言論の自由

 その日の夕方、レジスト国の一角にある公園のベンチに、一人の男が腰を下ろしていた。彼は李九龍リー・クーロン――半年前にこの国に流れ着いた移民である。一日の労働を終えた彼は、感傷に浸っている様子でもあった。そんな彼のもとに、一人の青年が姿を現す。

「よぉ、九龍。最近、調子はどうだ?」

 そう訊ねてきたのはジョニー・ドロップ――九龍の親友だ。この男もまた、同じく楽園主義に反感を覚えてレジスト国にたどり着いた身である。一先ず、九龍は彼の質問に答えることにする。

「面白いことは何もないね。国の外のことはわからないし、そのせいで娯楽も制限されているしさ。まあ、病気もなく平和にやってるよ」

 最低限、この国でも健康な肉体は維持できるらしい。一方で、国の情報統制がかなり厳格なものであることも確かである。そんなレジスト国の在り方に、ジョニーは少しばかり異議を唱える。

「元気にやってるなら良かった。しかし色んなコンテンツが規制を食らったり、SNSもほとんどは使えなかったり、困ることも多いよな。平和ではあるんだけど、何か物足りないんだよな」

 退屈な日々の中に、彼は刺激を求めていた。無論、レジスト国が矮小な軍事国家である以上、いつ平和な日々が失われてもおかしくはないだろう。さりとて、戦争が日常生活と地続きであったとしても、それを常日頃から実感できる者は少数と言えるだろう。先ほどのジョニーの発言自体、この国では非常に危険なものだが、彼にはややその認識が欠けていた。


 そこで九龍は忠告する。

「はは……あまり将軍様を悪く言うのも、考えものだよ。悪い意味で目立ってしまうからね」

 確かに、この国柄にして相手があの指導者であれば、それを下手に敵に回すのは悪手だろう。ジョニーは深いため息をつき、九龍の隣に座る。

「そうだな。地球国でも、レジスト国でも、言論の自由は形骸化した。民意に逆らうことも、将軍様に逆らうことも、我々には許されていないんだよな」

 楽園システムは、世界を大きく変えた。今こうして二人が分裂国家にいる背景にも、楽園システムの存在がある。誰かがあの仕組みを破壊しなければ、世界は間違った方向へと突き進む一方であろう。それでも、サムが楽園システムを破壊する人物に相応しいか否かは甚だ怪しいところだ。


 そんな世の中に対し、九龍は折り合いをつけている。

「……それでも、僕は現状に満足してるかな。例え独裁政権であっても、楽園主義よりはうんとましだからさ」

 情報統制を行っている分裂国家でさえ、彼に楽園主義よりはましと言わしめた。彼の生活が改善されたことは事実であるにせよ、彼は半ば真の自由を諦めていた。一方で、ジョニーはまだ希望を捨ててはいない。

「ああ、オレ様もそう思う。だけど、オレ様は決して諦めない。このジョニー様が、歴史を変えてみせる」

「はは……君はいつもそうだね」

「そういう九龍は、相変わらず冷めてるな」

 親友同士である二人も、その人柄においてはおおよそ正反対だ。理想を追うのに消極的な九龍と反し、ジョニーは極めて積極的だ。無論、九龍をそうさせているのは、彼自身の性格だけではない。

「なんか、全部どうでも良くなっちゃったからね」

 そう呟いた彼は、どこか疲れ切ったような横顔をしていた。眼前でうなだれる親友を元気づけようと、ジョニーは必死になる。

「九龍。オレ様を信じろ」

「……それは、どうかな。ジョニーが本心を語っているのも、嘘をついているつもりがないこともわかる。だけど……」

「だけど……?」

 その発言に続く言葉が、ジョニーには予測できない。そこで九龍は、己の両手の掌を凝視した。そこに刻まれていたのは、見るからに痛々しい傷痕だ。

「一人の人間が変革をもたらすには、今の世の中はあまりにも狂ってしまった」

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