19. 点と点

「………愛してるよ、赤澤。だから、さようなら」



時が止まった。その骨に響く音に背筋が凍った。一瞬にして何も考えられなくなり、何が起こったのか分からなかった。理解しようとしても、理解ができない。いや、理解などしたくないと、脳は考える事を拒絶した。突きつけられる現実が、あまりにも恐ろしく、飲み込むにはあまりも酷だったから。



「こんばんは、赤澤さん。初めまして」



銃声の後、電話越しに聞こえる知らない男の声に俺は動揺した。



「もう今後はそちらのお邪魔はしませんのでご安心を。それが青木さんとの約束でしたので。あぁ、お父様にも宜しくお伝え下さい。相馬に関する情報は全て送ってありますので、と」



「おい、おい…待ってくれ。青木、青木をどうした…今の音、銃声だろ…。お前、あいつに何をした…何を…」



「アハハハ、えらく動揺してますね? 青木さんは優秀でした。優秀でしたが、詰めが甘かった。結局、あなたを殺せず、なぁなぁにして、だから俺に正体を見破られてしまったんです。極道の世界もそうですよね? 裏切り者は始末しないと、ですよね?」



訳が分からなかった。俺を殺さなかったから、正体を見破られた? どういう事なんだ……。



「ま、ってくれ……」



混乱し、今にも嫌な緊張に心臓を吐き出しそうだった。



「まぁ、でも、俺は青木さんと約束しましたので。それは叶えてやりたいと思ったので、こうして電話で最後を伝えさせてあげたんです。ふふ、ふふふ。落ち着いて下さいよ。…愛というのはやはり美しいなと改めて思いました。青木さんの死を無駄にしないよう、せいぜい生きて下さいね。それでは、さようなら」  



「おい、…おい!」



待て。待ってくれ。一方的に電話を切られ、再度その電話番号にかけ直すが、すでにその携帯電話の電源は落とされていた。青木は今、どこにいる? あいつはほんとうに…。俺はぐっと拳を握り、気が付けば病室を出ていた。入口に見張りとしてついていた涼司を無視して、ジャケットを羽織る。



「え、あ、…待って下さい、カシラ! 急にどうしたんすか!」



涼司の焦った声は久しぶり聞いた。後ろを走って追いかけて来た涼司に「今すぐ、車を出せ」と低い声で命令すると、涼司はギョッとしたように表情を固めた。



「け、けど、まだ傷が…」



「良いから、早くしろ」



けれどそう圧を掛けると涼司は従わざるを得ないと判断したらしい。



「は、はい!」



涼司はいつも運転している黒いセダンに乗り込み、俺もすぐに後部座席へと座った。居ても立っても居られなかった。



「屋敷に行ってくれ」



「わ、分かりました」



車はスピードを出して病院を離れる。冷たく、恐ろしい現実だけが浮き彫りとなり、俺の首を絞めていた。何かを考える前に体は勝手に動く。青木を撃ったあの男は誰かは知らないが、ハッキリしている事は、どうやら親父が関わっているという事だった。そうであれば、親父は俺の知らない青木の事も知っているはず。もう悠長に構えてなどいられなかった。屋敷に着き、乱暴にインターホンを押す。親父の世話をする住み込みの若いのがひとり、焦った顔をして飛び出して来た。すぐに玄関を開けて俺を招き入れ、俺はズカズカと廊下を歩き、親父の部屋を何も言わずに開ける。親父はソファで呑気に葉巻を吸っていた。



「なんとも滑稽な格好で来たな」



病院服のままだった。薄手の前開きが出来る作務衣のような入院着だった。俺は低い声で親父に問う。



「青木について、知ってる事を教えろ」



「…青木ね」



そう呟くとふぅと煙を吐く。



「親父があいつの事に関して、俺の知らない何かを知ってるのは分かってる。青木と繋がっているらしい男が電話で、相馬組長の情報は全て送ったとそう口にした。あの人を失脚させる為に、親父は何かする気なんだろ? そしてその情報は青木から得ていた、そうなんじゃないのか」



「さぁな」



親父は一切顔色を変えない。知らぬ存ぜぬを通すつもりかもしれないと俺は苛立った。油を売ってる暇はないのだと焦りに思考が支配され、論理的に説き伏せようなんて考えはどこかに飛ぶ。俺は親父に一歩近付き、目の前に立ち、圧をかけるように低い声で訴えた。



