剥ぎ取られる財力
それから入浴を済ませた
「鈴木さん。僕はそろそろ寝るから、何か落ち着いた曲でも演奏してくれ。いつものやつでも良い」
これもまた、蒼太の日課の一つだ。彼は鈴木に演奏を頼み、その音色に聞き入りながら床に就く日々を送っているのだ。
鈴木はグランドピアノの前に腰掛ける。
「では、いつも通りパッヘルベルのカノンを演奏いたしましょう」
さっそく、彼は繊細な指遣いで鍵盤を叩き始めた。心地よい旋律が防音壁に囲まれた寝室を包み込み、蒼太のまぶたは重くなっていく。
「ん……やっぱり、鈴木さんのピアノは、最高だ……」
そんなことを呟きつつ、蒼太はおもむろに眠りに落ちた。こんな日々が永遠に続くことを、彼は心から願っていた。
しかし彼の運命を変えたのは、楽園システムであった。
それからしばらくして、ミライ・グループの社員や支社長が、次々と辞職していった。人手が急激に減少したことが痛手となり、経営難に陥ったミライ・グループは、数多くの支店や子会社を潰すこととなった。それでもなお人手不足に悩む職場では、一人一人に分配される仕事の量も増えていく一方だ。そうして更に人が離れていく様は、まさしく負の連鎖であると言っても過言ではない。
蒼太を悩ませていたものは、それだけではない。経営だけは上手くいっていないのにも関わらず、私財の多い彼は多くの税金を徴収されていた。そして、その金額は徐々に膨れ上がっている。
これらの問題が生じている理由は、蒼太にはよくわかる。
「まずいね……『ベーシックインカム』の金額がどんどん高くなっている」
ベーシックインカムとは、全ての国民に支給される金のことだ。富を分配することへの抵抗や、労働意欲や競争心を損なわせるリスクなどが挙げられ、元々この制度には否定的な立場を取る政治家が多かった。されど今の世界を動かしているのは、国民だ。彼らの欲望によって設けられたベーシックインカムは、その金額の際限を知らない。こうした支給金の財源を確保するには、より多くの金を持つ人間から税金を徴収するしかない。加えて、過剰なベーシックインカムの存在により、労働そのものの需要も少なくなっている。指導者ではなく国民が金を望む以上、もはやそこに上限などあってないようなものなのだ。
そういった理由などが重なり、ミライ・グループから離れていく者たちは後を絶たなかった。それでもなお必死に生産効率を上げようと考えた蒼太は、人材の不足を機械で補おうと試みた。さりとて、機械にできることは「与えられた仕事」だけだ。新製品の案のほとんどは蒼太一人の頭で考えなければならない。焦りや怒り、楽園主義への反抗心など――数多の感情が渦巻いている以上、彼は冷静にはなれない。同時に、彼はそれを社員に悟られるわけにもいかない。CEOである蒼太が不安を見せることは、会社全体の不安につながるのだ。そこで彼は、別の経営戦略も考える。受話器を片手に持つ彼は今、他のIT会社と連絡を取っている。
「もしもし。ミライ・グル―プの明知蒼太です。お互い、経営が厳しいことと存じ上げます。そこでですが、こちらで御社を買収することは叶いませんか?」
他の会社を取り込むことは、人材を取り込むことにもつながる。しかし相手も、そんな要求を簡単に呑むような会社ではない。
「いくらミライ・グループさんとは言え、流石に会社は売れませんよ」
返ってきた答えは、結局こんなものだ。
それから彼は、様々なIT会社と連絡を取った。しかし一社として、ミライ・グループに買収されることを選ぶ会社はなかった。
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