11. 本心
事務所に戻ったのは昼過ぎだった。斉藤はいつものようにパソコンに向かっていたが、俺を見るや否や、「話が…」と眉間に皺を寄せた。
「部屋に来い」
「はい」
斉藤は部屋へ入るとすぐに扉を閉じ、「またです」と低い声で訴えてきた。こいつの"また"は、ひとつの事を指している。
「今度はどの件だ」
「真野の件です」
「…あんな個人の件にまで首を突っ込んできたのか」
「はい…」
「真野がうちから金を借りて返さない、それだけだろ? 返済の目処がたって、これからって時だったよな? 何をゴタつく事あんだよ」
「昨夜、真野から金は返せないと連絡がありまして…、問いただしたら森鳳会の名前が出てきました。真野の野郎、森鳳会からも金を借りていたと言い出したンです。調べた時には他からも借りてるなんて情報はありませんでした。今になってそんな嘘みたいな情報が出てきて、それで……」
斉藤はそこまで言うと口籠る。「それで?」と片眉を上げると、「すんません、カシラ…」と俯き、珍しく何かをしくじったようだった。
「むこうに、真野はうちのだと連れて行かれてしまって…、ど、どうにかしてでも取り戻します…。でもまだ真野がどこにいるのか分からなくて…本当、すんません!」
こいつを怪しむ事は何よりも難しい。敵か味方か、なんてこの期に及んで考えなきゃならねぇとは。こんな風に俺に頭を下げて、俺の為だと奮闘するようなやつを敵かもしれないなんて考えたくはねぇが…。
「分かった。真野がいねぇんじゃ始まらない。ひとまず今は、金谷達に伝えて真野を探させろ」
「はい…」
「見つけて、何があったか吐かせるしかねぇな」
「カシラ……森鳳会はうちの邪魔をしに来てるとしか思えません」
斉藤は困ったように眉を下げる。俺は眉を顰めて斉藤を見上げ、「そうだな」と少し考えるように椅子の背もたれに寄りかかった。斉藤は、あれもこれもと今まで邪魔が入った案件を指を折りながら俺に訴えるように伝える。
こいつの必死さを見ると、こいつが裏切り者ならお手上げかもしれない。
しばらく斉藤と話した後、斉藤は部屋を出て行き、俺は窓の外を眺めながら考えていた。
俺を裏切り、裏で糸を引いている男が斉藤の可能性があると、永井は忠告してきたが、長年仕えてきた斉藤が今更裏切るとは思えなかった。こうして斉藤と話すとそれは確信に変わるようだった。こいつは裏切らない。
だが一方で、裏切らない、と心の中で否定しながら、全ての件に斉藤が関わっている事は事実だった。今回のこの真野の件なんてまさにそう。こいつ意外、真野の件を全て把握してるやつはいなかった。
つまり手引きできる人間はこいつ以外はいないのだ。
稼げるはずの金が次から次へと流れていく。
松葉にいい加減にしろと電話で訴えたくても、あいつは電話にも出ない。問題が生じても向こうからの電話はなく、何が起きているのかと頭を抱える状況だった。
誰かが裏切っている事は明白だった。先回りされ、状況は悪い方へと転がっている。問題はその誰か、が、誰なのか分からない事だった。決定的な証拠がなければ俺は身内を疑えず、信じ続けてしまう。敵も見抜けないなんてカシラ失格だろうと、気付けばタバコの吸い殻が山を作っている。
ストレスは溜まる一方だった。日に日に状況は悪化していくようだった。
それから数日後、斉藤が早朝4時少し前に電話を掛けてきた。俺は家にいて、青木は仕事でいなかった。
「カシラ! 真野、とっ捕まえました!」
電話の向こうにいる斉藤は息を切らていた。真野を捕まえられたのは吉報である。
「おぉ、よくやった。お前、何処にいる? 金谷と一緒か?」
「はい、一緒です。今、五番街の廃墟ビルに向かってます。ただ、まだ追われてて、撒いたら向かいます」
「分かった」
「ただちょっと厄介な事になりまして…」
真野を捕まえたのは唯一の吉報だったが、浮かれてなどいられなかった。