「時間がないんだ。あいつの居場所を知りたい。あんたの知ってる事、全て吐いてくれないか」



「俺が知るわけないだろう」



「ならあいつの事なんでも良い。教えてくれ。あいつの居場所を探らなきゃならない」



「青木が消えたのなら追うな」



その言葉に対して、俺の眉間には深い皺が刻まれる。なぜ追うななどと言うのか。親父が青木の事に関して、重要な何かを知っているだろうと俺は確信した。



「あいつは自分から姿を消したわけじゃない。あいつは…、あいつは殺されたかもしれない」



言葉が喉につっかえ、無理矢理に絞り出す。親父は動揺して焦燥する俺とは打って変わって冷静だった。



「だとするなら尚更、これ以上詮索するな。死んだ男を追って何になる? 自分の命を危険に晒すだけだろうが」



「あいつの身に何が起きたのか知るべきだろ。あいつを殺した男が誰か知る必要がある」



「知ってどうする? 返しでもするか、え? 相手は極道じゃねぇ。組として青木を探す事は許可できねぇし、できたとしても、お前以外、既に死んだ男を探し出そうとなんざ思わねぇだろうよ。お前だけが青木を探そうと必死になってンだ。良い加減、お前が置かれてる状況を理解しろ」



親父は何を隠したいのだろう。俺はぐっと拳を握る。



「………親父、青木の何を知ってンだ」



親父は顎を撫で、俺の目をじっと見上げる。俺も俺で意思は固く、折れる事など出来なかった。



「あいつは情報屋だ」



親父はそう言って葉巻を深く吸うとゆっくりと吐き出し、言葉を続けた。



「言っても普通の情報屋じゃない。お前の知らない世界の、うーんと暗くて深い世界の住人だ」



「……それで?」



「お前があいつの事を知ろうとしたって無駄だって事だ」



「その情報屋ってのは組織なんだな?」



「もし俺の読みが外れてなければ、かなり厄介なね」



どういう事かと眉根を寄せる俺に親父は淡々と説明した。



「殺しをも請け負う情報屋集団。得体の知れないその組織は仲間だってあっさり切り捨てるような組織だ。厄介だが、仲間になりゃぁこの世で最も心強い味方だろうな」



噂には聞いた事があった。だがそんな組織が実在していたとは思わなかったし、ましてそこに青木がいたとは…。到底信じられないが、それはきっと真実なのだろう。



「そんな組織に青木がいたって事なんだな?」



「あぁ。命を簡単に奪うような組織にあいつは身を置いて、自分の置かれている状況をもちろん把握していたろうよ。だからこの状況はあいつが招いた結果。お前にはもう、あの男の行方は探れやしない」



命を簡単に奪うような組織。電話越しに聞こえた銃声が何度も頭の中で繰り返されて悪寒が走った。電話の男は言っていた。あなたを殺せなかったから、“自分に正体を見破られた”、と。裏切り者は殺さなければならないと。つまり、あいつはその男にも何かを隠していた、という事だ。



「あいつの居場所を特定しないと…」



俺はポツリとそう呟くと、親父は無表情のまま俺を見上げて口を開いた。



「邦仁。いい加減にしろ」



「親父が何も知らないのなら、他の手を考える」



手に変な汗が流れる。ここにいても埒が開かない、そう俺は部屋を出ようとすると親父は口を開いた。



「既に死んだ男の居場所を探る事がどれほど無意味か分からないのか。お前はあの男に巻き込まれたんだぞ」



「……巻き込まれたわけじゃない」



逆だ。俺があいつを巻き込んだようなものだ。だからあいつは、俺に復讐しようとした。そう口をついて言いそうになったが、親父はドスの効いた声で畳み掛ける。



「ひとつ教えてやろう。あいつは、お前が刺された後、狙われたのはお前じゃないと、自分自身だと俺に言っていた。お前を刺した男は警察には捕まらない、でも自分なら接触できるから手を引けと。あいつは自分の落とし前をつけたにすぎない。お前は巻き込まれただけだ。お前はあいつにしてやられただけだ。現実を見ろ、邦仁。青木のいる組織は強大で別世界だ。俺達がどうこうできるものじゃねぇ。青木とお前がどんな関係だろうが知った事じゃねぇがな、これ以上、うちがあいつに関わる事はできねぇって言ってンだ。分かるな?」



