねば、悪ですらない。
藤堂高丘が叫ぶ。呪いの家との、最後の戦いが始まる。
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