「どうした」
「その、森鳳会の若衆を、金谷が…ハジいちまって……」
ハジいた…。
「…すんません……俺がもう少し、こいつの動きを見ていれば…」
あぁ、これはまたとんだ厄介事になりそうだと、斉藤の謝罪を聞きながら次の出方を考える。
しかし俺は、ひとつ、引っ掛かっていた。
「で、相手は死んだのか」
「いえ、それはまだ…分かりません」
金谷にホンモノのチャカ、渡してたろうか。
「当たった場所は腹部だと思います。応急処置が出来ていれば助かるかと思いますが、一瞬の出来事で、…その後、俺達も慌てて逃げて来てしまい、俺にも状況が…」
「そうか」
斉藤がついていながら起きた問題事。いや、斉藤がいたから、か。斉藤を黒だと思いたくはない。斉藤を黒には、絶対に出来ないのだが…。
「カシラ……金谷が相手を撃っちまったのは俺に責任が…」
「もう、いい。散々掻き回されて対処出来てねぇ俺に責任がある。それに死んでねぇなら、まだ話の余地あるだろ。こっちが百悪いわけでもねぇ。第一、人のシノギ。邪魔したあいつらの責任をまず問う必要がある。あいつらはハジかれても文句は言えねぇはずだ」
「ですが…」
「分かってる。上と兄弟盃交わしてる組の若いのに銃ぶっ放したんだ。簡単に事は進まないだろうが、俺の方でどうにかする。まずは状況を把握して、オヤジにも話す必要がある。オヤジには俺から話す、いいな?」
「は、はい……」
オヤジに話すのはこの件を弁解したいから、ではない。きっちり理由があった。
「あの人なら何か知ってるかもしれない」
森鳳会が俺の首を絞める今の構図を、オヤジはどう考えているのか。野上組長から連絡はあるのか。組内での妙な動きを、オヤジに確認したかった。
「おやっさん、何か関わっているのでしょうか」
斉藤はそう訝しげな顔をしながら首を傾げた。
「さぁな、分からない。それを確かめンのよ。…で、金谷は今、どうしてる?」
「後部座席にいます。でもマトモに話せる状態ではなくて…。その、かなり動揺してるみたいで…」
動揺…、か。
「人を撃った事なんてないですし、殺した事なんて…」
「まだ殺しちゃいねぇだろ。心配すんな。ひとまず、お前らは今の追手から逃げる事を最優先にしろ。話はそれからだ。追手を撒いたら五番街の廃墟ビルで大人しくしてろ。真野はなんとしても渡すな、分かったな?」
「はい」
「それと、お前達は怪我ねぇか」
「は、はい。ありません、大丈夫です」
「そうか、分かった。ひとまず誉達をビルに向かわせる」
「分かりました」
電話を切り、俺はひとりソファに深く寄り掛かった。すぐに誉に電話をし、数人の若衆を廃墟ビルへ向かわせる。
しかし、事は刻一刻と迫っていた。金谷が事を起こしてしまったのなら、もう悠長に構えていられない。オヤジに話す前に、もっと俺の中で情報がほしかった。森鳳会が邪魔に入るようになり、永井から忠告があった日から、探りをいれようと動くものの壁はどこも厚かった。
松葉と直接話すしかないのだろうが、今や幽霊のように消えしまった。どうすりゃぁ、松葉の居場所を掴めるだろうか。事が更に大きくなる前に、話しをつけたいのだが…。
再度、松葉に電話を掛ける。機械的なコール音だけが煩く耳元に響いていた。一度切れては掛け直し、三度目で諦めた。向こうの事務所に乗り込んだ所で、あいつはいないだろうし、下手に乗り込んで、こっちの非を大きくする事は避けたいところで、松葉さえ捕まえられりゃぁ、と思うがアテもなかった。
……ならば、と俺は思い立ち、再度携帯を握った。
時間がないのだから、少し荒い手段に出るしかない。そう俺は涼司に電話を掛けた。涼司はツーコールで出た。
「はい、カシラ…どうしたんすか」
「おう、悪いなこんな朝早くに」
「いえ…」
「ちょっと車を出してほしい」
「はい。自宅で良いすか」
「おう、頼む」
「すぐ向かいます」