結局あいつは俺を殺せなかった。そのせいであいつが追い込まれていたのなら、今の俺に出来る事をしたいだろう。あいつの裏切りって何だ。あの男は誰だ。あいつは今、どこにいる。唇を噛み締める俺に親父は淡々と口を開く。



「もう諦めろ。お前にできる事は何ひとつねぇんだ」



親父の言ってる事はきっと正しいのだろう。第三者から見ればこの状況、どう考えたって青木を追う事が破滅に繋がる。そんな事は目に見えて分かるだろう。けれどそう割り切れない。割り切って良いわけがない。



「……あいつを、こんな風にしたのは俺だから。あいつが落とし前をつけたのなら、俺もつけなきゃならない」



親父は葉巻を灰皿に押し付けた。



「青木がここにいたのはお前の為なんかじゃねぇぞ。情報の為だ。いいか、あの男はお前が考えるよりずっと賢く、ずっと悪どい。騙されていた現実を受け入れろ」



騙し、嘲笑い、後腐れなく俺の喉を掻っ切るくらいの事をあいつがすりゃぁな。俺だって断ち切れるんだろうが。けど、違う。だからこうも足掻くしかない。



「あいつは親父に相馬組長の首を土産に、この組織の大幹部、本家若頭の座を用意した。そうだな? 親父はあいつに何を要求された? 情報の為だと言うなら、あいつの欲しかった情報は何だ」



親父は呆れ果てたように溜息を吐く。「答えろ」そう睨むように静かに訴えると、親父は少し考えた後で口を開いた。



「組織全体の構造、組織図、そしてこの組の内情、この組に深い関係を持つ組の内情。…だがそれらは表向きだ」



「表向き…って何だよ」



「面倒な事になったもんだな」



俺は表情を変えない親父の顔をじっと見つめる。



「あいつが本当に欲しかったのは、森鳳会の内情、それだけだ」



どきんと脈を打つ。あの人が提示した内容も森鳳会と繋がる組織だった。森鳳会に何があると言うのだろう。これは偶然なのか否か。いや、偶然ではないのだろうな。青木はあの男にも隠し事をしていた。だから撃たれた。それならばと、ひとつの仮説が浮かび、納得したのと同時に、あいつは本当に消されたのかもしれないと、ぐっと心臓が苦しくなった。



「親父はあいつが知りたがってたその内情ってのを知ってるのか」



「話は終いだ。青木が殺されたなら、もう関わるな」



関わるなと言われて飲み込める関係だったら良かったろう。あいつも躊躇なく俺を殺せただろうし、俺もあいつを見捨てられた。けれど現実はそうじゃない。



「あいつ、…俺の高校の同級生だって知ってたか」



親父は何も答えなかった。



「毎回同じクラスだった。親父が俺を転校させるまで、俺はあいつを毎日殴っててさ、あいつの事がずっと気に食わなかった。一方的な暴力だった。あいつは一度も殴り返さなかった。俺が鑑別所送りになりかけた時の事を覚えてんだろ。3人殴って、そのうちの1人が被害届出して。俺が3人をあそこまで殴った理由、親父に言った事なかったろ。その理由、青木なんだよ」



親父の表情が少しだけ曇ったのが分かった。



「あいつら、路地裏で青木を殴ってた。だから俺はあいつらを殴った。苛立った。何よりも腹が立った。青木が、あいつが、あんな状況でも非暴力で暴力に勝とうとした事が、そして、そんなあいつをあそこまで殴ったあの3人組が。青木には昔から夢があったんだよ。だから何があっても殴り返さなかった」



ひと呼吸おく。もう後戻りの出来ない事を口走ろうとしているのだから。ふぅと息を吐いて、親父の目を見る。



「あいつは元組対の刑事だった。騙されてる、それは前から感じてた。それでもあいつを側に置きたかった。あいつが俺を殺す気ならそれが俺の運命だと、飲み込むつもりだった。なのにあいつは俺を守るみたいに殺された。………若頭、失格なのは分かってる。これが済んだら、ケジメ、取るつもりだ。だから、俺は、あいつの行方を追う。何があっても」



