世の中に合わせる薬

 その日の晩、一郎いちろうはいつものように配信をしていた。彼はいつもの調子で、様々な質問に素早く答えていく。そこに正しさがあるか否かは別の問題として、この男には、与えられた質問に瞬発的に返答していく能力があることだけは確かだ。さっそく、一郎の配信にまた、一通の投げ銭が来る。

「はい、投げ銭ありがとね。一郎さん、いつも配信を楽しみにしています。私は以前、ベーシックインカムのために孤児を引き取りました。子供がうるさくて手を焼いているのですが、どうすれば良いでしょうか。なるほどなるほど……」

 孤児を引き取れば、世帯が受け取れるベーシックインカムは増える。その代償として、養親や里親は多少の不便を我慢しなければならない。もっとも、命を預かることを選んだ以上、その代償を受け入れることは最低限の責任だろう。さりとて、金のことしか頭にない者たちは、その責任すらも煩わしいと感じるようだ。


 そこで一郎は、とんでもない提案をする。

「俺思うんだよね。うるさい子供って、薬で大人しくさせれば良いんじゃないの? 楽園システムがあるんだからさぁ、多数派が望めばなんでも第二類医薬品に出来るわけでしょ?」

 確かに、楽園システムが政治体制を管理している今、民意がそれを望むだけで薬機法を変えられるだろう。それでも彼の提案は、常軌を逸したものだ。いくら私利私欲にまみれた庶民たちも、ここまで人間性を捨てることはためらうかも知れない。しかし一郎には、そんな彼らを説き伏せる口実がある。倫理的な話に移る前に、彼は具体的な薬物の種類を名指しする。

「例えば、ベンゾジアゼピン系や向精神薬を第二類医薬品にすれば解決すると思うんだよね。これらの薬は感情の振れ幅を狭める効果があるからさぁ、簡単に言えば『大人しくさせる薬』ってわけなんだよね」

 無論、彼は薬学に精通した専門家ではない。彼の説明は極めて粗雑なものであったが、それゆえに難解な言説以上の支持を受けるのだ。ここで彼は、ついに持論に対する大義名分を語る。

「アンフェタミンもだけどさぁ、精神に作用するって元々、世の中に合わせるためにあるでしょ? 世の中の方から精神に合わせてくれるなら、精神を治療する薬なんて要らないわけ」

 そう――大なり小なり、病める人々は服薬によって「世の中に合わせること」を強いられてきたのだ。無論、それは子供を薬で黙らせることの免罪符にはなり得ないだろう。さりとて、大衆は一郎の発言力を妄信している。一郎がもう一押しすれば、彼ら全員が納得することだろう。


 一郎は不気味に微笑み、そして言い放つ。

「だから由緒ある伝統に則って、子供たちには世の中に合わせて大人しくなってもらおうよ」

 その言葉に、チャット欄は凄まじい盛り上がりを見せた。所詮、大衆が求めるものは刺激なのだろう。もはや言論でさえ、彼らからしてみればエンタメにすぎないのだ。更なる問題は、そのエンタメが民意を生み、楽園システムに影響を及ぼしてしまうことである。


 一郎は話を締めくくる。

「皆がそうしてきた。世の中に合わせる薬を開発してきた。何も違わないでしょ? 今更、そこを偽る綺麗事なんて、誰も言えないでしょ?」

 もはや人類は、引き返せないところまで来た。チャット欄が、賞賛のコメントで溢れ返る。

「『世の中に合わせる薬』とかいう表現マジで好き。人間の傲慢を上手く表してる」

「人権屋よりも弱者のことわかってそう」

「相変わらずの切れ味。コイツ表を歩くだけでも銃刀法違反だろ」

――またしても、民意は動いた。それから数週間も経たないうちに、様々な向精神薬が第二類医薬品と認定されていった。


 そして案の定、数多の孤児が薬によって黙らされることとなった。

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