涼司との電話を終えると、すぐに斉藤へ電話を掛ける。俺が出来る事は少ない。問題の解決に繋がるかも分からない。しかし、やらない、という選択肢はなかった。
「…もしもし、カシラ、どうか、しましたか?」
「悪いな、運転中。今、どこにいる?」
「今、丘ノ森公園の前です。まだ追われてて……」
「分かった。俺もすぐにその公園に向かう」
「え? カシラが、ですか!? 駄目ですよ、あいつら、本当に殺しに来てます。絶対に駄目です!」
「それなら余計に都合が良い。すぐ向かうから、もう少し我慢しろ。アイツらの車の特徴は?」
「いや、駄目ですって! 教えられるわけないでしょう!」
「松葉に会わなきゃどうにもならねぇ。この件も、その他の件も。全部だ。お前を囮に使って悪いが、その公園で少し待っててくれ。捕まらねぇように」
「いやいや、俺達は別に大丈夫ですけど、カシラは危険すぎます!」
「危険な橋渡らにゃどうにもなんねぇだろ。いいから、教えろ。相手の車の特徴は?」
「…そんな、強引な……」
「いいから、さっさと言え、斉藤。時間がない」
俺は半ば斉藤を脅すように低い声で詰め寄った。コートを羽織りながら、そのままロビーへ向かう。涼司はまだ到着していなかった。
しばらく押し問答し、斉藤は渋々口を割る。
「黒の国産セダン、4人乗ってます。…チャカ持ってるやつもいます」
「事構える気満々か」
「はい、だから危ないと…」
「いんや、それくらいが丁度いい。俺が合流したら、お前達はすぐ廃墟ビルに行け、いいな。また連絡する」
「え、あ!? ちょっ、カシラ!」
涼司の迎えが見え、俺は斉藤との電話を一方的に切り、そのまま公園へと向かった。涼司は何事かと不安な面持ちだったが、何も聞かない。俺も理由は言わず、ただ外の流れる景色を見ていた。ネオン街を過ぎ、静かな国道沿いに出て、少し走らせると一気に人気がなくなる。
「…俺だ」
公園が見えてきたタイミングで斉藤に電話をすると、斉藤は「はい」と落ち着いた声で返事をした。
「今、公園が見えてるが、何処にいる? 人気全くねぇぞ」
「今、ぐるぐると公園の周りを走ってました。止まったら撃ち込まれそうだったんで。近くにコンビニがあるの分かりますか。今、そこを通り過ぎて、公園に向かってます」
「分かった。そのまま公園の駐車場に来い。車、停めてある」
「………本当に、誘き寄せて大丈夫ですか。カシラ、何を考えてんですか」
「いい加減、色々とクリアにしねぇとよ。ひとまず松葉に会わなきゃならねぇ。だから、早く森鳳会の人間、呼んでくれ」
「…分かりました」
「んで、動揺してた金谷は大丈夫か」
「少し落ち着いたみたいです」
「そうか。ビルに着いたら少し休ませろ」
「はい」
「後で事情は聞く。ひとまず真野と隠れろ。いいな?」
「はい、分かりました」
そう斉藤の返事を聞いたところで、公園の広い駐車場に車が一台入ってくる。それはきっと斉藤の運転する車である。その後から一台、後をついてくるように入って来た。
「…ご苦労だったな。間に入る、お前らは廃墟ビルへ向かえ」
電話で指示を出すが、斉藤は何も返事をせず、「おい、」と返事を促すとぽつりと呟いた。
「カシラになんかあったら、俺、どうすりゃいいですか……。どうしても、側にいてはいけませんか」
この男はこういう男なのだ。だからこそ、黒だとは思えないし、思いたくもない。
「何もねぇよ。あったとしても、お前の責任には一切ならねぇさ。安心しな」
「俺はカシラの命が最優先で…」
「斉藤、これは命令だ」
「……分かりました」
斉藤は諦めたように一呼吸つくと俺の車の後ろに車を停めた。
「応援呼びます」
「バカ、いらねぇよ。そんな事したら俺の計画がパーになるだろ」
「でしたらその計画、教えて下さい。俺達を離したい計画とやらを、俺は聞いておく必要があります」
「…あー、お前、怒りそうだからやめとくよ」
「カシラ、」