親父は少しの間何かを考えている様子だった。視線は外され、首を少し傾けると俺を見上げた。



「お前と斉藤の破門の話が白紙になった。誰かが野上に掛け合ったからだ」



なぜ。俺の話もなかった事になっているのは、一体誰が…。眉間に皺が寄る。



「斉藤の破門はなくなったのかもしれないが、」



「本来、誰かが責任を取るはずだった。斉藤の破門が取り消されるなら、それ相応の責任を誰かが。そしてそれはお前になるはずだった。だが今になって白紙だ。意味、分かるな? 青木がいなくなった今、破門の話は白紙になったんだ。…それでも、死んだかもしれない青木を追うと言うんだな?」



今、動かぬ証拠を突き付けられたのにも関わらず、俺の意思は何一つ変わらない。あいつが全てを描いていた事、あいつが俺や斉藤をこの組から追い出す計画も、俺のシノギの邪魔をしていたのも、あいつが行った俺への復讐。俺の側にいたのも情報の為だった。そんな男が、殺された。喜べりゃぁな。喜んで見捨てる事ができれば良いのにな。でももう、無理だった。何もかもを捨ててでも、青木を追いたい。



「俺を破門にするなり絶縁にするなり、好きにして良い。これは俺が蒔いた種だから、俺は俺の落とし前をつける」



俺はそう言って部屋を出た。親父の表情は見なかった。足早に屋敷を出て俺はぐっと拳を握る。車で待っていた涼司はいつもは何も聞かない男だが、俺の顔を見てぽつりと言葉を溢すように口を開いた。



「カシラ、………大丈夫、スか」



そう俺にも答えが分からない事を訊ねてくる。大丈夫なのか否かはもう分からないが、ひとまず今は考えたい。



「悪いが家まで頼む。着替えたい」



「…はい」



涼司は眉間に深い溝を作っていた。俺は流れる景色をぼうっと眺め、悔しさと焦りとで、まともに考える事が出来ないようだった。頭の中ではあの銃声が繰り返される。あの骨に響く音に、何度も何度も心臓がひくっと反応する。男の楽しそうな声が今でも鮮明に耳に残っていた。あいつが、青木を…。気を緩めてしまえば、鼻先がツンと痛くなりそうで、必死に拳を握り締めていた。


マンションに着き、鍵を開ける。もちろん部屋には誰もいなかった。しかしリビングに入ると、あいつが使っていただろう白いタオルが椅子に掛けられていた。今の今までそこにいたように、あいつはここにいた事を証明するように、そこにあった。俺は無意識にそのタオルに手を伸ばしていた。温もりのない、冷たいタオルだが、あいつの匂いがした。俺の意識がなかったこの数日、あいつはここにいた。どうして、ここにいたのだろう。何をする為にここにいたのだろう。俺の意識がない事をいい事に、情報を探って横流しする為。この組織の情報を売る為。そうだったとしても、もう今更あいつに対する感情は変わらない。それに、きっとあいつがここにいたのは、情報の為じゃない。



『………愛してるよ、赤澤。だから、さようなら』



勘弁してくれ。勘弁、してくれ。ひとりになると、体はとても素直に反応する。苦しさに俺の手は震えていた。気分が悪くなった。到底受け入れられない現実だった。吐いても吐いても気分は優れず、重い体を起こして、キッチンで水を飲む。何もない胃に冷たい水が流れていくのを感じていた。溜息を吐きながら、どうすればあいつを撃った男の事が分かるのか、あいつの居場所を突き止められるのか。男にさえ接触すれば青木に繋がるだろうが、男に関する情報は皆無だ。まずは青木について調べなければ。あいつの足取りが分かれば辿り着けるだろうと踏み、青木の裏も表も知っているであろう人物は誰だろうかと考えた。


コップをシンクに置き、ふと思う。あの人しかいないのではないか。俺は携帯を手にした。一か八か、あの人に状況を伝え、青木の事を聞くしかない。無機質なコール音がしばらく続き、男は低い声で応答した。



