死を選ぶ権利

 弱者には戦う道しか残されていない――それが勇樹ゆうきの考えだった。楽園システムが福祉を破壊した現代において、その言説が有する説得力は底知れぬものだ。それでも芽衣めいは、穏便な解決方法を模索する。

「それでも、人々が手を取り合える道はあるだろ!」

「デモ隊を結成すれば撃たれるというのにか? お前が人命のために俺を止めることは、お前なりの信念だろう。だがそんなものを正義と呼ぶことは、あまりにも浅はかだ」

「……そうだな。何が正しくて、何をすべきかなんて、オレにはわからねぇ。だがアンタは、話の通じる奴だ。だから、アンタの声を聞かせて欲しい。報道機関に掛け合い、発信させてみるよ」

 警察である以前に、彼女は正義を愛する心の持ち主だ。弱者が声を奪われたなら、自らが声の架け橋になれば良い――彼女はそう考えたのだ。そこで勇樹も思考する。自らがどのように生きたいか、そして何を許されることが人権なのか。それから数瞬の沈黙が生まれ、それを勇樹が破る。

「この国で、積極的安楽死を認めて欲しい。弱者は救われ、強者は足を引っ張られずに済む。この仕組みさえ周知されれば、人々は積極的安楽死に肯定的になるだろう」

 結局、彼は生きることそのものに疲れていた。人権を奪われた弱者が最後に望んだものは、人権の奪還ではなく、最小限の痛みしか伴わない死だったのだ。この時、彼に希望を抱かせるべきか――芽衣は迷った。さりとて彼女の抱かせた希望も、徒労を生むだけでは眼前の男を救えないだろう。

「そんな簡単にいくかはわからないが、話してみる」

 芽衣は話を了承した。本心では、彼女は積極的安楽死にあまり肯定的ではなかった。それでも今目の前に在る命は、生きることから逃れることでしか救われない。その事実は、彼女の胸を締め付けるばかりであった。


 勇樹は話を締めくくる。

「人は見たくないものを見ない。人は見たいように見る。俺の声が『綺麗で美しい物事』にかき消され、積極的安楽死が認められなくなった暁には、俺は更に多くの強者を殺し続けるだろう」

「そっか。オレには、アンタを正当化することが出来ねぇ。だけど、オレがアンタの立場にいたら、同じことをしていたかも知れねぇ。こればかりは世の中が――楽園システムが悪いって言えるんじゃねぇかな」

「お前は……良い奴だな。お前を殺さずに済むことを祈る。積極的安楽死が認められなければ、俺は戦い続け、その前にはお前が立ちはだかることになるだろうからな」

 一先ず、これで二人の話は片付いた。この日を皮切りに、芽衣は様々な新聞社や報道機関を訪ねるようになった。



 *



 その日、芽衣は自宅にいた。電話越しに、男の声が聞こえてくる。

「そんな物議を醸しそうな話は、うちでは取り扱えないよ」

 何やらこの新聞社は、積極的安楽死の是非については発信できないらしい。それは芽衣にとって、あまりにも理不尽なことに感じられた。

「何故だ! 民意を動かせるのは、アンタら報道機関だけだろう!」

 彼女の言い分はもっともだ。民意を変えられるものがあるとすれば、それは報道機関くらいだろう。しかし男は、この話題を取り扱うことに消極的だ。

「楽園システムが完成するまでは、報道の自由があったんだよ。だけどね、楽園システムが、実質的に報道の自由を奪ったようなものなんだ」

「どういうことだ……?」

「今の我々が報道できるのは、実際に起きた出来事だけだ。そこにいかなる見解も、思想も交えられない。楽園システムをもってすれば、市民はこの会社を消し去ることだって出来るんだよ。俺が安楽死に肯定的であろうと、否定的であろうと、敵は生じる」

 そう――彼の仕事には、彼の生活がかかっているのだ。この男もまた、自らの命が惜しいのだ。

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