演説と嘲笑
一郎の配信に影響され、人々はこぞって孤児を引き取りだした。無論、彼らがろくに孤児の世話をするはずもない。孤児の多くは何もない部屋に押し入れられ、最低限の衣食住だけでの生活を強いられている。彼らの存在意義は、その世帯に与えられるベーシックインカムを増やすことだけだ。また、児童養護施設が閉鎖した弊害により、路頭に迷う子供も現れた。ろくに孤児の面倒を見ないはずの庶民たちは、容姿や才能などを基準とし、引き取る孤児を選りすぐりしているのだ。最低限の衣食住だけに生かされた子供が健全に育たないことなど、火を見るよりも明らかだろう。されど人々は選ぶ立場にあり、孤児は選ばれる立場にある。それが全てなのだ。
これを受け、人権活動家の
「何がなんでもお金、お金、お金! 拝金主義がはびこり、人の心は貧しくなりました! 自分さえ良ければ良いと! 国民の皆様方がそのようにお考えになると、多くの犠牲を伴う! そんな社会を、野放しにしてはいけません!」
無論、彼の声など、大衆からすればノイズに過ぎなかった。それでも彼は叫び続ける。本心から人権を重んじる彼は、いくら白い目を向けられても屈しない。
「心という財産は、人権という財産は、お金には代えられないのです! そして心と人権は、分け合うことによって育まれる財産です!」
言うまでもなく、その考えは楽園主義国家にとって、古く陳腐なものだ。彼の怒りの声は、通行人の失笑を買うばかりであった。街行く人々のうちの何人かは、邪悪な笑みを浮かべながら動画を撮影している。悪意と嘲笑の渦巻く路上に、拓海の声が虚しく響き渡る。
「かつて、人は『愛せよ』と教わりながら生きてきました! それが、人が人である証だと、ワタシはそのように感じております!」
その声さえも、何も生み出さなかった。人権を軽視する大衆からしてみれば、この男は狂人以外の何者でもない。そんな男の言葉に耳を貸す理由など、彼らには無いのだ。
大手動画投稿サイトに「井上拓海さんのありがたいお説教」という動画がアップロードされた。その動画は凄まじい閲覧数を稼いだが、視聴者のほとんどは野次馬であるか、あるいは彼のアンチだった。当然、そのコメント欄はおおよそ誹謗中傷で埋め尽くされている。
「人権中毒者の末路」
「自分のことを少年漫画の主人公だと思ってそう」
「幼少期から成人するまでにかけて健全な精神を育む機会を逃した人間は、注目を浴びるために奇行を繰り返すようになる。井上はその手合いだと思う」
根も葉もない憶測だ。やはり人間の多くは、見たいように見て、聞きたいように聞く生き物なのだろう。
「頭の悪い奴が正義感を持て余すとこうなる」
これもまた、心無い言葉であった。多数派にとって不都合な意見を述べる者は、無条件に頭が悪いとみなされるらしい。このような悪意ある内容はコメント欄のほとんどを占めていたが、とりわけその中でも醜悪なものがある。
「これとヒップホップのオフボーカルを同時再生してみたら死ぬほど面白かった」
このコメントは反響を呼び、不特定多数からのリプライを受け取っている。
「天才の発想」
「試してみたら中身のないヒップホップが流れた」
「でも井上はラッパーじゃなくてパッパラパーだよな」
公衆の面前でも、インターネット上でも、井上拓海は中傷や嘲笑の的でしかなかった。
この動画が幅広く拡散されたことにより、あのコメント欄のことは、拓海の耳にもすぐに届いた。
「相も変わらず、人権を軽視する連中だ。ワタシを袋叩きにして、それを是とするとは!」
彼の中で、燃えるような怒りが渦巻いた。
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