「生きていたのかね」



第一声がそれだった。



「えぇ。悪運が強く、助かりました」



「ふふ、そうだな。で、電話を掛けてきたのはその犯人探しか」



「いえ、返しをしようとは思ってません。第一、刺した男は鉄砲玉のように見えて、動きはそうじゃありませんでした。たぶん、…いやきっと、プロの殺し屋かと」



「ほう」



「その殺し屋、本当は青木を始末しようとしてたんです。…教えてくれませんか。青木の正体を」



「……青木を、ね。以前言ったはずだ。それはギブアンドテイクだと。森鳳会が抱える組織の事と引き換えだと」



「青木も森鳳会に関して調べていた、つまりあなたは青木と繋がりがある。そうですね? もしそうなら、青木は元刑事ではなく現役なのではありませんか」



「どんな証拠があって、そう勘繰っているかは知らないが…」



「今日、電話したのはあなたと青木の関係を探る為じゃありません。青木の居場所が知りたいんです。俺には時間がありません」



「時間がない、というのは?」



「青木が、殺された可能性があります」



「何?」



男の声色が一瞬にして変わった。



「数時間前に、あいつから電話があったんです。一方的に別れを告げ、その後に一発の銃声が聞こえました。銃声が鳴った後、知らない若い男が青木を始末したと。あいつは何者で、あいつを撃った男は誰で、今、どこにいて、何でも良い、あいつに近付きたいんです。………ワガママを言ってるのは百も承知です。けれど、繋がりのある人はもうあなたくらいなんです。教えてくれませんか、あいつのこと」



男はしばらく考えていた。数秒、数十秒、一分…それが永遠に感じられた。男は低い声で「分かった」と答えを返した。



「なら…」



「今すぐ、橘園に来なさい」



この男がすぐに動くほどの何か、が青木にはあるらしい。俺は頷いた。



「分かりました」



俺はすぐに着替えて橘園へと向かった。いつものように奥座敷に男はいた。男はいつものように俺を部屋へと招いた。



「青木が撃たれたのは間違いないのかね」



座った俺に男は怪訝な顔をしてそう訊ねた。俺は静かに頷いた。



「はい。銃声が聞こえたのは確かです。その後、一切青木の声は聞こえませんでした。青木を撃ったと思われる若い男は、やけに楽しそうな声で俺に言いました。今後は邪魔しない、と、親父には相馬組長に関する情報を全て送ったと伝えてほしい、と。そして俺を煽るように男は言いました。青木は優秀だったが詰めが甘かった。青木にはどうやら俺を始末するよう命じられていた可能性があります。けどそれを実行せず、あいつは正体を見破られ、その男に殺された。男の言う事を鵜呑みにするのなら、そういう事だと思います。…そうなると、あいつはその組織をも裏切っていた、という事になります」



目の前の男はやけに冷静で、俺の目を見ながら口を開く。



「……X、と呼ばれる情報屋集団の事は知っているか?」



「噂は耳にした事があります。どんな情報でも高い金で売ってくれると。殺しをも請け負う正体不明の組織、…都市伝説のような類だと思っていましたが、それは実在して、そこに青木はいたという事ですね」



親父も言っていた。厄介で強大な組織。この人が言うのなら、それは本当なのだろう。



「あぁ。彼らの拠点はアメリカのニューヨークで、日本にもマーケットを広げようと、何十年も前からネットを張り巡らせ、裏社会の優秀な人材を集め、情報収集をさせていた。殺しを請け負うのもプロの殺し屋がいるからだ。だが裏の人間だけじゃない、国の仕事をしていた訳ありの連中もゴマンといる。元警察官に公安の人間もいる。この国の極秘情報をも集めてしまうのが、あの組織の厄介なところでね」



「国の極秘情報ですか…」



「あいつらを突き止めるのに長い時間を費やしたが、長年解明できなかった。しかし、ある事をキッカケに進展した。そいつらは、辞めさせられたある元刑事に声をかけたんだ。正義感の強いその元刑事はそいつらの誘い最初は靡かなかった。だが、公安もその元刑事に接触した。それはXが彼に近付いた事を知ったからだった。そして彼は極秘で公安の仕事をする事になる。その最初の仕事がXへの潜入。………つまり男は公安の刑事であり、Xの情報屋、というわけだ」



全てが腑に落ちた。だからあいつの事を探っても、いつも矛盾を感じ、繋がらない事が多かった。けれどやはり、あいつの根っこは警察側の人間、そういう事だったのか。



「あなたの部下、という事ですか、……古賀さん」



「あぁ」



古賀は頷く。青木が殺された理由はきっと二重スパイが発覚したからだ。



「とはいえ、誰かがあいつの名前を探っても該当者のない、透明人間のような存在だがな。実際、あの男を探って辿り着いても元警官で闇組織の一員、という事にすぎない。どう探ろうが公安のコの字も出ない。私の名前もな。あいつはただ闇組織の一員なんだ。それが青木 玲、という男だ」



