無責任な人間

 ミライ・グル―プだけでなく、数多の大企業が大打撃を受けた。福祉の概念が破壊された次は、強者から財産を搾り取ることで経済が破壊されたのだ。


 この件を踏まえ、弓狩ゆかりはより一層、楽園主義に否定的になる。

「大衆は、愚かでしたね」

 それが彼女の第一声だった。そんな彼女が話しかけた相手は、もちろん玲威れいである。

「何故そう思う?」

 玲威は訊ねた。依然として、彼は己の間違いを理解していない様子だ。ここまで伴った犠牲は大きく、そして儚いものだ。これには弓狩も、憤るばかりである。

「福祉の存在を理由に弱者を排斥した者たちがっ……強者の財産を養分にしたのですよ! これを愚かと言わずして、何を愚かと言うべきなのです!」

 言うならば、ベーシックインカムもまた福祉の在り方の一つだ。大衆は自らの財産を弱者に分配することを毛嫌いしていた一方で、強者の財産の恩恵に与ろうと躍起になっていたのだ。その様を見た弓狩が、民を愚民と考えるのも、無理のないことである。


 一方で、玲威は相も変わらず国民の選択を信じている。

「それが楽園システムの導き出した仕組みであれば、それもまた必要な過程の一つだ」

 頑なに楽園主義にしがみつくその姿は、さながら狂人であった。彼の言説に、弓狩は強く反対する。

「貴方は……! 貴方は何を仰っているのですか!」

「前にも言ったはずだ。物事はやがてあるべき姿に収束すると。今はまだ不都合を伴う段階だが、このまま楽園システムを稼働させ続ければ……」

「どうにもなりませんよ。少なくとも、良い結果には転びません。過程を蔑ろにして築き上げられた世界には、誰も納得しません。それが未来のためであるとしても、誰も納得などしません! だから、無意味なのです……」

 機械に囲まれた部屋に、彼女の熱意のこもった声がこだました。その叫びも、やはり玲威の心には響かない。そればかりか、彼は弓狩のことを侮蔑する。

「君はもう少し賢いと思っていたのだが、私のやり方に口を出すだけの置物だったようだな」

「お……置物……!」

「少なくとも、私という人間は、未来のためだと思えば全てに納得できる。誰かが一度苦しまなければ、世界を導くことはままならない。だから楽園システムが必要なんだ」

 未来のことは、誰にもわからない。しかしこの男は、未来のことに確信を持っている。ゆえにいくら楽園主義を批判されようと、彼はまるで動じないのだ。そんな彼に失望してのことか、弓狩は深いため息をついた。それからおもむろに立ち上がった彼女は、玲威を睨みながら問う。

「そんなに、私は愚かですか?」

「ん……?」

「かつての当たり障りない世界を愛していたことは、そんなに愚かなのですか!」

 何やら彼女は、楽園システムが導入される前の世界を愛していたようだ。元より楽園システムには致命的な欠陥が目立っているが、このような背景は彼女がいかに楽園主義を嫌っているのかを物語っている。そんな彼女の切実な疑問も、玲威からすれば一笑に付するものだ。

「ああ、愚かだよ。愚かで自分勝手で、かつ独善的だ」

 その一言で、弓狩は確信した。彼女が今目の当たりにしている男には、決して話など通用しない。同じ言語を介して話しているはずの相手が、同じ常識を有していないのだ。その事実に恐怖を覚え、弓狩はその首筋に汗を滴らせていた。それでも彼女は、対話することを諦めない。

「貴方は、己自身を愚かだと、自分勝手だと、独善的だとは思わないのですか……?」

 その質問に対し、玲威はこう答える。

「そんなはずはない。楽園主義で実権を握っているのは私ではなく、庶民だ。何故、大勢の選んだ道を愚かで自分勝手で独善的だと言い張れる? 君は一体、何様のつもりだ?」


――彼もまた「無責任な人間」の一人に過ぎなかった。

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