地下牢
翌日、
外からの光の差し込まないその場所には、時計すらも置かれていない。今が朝なのか、昼なのか、はたまた夜なのか――それを確認する手段さえ、完全に断たれている。地下牢の節々には、蜘蛛の巣が張られている。薄暗いその場所でかろうじて視認できるものは、壁や床にこびりついた血痕だ。他の牢からは、不気味なうめき声や独り言が聞こえてくる。他の囚人の多くは、この場所に幽閉され続けたことで気が触れてしまったのだろう。この暗さでは人影しか見えないが、ここにいる者たちは皆、無造作に跳ねた長髪をしている。時折、発狂しながら壁を叩き続け、その拳から血飛沫を散らす者もいた。九龍が正気を保てなくなるのも、もはや時間の問題である。
もし地獄があるとしたら、それに限りなく近いのはこの場所だ――九龍はそう感じた。
九龍は一先ず、その場から立ち上がろうと試みた。しかし彼の足には、まるで力が入らない。そればかりか、その足首には激痛が走るばかりだ。彼は怪訝な顔をしたのちに、目を凝らしてみた。彼の足首には、アキレス腱を切除したような痕跡がある。もう二度と、彼は歩行できない。そればかりか、彼はもう立ち上がることすらできないのだ。その壮絶な状況に、九龍は思わず涙した。しかし彼がまだ泣けるのも、投獄された初日だからだ。もうじき、彼は悲しみの涙さえ流さなくなる。
曲がりなりにも、この地下牢では食事が支給されていた。もはや栄養バランスなど考えられていないのか、そこでは味気ない粥しか提供されていない。その上、食事自体の回数も、一日に一度までだった。当然のごとく、ここに投獄されている者たちには、シャワーを浴びる許可など下りない。彼らの肉体は虫がたかり、じわじわと腐敗していく。この日も、九龍は味のしない粥を口に運び、それを無心で咀嚼していった。よほど疲弊しているのか、彼は度々、粥を口からこぼしていた。長らく薄暗い地下牢で過ごしてきた彼は、当然ながら目も酷使している。今の彼の視界は、酷くぼやけていた。
この男には未来などなく、今この瞬間もまた虚無である。九龍が脳裏に思い浮かべているのは、専ら過去のことである。彼には家族に別れを告げ、旅立ち、そして必死に亡命を試みた日があった。レジスト国に住み始めてから、彼にはジョニーという親友もできた。ジョニーが国家反逆罪で投獄されたことを機に、彼はデモ隊を結成した。そんな記憶だけが、九龍の脳内で何度も繰り返される。それは彼にとって、途方もない時間を過ごす唯一の方法だ。
そんな日々が続いた末に、その日は訪れた。
鉄格子の奥から、看守が顔を覗かせてくる。
「今日はお前に、なんでも好きなものを食べさせてやろう」
当然、その甘い言葉にも裏はあった。そして、九龍も薄々それを感じ取っていた。もはや思考力さえも半ば失いつつある頭で、彼は必死に考えた。そこで彼が思い出したのは、かつて故郷で家族と過ごしてきた日々だ。
「揚州炒飯を食べさせてくれ。海老は多めで……」
それは彼の家庭でよく出されていた料理だった。看守はうなずき、すぐに調理場へと向かった。
それから九龍は、久しく慟哭した。舌を巡る感覚が、彼の思い出を引き出していったのだ。無論、彼が家族に会えることはもうない。かつては日常的に存在していた食卓――それは今の九龍にとって、一番の宝であった。
やがて食事を完食した時、感極まった九龍は息を荒げていた。そんな彼に対し、看守は声をかける。
「公開処刑の時間だ。断頭台まで案内する」
元より、九龍が好物にありつけたのは、それが最後の食事であるがゆえのことだった。看守は牢の扉を開け、もう立ち上がることのできない彼の身を背負った。
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