「なぜ、それを俺に言ってくれたんです」



「君は青木の行方を、どうしても知りたいのだろう。誰があいつの命を奪ったのか。あいつはどこに行ったのか。自分の立場を分かっていながら、父親の意向に背いてでも、青木の足取りを知りたい。そうだね?」



「はい」



「青木が君を殺せなかったのは、私情が邪魔をしたからだ。それを見破られて青木は自分を危険に晒した。プロとしては失格、自業自得の結果だ」



「……そう、ですね」



だからと言って何も探らないという選択肢はない。俺は何かひとつでもあいつの痕跡を辿りたかった。古賀さんは顎を撫でると俺をじっと見つめた。



「青木と連絡が取れなくなる前にあいつからは報告があった。Xに関する情報と、私が追っていたもうひとつの情報。だから顔を知られているあいつをこの一件から退かせるつもりだった、が…君が刺されてあいつは暴走した。なら、君にその責任、取ってもらおうか」



古賀さんはふっと笑った。



「青木の居場所は私でも掴めていないが、知っている人物なら目星がついている」



「だ、誰ですか」



期待に緊張し、心臓がバクバクと騒がしい。



「あいつは情報を渡す為にいつも公衆電話から電話を掛けていた。最後の発信基地局を辿ったところ、いつもの公衆電話とは違う場所から掛けていてね、しかもその場所、不思議な事に、ある男の住んでいるマンションからかなり近い公園の公衆電話だった」



「ある男…ですか」



「君もよく知る、森鳳会若頭の松葉だ。君は松葉と親しいだろ。青木は松葉に接触しているはずだ。私が松葉に接触し、情報を聞き出そうとしても口を割らないだろうが、君になら話すんじゃないのかね」



松葉………。そうかと俺はずっと握っていた拳を解く。松葉は青木に脅されていた、だとしたら、青木は松葉に何かを伝える為に、何かを探る為に、松葉を訪れたのではないか。 



「分かりました」



俺はそう言って立ち上がる。



「邦仁君、」



古賀さんはそう俺を呼び止め、俺は古賀さんを見下ろした。



「はい」



「青木を今失うのはかなりの痛手でね。生きて連れ戻してくれる事を、切に願う」



古賀さんは不安そうに顔を顰める。俺はこの人のそんな表情を今まで見た事がなかった。そうか、と思った。青木はこの人にとっても、とても重要で大切な存在なのだろう。



「俺も、あいつが生きてると信じたい…。何があっても連れ戻します」



俺は頭を下げ、その場を後にした。携帯を取り出して、松葉に電話を掛ける。松葉は出なかった。頼むから早く出てくれと焦る気持ちに舌打ちを鳴らし、俺は涼司を連れて自宅へと戻った。何度も何度も松葉へ電話をするが出なかった。松葉の行きそうな所はどこか、そう涼司を連れ、あいつが行きそうなバーや料理屋を巡るがどこにもいない。涼司は「今、街は危険です」と何度か忠告したが、俺の耳には入らなかった。そうして2時間ほど街を探したが松葉は見つからず、車の中で苛立ちを抑えようと必死だった。



「カシラ…、傷に障ります。少し、休みましょう」



俺を家まで送り届けた涼司はそう不安に顔を歪めている。エントランスに車を停め、窓の外を眺める俺をミラー越しに涼司は見ていた。傷は確かに痛み始めていた。でもそれを無視するように、俺は突っ走るしかなかった。その時、涼司の携帯が騒がしく鳴り、「…補佐からですが、出ても良いっスか」と俺に声を掛ける。斉藤には何も伝えず出て来たからなと、俺は窓から涼司へと向き直る。



