弱者の受難
帰省
そう――楽園システムが導入されるまでは。
元より、雄太の生活費の一部は年金で成り立っていた。しかし楽園主義による政策が行われた直後、年金の支給は停止した。これまで彼が無償で利用できていたサービスなども、次々と有料になっていく。端的に言うならば、福祉に割かれるリソースが減ったのだ。
それからグループホームが閉鎖するまでに、一ヶ月もかからなかった。多数派の都合で回る社会では、社会的弱者は排斥されていくのだろう。無論、雄太は世間の事情には疎い身の上だ。己の身の回りで起きていることを不思議に思いつつ、彼は実家に帰ることにした。
母親と久しく再会した雄太は、話を切り出す。
「母さん。ここ最近、僕は災難続きだよ。年金は打ち切られるし、グループホームは閉鎖するし、踏んだり蹴ったりだ」
この青年は決して、友人には恵まれていない。そんな彼が悩みを打ち明けられる相手は、肉親だけだ。母親は少しうつむき、それから世情を語る。
「楽園システムの影響ね。多分、多数派の人々がより多くのお金を欲しがって、その結果として少数派の人々に手が回らなくなったんだと思う」
民意を持つのは、血の通った人間だ。そこに私利私欲が介入するのも、無理はない話である。さりとて、雄太にはそれがわからない。彼からしてみれば、理解の及ばない事情によって生活を奪われたも同然だ。
「僕はこれから、生きていけるかな?」
「母さんが生きているうちは……ね」
「僕、死にたくない。生きたいよ」
陰りのある表情を浮かべた雄太は、未熟な思考を巡らせた。依然として、その脳には生存戦略が浮かび上がらない。否、これは彼自身の非ではない。
「そうね、今の政治はおかしいと思う。公平性とか、平等とか、もっとそういうことを大事にしていかないといけないのにね」
実質、世界が弱者の生きる術を奪っているようなものだ。そして厄介なのは、楽園システムがまかり通っている理由そのものである。
「だけど皆、おかしいことはおかしいと思うよね? きっと、僕は生きられるよね?」
そう訊ねた雄太は、純真無垢な顔つきをしていた。一方で、母親は眉をしかめている。彼女には、息子の将来を支える手立てはなさそうだ。
「……わからない。雄太は素直で思いやりのある息子だけど、誰もが純粋ではないから」
「どういうこと?」
「多くの人間にとって、正当化されたことは全て正義なの。大抵の人は見たいように見て、聞きたいように聞いて、言いたいことだけは偽るの」
それが彼女の目に映る大衆の姿であった。雄太の眼差しから、希望の光が失われていく。この瞬間、彼は自らの心臓の鼓動を感じ取っていた。そんな息子に現実を突きつけることを残酷に思いつつも、母親は話を続ける。
「母さんや雄太から見れば、楽園システムは人を速やかに間引くための仕組みだけど……多くの人たちにとっては、これが『平等』なの。皆で決めたことだから、皆が望んだことだから、誰が傷ついていても平等ということになっているの」
少数派に属する人間が救われない――それが楽園システムの最大の欠陥であった。それでも雄太は、生きることを諦めない。
「母さん。僕、頑張って、仕事を探すよ。世の中に見捨てられたからといって、いつまでも母さんに迷惑はかけられないから」
そう宣言した彼は、その胸に使命感を宿していた。ここで彼の母親にできることは限られている。
「ありがとう。応援するし、できる限りの手伝いはするよ。あなたは私の息子なんだから」
彼女はそう返したものの、実際には祈ることしかできなかった。
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