「お前達はさっさと真野から金を巻き上げろ。いいな? 真野に集中しろ。俺ァちょっと、松葉とナシをつける」
「でも、電話も繋がらないんじゃ……」
そう話していると、森鳳会のチンピラ共の車がゆっくりと近付き、そして俺の車の前で停まった。斉藤の車とそいつらの車の間に俺の車があり、これでようやく、斉藤達はビルへ向かう事ができる。
「森鳳会の若衆か」
そう俺が車から出ると相手もふたり、車からのそのそと降り、車体を背中に俺をじっと見ている。運転手がヘッドライトを落とすと、公園の街灯だけが周りを照らしていた。
「どうも、いつもお世話になってます」
派手な面したチンピラだった。俺の前に来て嫌味丸出しな挨拶をする。ひとりは運転席、ひとりは助手席、ふたりは車からは出たものの、近寄ってはこなかった。
「ちょっと、カシラ……」
斉藤が後で車から身を乗り出し、そう声を荒げる。
「斉藤、さっさと行け」
「そんな、無茶な…。カシラ、これは無茶苦茶すぎます!」
「いいからテメェはさっさと戻れ」
「ですが……」
斉藤の返事を遮るように、「さっさと行け」と低い声で脅すように声を張ると、斉藤は不満丸出しで、悔しそうに車のエンジンをかけた。後ろから重いエンジン音が響いている。
「そいつら帰されたら困るンすけどね」
目の前にいる若衆のひとりが、そう俺に睨みを効かせた。舐めた態度の若衆に、俺は一歩近寄る。
「まぁ、いいじゃないの。俺が代わりになるってんだ、文句ねぇだろ」
そこまで言うと、さすがにそいつらは口を閉じ、少し怯んだ様子を見せる。こんなところで組の若頭と何かしよう、なんてチンピラじゃぁ思わないだろう。さすがに斉藤達を追う気配はなく、斉藤達の車が公園から遠のいたのを見届けてから、俺は口を開いた。
「さて、悪いが君達じゃぁ話にならない。松葉、呼んでくれねぇか」
「あ? そりゃないでしょうよ。あんたもヤクザなら分かってンでしょ? 若頭呼べって言われて、はい呼びますって言う脳無しの部下はいねぇっスよ」
やたら喧嘩腰のそのチンピラ。
俺はそいつを見下ろしながら、少しの沈黙を作った。チンピラが「何とか言ったらどうっスか」とその沈黙を嫌うように声を荒げた後、俺はゆっくりと口を開いた。
「いい加減、ナシ、つける必要がある。ウチのがそっちのをひとり、ハジいちまったみてぇだからな。そいつ、死んだか? 死んだら事はもっと重大だよな? だとしたら、今の時点で俺が松葉とナシつけたいって言ってンのに、いちチンピラヤクザの君の判断でそれを断って、事がどんどん大きくなった時、君は責任取れンのか?」
そこまで言うと、目の前の派手なチンピラの眉間に皺がぐっと寄り、そして後ろにいた手下らしき男に何かを伝えた。
その手下はすぐに携帯でどこかへ電話をし、少し話し込むと電話を持ったまま、俺の目の前にいるチンピラに耳打ちをする。
そいつは返事を聞くと、俺の方へ向き直った。
「金も含めて話しますが、俺がカシラの代わりに聞きます。うちのカシラ、暇じゃないんで」
全く態度がデカイのは、松葉の部下って感じがして嫌だね。俺は苛立ちを抑えながら、溜息を吐いた。
「悪いが、君達には話せない事もあるんでね」
「……は?」
「分かってると思うけど、そっちは政治家を抱えてるだろ。癒着があるから表にはあまり出ない。けど最近はよーく動くよな? 派手な動きもするようになった。それもこれも、全部が全部、うちとぶつかるような内容だ。出してくんねぇかね、松葉をさ」
俺が淡々とそう言葉を吐くと、チンピラの眉間の溝は更に深くなった。チンピラは後ろの手下に何かを告げる。しばらく話し込んだ後、そいつらは再び俺の前に立ち、「カシラはあんたには会わないそうです」と鼻で笑う。
ここまできても、松葉は俺に会いたがらない。
これは非常事態で、予想以上に厄介。
松葉の野郎、何か企んでるとしか思えねぇやな。
だが企んでいるとするなら何だ?