「俺の事を聞かれたら、俺に代われ」



「分かりました」



涼司は通話ボタンを押し、「はい、お疲れ様です」と返事をする。もごもごと、低い声が電話の向こうから聞こえた。何を言っているかは聞き取れない。



「…はい、あの、カシラなら一緒にいるんで。…はい、代わります」



涼司は俺を見ると、「補佐が代わるようにと」そう携帯を差し出し、俺はそれを受け取った。



「俺だ」



「カシラ、…何処で、何をしているんですか」



「ちょっと色々あってね」



「色々、って。青木の事、ですか」



「あぁ」



「カシラなら探すだろうなと思ってました。でも、あいつは裏切り者です。俺への破門は取り消されてカシラも組に残る。探さない方が俺は……」



俺はバックミラー越しに涼司を見ると、涼司は俺と目を合わせ、「出てます」と頭を下げて車外へと出た。涼司が外へ出たのを確認し、俺は斉藤に口を開く。



「青木が、殺された可能性がある」



「……え?」



「あいつから電話があったんだ。やけに淡々と話して、最後に別れを告げるような口調で、さようなら、ってさ。その後、一発の銃声が鳴って、若い男が電話に出た。色々と聞かされたよ。親父に情報を渡していた事も、相馬組長の失脚も、陰で糸を引き、全てを描いていたのも青木だった。親父とも話した。青木は情報屋だと親父に言って近付いたらしい。あいつが持ってる情報は正確で、その情報は親父を、いや、葉山組、野上組を昇格させ、相馬組長を落とす為に必要な情報だった。……けどあいつはある情報屋組織の一員で、しかも自分の素性を隠してその組織をも騙して潜入してた。それがバレて組織に狙われ、俺と話した男が青木を殺した、そういう事らしい」



「その青木の隠していた素性、というのは分かったんですか」



「公安、だった」



「公安…? なんでまた、公安が…」



「さぁな。詳しい事は分からない。ただ、あいつの全ての動機は俺が原因だとしか思えない。偶然、俺のいる組に潜り込んだわけじゃない。だからこれは俺個人の問題で、良い加減落とし前をつけなきゃならない。だから、あいつの居場所くらいは、」



「どうして……、どうして探るんです!」



斉藤の怒りはごもっともだった。逆の立場だったら、こんな若頭についていけないと、身勝手な行動を咎めていたろう。



「放っておけば良いでしょう! こっちは被害を被ってるんです。青木なんて、放っておけば……」



でも、悪いな、斉藤。



「…悪い。けど、俺が落とし前をつけなければならない。だから少しだけ時間をくれ。明日の夜には組に戻る」



「俺が許せると思いますか」



「許せねぇだろうな。腹立って当然だよな。…けど、もう決めちまった。だから、悪い」



斉藤はしばらく黙ってしまった。何かを考え、それから口を開いた。



「カシラに謝って欲しいわけじゃありません。俺はカシラがただ、ただ、心配で、悔しくて…。……すんません。出過ぎた事を言いました。あの、今、ご自宅ですか」



「ん? あぁ、さっき着いたばかりだ」



「なら、俺もそちらに。全て打ち明けたのが俺だけであれば、俺はカシラの力になれるはずです。青木の事、涼司には言ってないですよね? カシラがいなかった間の青木の行動なんかも、必要であればお話しします。組の人間には病院から事務所に戻るように伝えましたし、俺も今は時間があります。…カシラ、良いですね」



やけに強引な口調だった。でも、こいつしか知らない情報もあるかもしれない。だから俺は頷いてしまった。どこかでこいつを離してやらないと、そう考えながら。斉藤との電話を終え、俺は車外で待っていた涼司に携帯を返す。



「斉藤が来たら交代しろ。お前にも迷惑をかけたな。飯食って少し休め」



そう涼司の胸ポケットに2万を押し込むと、涼司は不安そうな顔を見せながら、「迷惑だとは思ってません」そう口を歪めていた。部屋で斉藤を待ち、20分ほどで斉藤がチャイムを鳴らした。



