楽園に非ざる星

やばくない奴

プロローグ

ナノマシン

「Aグループ、ナノマシンの埋め込みが完了しました!」

「こちらも無事に施術を終えました!」

「今のところ、患者の脳に異常はありません!」

 世界中の病院で、異様な手術が行われていた。それは、人々の脳にナノマシンを埋め込むというものであった。当然、その理由を理解できない者もいる。夜空の下に建つとある病院の一室で、新人の医師は問う。

「しかし、全人類がナノマシン手術を受けなければならないとは、妙な条令が下ったものですね。一体、立案者は何を考えているのでしょうか……」

 そんな疑問が出るのも無理はない。何しろ、世界は全ての人間の脳に機械を埋め込もうとしているのだ。そんな新人の質問に対し、ベテランと思しき医師は答える。

「絶対的な民意による政治が、世界規模で始まろうとしているんだ」

「それは……どういうことですか?」

「全人類の脳にナノマシンを埋め込むのは、セントラルコンピューターが人々の思想を集計するためだ。そしてセントラルコンピューターは、集計した思想の平均を取った政策を導き出すんだ」

 ますます妙な話だ。新人の医師は、依然として怪訝な顔をするばかりである。彼の中で募る疑問も、計り知れないものだろう。

「政治体制を全世界で一律に決めてしまうのですか? 元々、世界は様々な国や文化圏、言語などで成り立ってきたはずですが……」

「これからのことは、民意が決める。権力者の横暴ではなく、一人一人の人権が世界を導いていくんだ。それがこの星の新たな支配者――御神玲威みかみれいの考えていることらしい」

「なるほど。それって、上手くいきますかね? いや、僕はあまり、政治のことはわかりませんが……」

 言うならば、この政策は新たなる挑戦だ。当然、その挑戦に反対する者もいる。一方で、ベテランの医師の方は、この政策にやや肯定的だ。

「この政治体制を推し量る考えは楽園主義と命名された。そして、民意の平均を導き出す仕組みは楽園システムと呼ばれている。これが御神玲威の一存でしかなかったなら、ナノマシンの埋め込みが義務化されることもなかっただろう」

「では、何故このようなことが……」

「ああ、元より、あの男には熱烈な支持者が大勢いるんだ。その中で科学や技術を結集させて、楽園システムが開発されたらしい」

 そう――この仕組みに肯定的なのは、彼だけではない。大勢がそれを望んだからこそ「楽園システム」は実行されるのだ。

「こんなにも仕組みを大幅に変えて、本当に大丈夫ですか? 何か、問題が生じる可能性は……」

「もちろん、その可能性は否定できない。この世に完璧な政治体制などない。だが、仕組みを変えることを臆していては、何も進歩しないし誰も進歩しない。過ちは責められることだが、必要なステップの一部でもある」

「はぁ……」

 新人は決して納得できなかった。しかし、これは世界規模の取り決めだ。それこそ、彼一人の一存では楽園主義を否定できないだろう。


 ベテランの医師は言う。

「さあ、仕事に戻るぞ。まだまだ、大勢の患者の脳にナノマシンを埋め込まなければならないからな」

 さっそく立ち上がった彼は部屋を去り、手術室へと向かう。その後に続く新人は、浮かない顔をしている様子だ。されど二人に選択権はない。楽園システムを完成させるためにも、彼らは手術を施さなければならない。そして彼らは今、患者の横たわる手術台の前に立っている。

「今回の手術は、お前に任せよう」

「は、はい!」

「くれぐれも、失敗のないようにな」

「わかりました!」

 これは決して、失敗の許される手術ではない。新人の額には、一筋の汗が滴っていた。



――これからの世界は、民意で回る。それが楽園主義であり、楽園システムだ。それから数週間も経たず、全人類の思想は実際に集計され始めた。

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