何が起きてるのか分からない今、是が非でも松葉を表に引き摺り出すしかないかと、俺は頭を掻いた。
「そうか。それは困ったな。じゃぁ手荒な真似、するしかねぇやな」
「………え?」
俺はそのまま銃を抜き、目の前のチンピラの頭に突き付けた。チンピラの後ろにいる手下共はわかりやすく驚き、目を見開き、それはチンピラも同じだった。
「お前達もチャカ、持ってんだろ? 撃ち合いするか? 今撃ちゃぁ、俺に当たるより、こいつに当たるがな」
そう後ろにいた若いチンピラふたりに言うと、ふたりはあたふたと目に見えて焦っている。
「…か、格上の組に向かって何してんのか分かってんすか?」
「格上だろうがなんだろうが、ヤクザはヤクザでさ。金の損失も去る事ながら、何より、組として面目を潰された挙句、こじ付けで新しい仕事も横取りされんの耐えられねぇのよ。ここで俺がお前を撃って、ついでに手下も全員撃ち殺して、肉も骨も薬品で溶かして無かった事にしようかと、本気で考えるくらいには、頭にキてんのよ」
脅しだった。もちろん、俺はそこまで馬鹿じゃない。銃も脅し道具でしかなく、本物のチャカではない。ひょっと、目の前のチンピラ越しに後ろの手下を見ると、焦りながらも銃を取り出していた。俺のとは違い、多分本物。
「撃つか、え? うちと完全に対立するか? 俺を撃てば戦争になることは間違いねぇやな。そうなった時、困るのは誰か、よーく考えた方がいいぞ」
俺はそう低い声で静かに訴える。後ろのチンピラヤクザが、小さな声で「やべぇよ…」と呟いたのが、微かに聞こえた。
「正気ですか? どーせ、ハッタリなんじゃないスかー?」
「正気よ」
口角を少し上げ、かちゃりと音を立てて安全装置を外した。それを見て、目の前の男は目の色を変える。さすがにこの状況の危なっかしさに気付いたらしい。
「おい、後ろの若いの。撃ち合いなんて御免だろう? 俺はただ、そっちの若頭と話がしてぇだけよ。ま、若頭が出ないってんなら、プランBだわな。ドンパチこの場で始まって、なーんの得にもならねぇ結末を生み出すしかねぇのよ。でも、そっちの若頭は少し前から連絡取れないし、困ってんだ。だからさ、もし、松葉と電話が繋がってるのなら、伝えてくれ。お前のせいで可愛い部下の脳天に穴が空く事になる、ってね」
そこまで言うと、ひとりはおどおどと何か吃ると、携帯を俺の前にいるチンピラに渡した。チンピラは俺を見ると、何も言わず、俺にその携帯を渡す。
「……ようやくか」
そう、俺は相手に声を掛ける。
「うちの部下を人質に取って交渉ですか。良い度胸ですね」
松葉の低い声。ようやく聞けた声に、もちろん俺は腹を立てていた。しかしここは冷静に詰めたいと、俺はひと呼吸ついてから口を開く。
「話がしたい」
「話? 何を話すのです。話す事なんてありません。事が大きくなる前にうちの組員を解放して、赤澤も家に帰って下さい」
松葉は早口に答えると、少しの沈黙を作った。
「うちの仕事をこじつけで横取りしてる、そうじゃないですか。いい加減、話しましょう」
「こじつけ? なんの根拠があるんです? 良いから赤澤、馬鹿な事をしてないで家に帰って大人しくして下さい」
この件に関してはダンマリを決め込むらしい。それは分かってはいた。俺の連絡に全く応じなかったのだから、何も答えるつもりはないのだろう。
しかしこっちだって、黙って下がるわけにはいかない。
「そっちの組員をひとり怪我させた、そうですね。ナシつけるには会わないと始まらないんじゃないですか」
ゆっくりと低い声で詰め寄ると、松葉はまた少し黙り込んで、それから気怠そうに答えた。