「体の具合はいかがですか?」



斉藤は玄関で靴を脱ぐ前にそう顔を顰めた。



「平気だ」



答えると間髪入れずに言葉が降ってくる。



「カシラ、聞いても良いですか」



「あぁ」



「……それ、俺のせい、ですよね」



そう指差された左手には、包帯が大袈裟に痛々しく巻かれているが、痛みはもうない。



「いんや、これは俺のせい。俺の落とし前。生憎、お前の為じゃねぇよ」



俺はそう言って先にリビングルームへ入ると、後をついて来た斉藤は「でも…」と眉間に深い皺を刻む。



「カシラ、俺……」



「俺は俺の落とし前をつけたまでだ。何度も言わせんじゃねぇぞ」



そう低い声でもう一度言うと、斉藤はぐっと唇を噛み締める。「勘違いするな」だからそう畳み掛けると、斉藤は「はい」と弱々しく頷いた。



「ジャケット、掛けるか?」



「いえ、自分でします。あの、珈琲とか、紅茶とか、俺、淹れますんで…」



「俺の家なのにか?」



「カシラにさせるわけには…」



「ここは俺ン家で、お前は客人だろうが。良いから座っとけ。飲み物は何が良い? 珈琲、紅茶、緑茶、…酒ならウィスキーしかねぇな」



「あ、いえ、車ありますので、珈琲を頂ければ…」



「分かった」

 


湯を沸かし、珈琲を淹れ、緊張気味に座っている斉藤に珈琲を出す。対面に座り、珈琲を飲む斉藤を見ながら口を開く。



「俺を刺した男、プロの殺し屋だった」



「殺し屋、ですか…」



「だが俺を狙ってたわけじゃない。青木を殺そうとしてたんだ。俺の意識がなかった間、お前、青木の周りで何か変な動きがあったとか、何か気付いた事はなかったか?」



「いえ、特には…」



そう考え込んで眉間に皺を寄せると、数秒の間を開けて斉藤は口を開いた。



「青木はカシラが刺された事で、組内でかなり立場が悪くなって、それから孤立するようになったんです。だから、あいつが外で何をしていたか、誰かが接触していたか、俺には分かりません。ただあいつが殴られて少しした時に、突然おやっさんが来て青木を救うように連れて出した事が気になってました。青木とおやっさんの関係、何か匂ったのは確かです。それはきっと、おやっさんに情報を流していたから、おやっさんにとって青木は使える優秀な情報屋だったから、だから青木を早々助けた、という事なんですね」



「あぁ、そうだろうな…。あいつ、俺が刺された後、組の仕事はしてたのか?」



「はい。ただ、あまり事務所に寄り付かなくなって、基本的には集金だのなんだの理由を付けて外にいました。組員との関わりも極力避けるようになっていましたし」



「そう、か」



「あの、カシラ…」



「ん?」



「松葉のカシラには連絡しましたか?」



「何度もかけてるが、電話に出ねぇな」



「森鳳会、今日、何か立て込むような事ありましたか」



斉藤はそう言うと手帳を取り出し、首を傾げている。

 


「さぁな」



丁度、その時だった。ヴーと携帯のバイブが振動した。相手は松葉からである。俺は電話を取り、「はい」と応答する。



「お久しぶりです。何度も電話があったようですが」



松葉の声はやけに落ち着いていた。



「忙しいところ悪いが聞きたい事があります」



「…分かりました。俺からも話があるので、そうですね、埠頭の近くにある、上崎倉庫に今から来て下さい。俺も向かいます」



「埠頭近くの倉庫…? 分かりました」



「赤澤、」



「はい」



「おかえりなさい。無事で何よりです」



「…あなたに言われると少し違和感がありますね」



「そうですか?」



「えぇ。そっちもようやく話せるようになったんです。また消えないで下さい」



「ふふ、消えませんよ。では、また後で」



「はい」



電話を切ると、斉藤は「松葉のカシラからですか」と首を傾げながら手帳を懐に仕舞った。



「あぁ」



「会う約束しました?」



「会って直接話してくる」



「分かりました。どちらまで行きますか」



「埠頭の上崎倉庫だとよ」



「分かりました。俺も行きます。良いですね?」



「お前も…? けど、」



「上崎倉庫は向こうのシマです。今、カシラに何かあっては困ります」



「さすがに松葉は俺の命を狙ったりは…」



「何があるか分からないと言っているんです。…俺にカシラの命、守らせて下さい」



斉藤は必死だった。こいつは、いつもこうだった。不安そうに表情を固くする斉藤を見ながら俺は少し考えた。返事をせず考えていると、「お願いします」と頭を下げられる。



「…分かった。運転を頼む」



どこかでこいつを離してやる必要があった。外は既に明るくなり始めていた。結局、俺は昨日一睡もしておらず、欠伸をひとつ溢した。斉藤は車を走らせ、俺はただぼうっと外を眺めている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る