「怪我した件は報告を受けてます。金で解決になるでしょうね? ざっと100でしょうか。そこにいる若いのに渡して下さい。示談にしましょう」
部下を撃たれたのに、あの松葉が会おうともせず、100で片をつけようと持ちかける。変な話だった。とても違和感のある対応だ。
「ふざけんな。どういうつもりですか」
「俺はあなたと違って忙しいんです。今もこうして電話してる場合じゃないんです。切りますよ、いいですね」
「おい、待て。急にうちに標的を変えた理由は何ですか。一体何を考えて…」
「赤澤、いいですか。俺もヤクザです。搾り取れる所から搾り取るのは当たり前。それにあなたが悪いのでしょう。うちの案件に、あなたが後から入ってきた。それなのに、今は組員を人質にして俺と話をしたいだなんて、イカれてるとしか思えませんね」
「なんだと? 真野はこっちの件だったでしょうが。そっちの組なんざ一瞬たりとも入ってなかった。なのに今になって、なぜ真野があんた達から金を借りた事になってる、あぁ? 企みはなんです、言えませんか?」
「企みなんてありませんよ。言ったでしょう? 搾り取れる所から搾り取ってるだけ。それに真野はあなたの組に金を返すために、うちから金を借りたんです。あぁ、そうか。金が先に必要でしたね。真野、返してくれりゃぁ、真野の借金は全て返しますよ。そうしたら…」
松葉は、松葉ではない。
「なぁ、どうしたよ」
「どうもこうもないです。君が付け入る隙を見せるのが悪いんですよ。赤澤、忠告します。……今すぐ、ヤクザ、やめたらどうです?」
この野郎。松葉に煽られ、苛立ちが体を支配した。脳に全ての血液が集まり、血管が切れるんじゃないかと思うほどには腹が立ったが、どうする事もできない状況に俺は落胆した。違和感がある。何か裏がある。
でもそれが何かまでは分からない。溜息をひとつつき、俺は電話を切った。目の前のチンピラにその携帯を返し、俺はあの松葉の防御があまりにも固い事に気が付いた。
松葉の後ろには何があるのだろうか。なんだってうちを狙うのだろうか。何が目的なのだろうか。うちから金を奪う事が、何の為になるのだろうか。
「……気ィ済みましたか」
ふっと小馬鹿にする目の前のチンピラ。その顔面を松葉だと思って殴ろうかと思ったが、俺はぐっと拳を握り、溜息をひとつ漏らしただけだった。
「もう脅しも終い、そうでしょう? さっさと治療費と真野、渡してくれないすか?」
「どっちも渡す義理はねぇな。悪いが、そっちの若頭とナシついてねぇ。今日は終いだ。もう帰んな」
俺はそう頭を掻くと、目の前のチンピラは後ろにいた手下に小声で何かを話し、車に乗せた。自分ひとりだけ、威嚇するような怖い顔で俺の前に立ち、じっと俺の目を見る。その様子を見て、涼司が車から出ようと動いたのが見えたが、来るなと手で合図を送る。
「あんたにカシラは潰させませんから」
威勢の良い若衆ってのは良いねぇ、と腹が立ちながらも少しだけ感心した。上に立てつく怖い物知らず、良い度胸じゃないか。ただ、今はその威勢の良さが面倒ではある。
「何か勘違いしてるみたいだけど、俺はあいつを潰すつもりはねぇよ。あいつが俺を潰そうとしてるから、理由を探ってるだけ。分かったらもう帰んな。このままじゃ埒明かないだろ? 君ひとりでどうこう出来る事でもないだろうし」
「あ? 葉山組の若頭だかなんだか知らねぇスけど、こっちはシノギ横取りされて、ここまで食い下がってんだ。俺ァ、引く気ないスから。真野、返してもらって、治療費貰うまで引かねぇスよ」
「シノギの横取りだあ? ふざけたこと抜かすなよ。何も知らねぇで口出してっと後悔するぞ。松葉が出てこないなら話にならねぇ。真野も治療費も、欲しけりゃぁ松葉に来いって言っておけ。いいな」
「あんたには会わねぇって言ってんだろうが。いい加減、自分の状況分かれよ。後悔すんのはテメェだろうが、あぁ!?」
「はぁ、まったく。…チンピラが。いいか、これはたかが借金踏み倒して逃げた男の件、じゃねぇのよ。こうして俺が出てきて、ナシつけるような話だ。分かったら、もう行きな」
「んだと……」
その時、一台の車が駐車場に荒々しく入って来た。かなりスピードを出してここまで来たらしいその車は、チンピラ共の後ろに車を停めると、中からひとり、男が出てくる。そいつはあまり表に出ない男で、松葉の右腕であった。眉間に皺を寄せ、強面な顔を更に般若の形相に変え、大股でこちらへと向かってくる。
「……切田の兄貴! 丁度いいところに、こいつ、カシラを出せって…」
そう目の前のチンピラが男に訴えた瞬間、男は勢い良く目の前のチンピラの顔面を殴った。それはもう勢いよく、俺でも少し引くくらい、思いっきり殴りつけた。車にいたチンピラの仲間共はギョッとしたように固まり、その場はしんと静まり返った。
「すんません!」
男はそう俺に謝ると、頭を深く下げ、俺は気怠く首を傾けながらそいつを見る。
「謝るくらいなら説明が欲しいんだが?」
会って早々謝るってのはつまり、自分達に非があると、こいつは認めている証拠だった。
「すんません。俺からは何も言えないんです。本当に、すんません」
切田は申し訳なさそうにまた頭を下げ、悔しそうに表情を歪めてひたすらに謝った。横で潰れるチンピラを見下ろすと、溜息をひとつ漏らして、邪魔だと言わんばかりに首根っこを掴むと、そのまま強引に立ち上がらせる。
「…おら立て! テメェは車乗って先、事務所に帰ってろ」
どすの利いた声はチンピラを震え上がらせた。切田に引き摺られたそのチンピラは、車の中へ押し込まれ、ガクガクと後部座席で震えている。可哀想に。切田は運転席にいた男に、事務所に戻るよう伝えると、そいつらは直ぐにその場を後にした。
「すんません。躾がなってなくて…」
「それはどうでも良いんだよ。俺が言いたい事、お前には分かンだろ。俺も結構切迫詰まってる。松葉と話させてくれねぇか」
「…すんません。それは、勘弁して頂けませんか」
勘弁しろとは、一体どういう事だ。
「理由は?」
「理由は、俺にもよく…。た、ただ、カシラから言伝を預かってます。真野の件は、もうこれで終いにしてほしいと。真野の借金は真野から取り立ててくれれば良いと。そちらで片をつけて頂ければ、それで…」
ヒクッと目の下が痙攣する。ふざけるなと、怒鳴りたいところだが、こいつに言ったところで仕方がない。俺はどうしたもんかと、切田を見上げた。
「真野をこっち寄越したところで、また次から次へとこっちのシノギに突っかかって来られたら溜まったもんじゃねぇんだが」
「………すんません。本当に、すんません」
やはり、何かに巻き込まれてんのか。
そう考えてしまうのは、この松葉の犬が平謝りをしているから。松葉の組が唾付けていた所へ、俺達が知らずに手を出したのならこうはならないだろう。切田は何かを知っているに違いない。
「なぁ、切田。俺とあいつの関係は随分と長い。犬猿の仲なのも周知の事だろうが、同時に、腐れ縁でズルズルと関係を待ち続けてる。だからこそ、分かるンだ。あいつ、何かマズイ事に首突っ込んでんじゃねぇのか」
そう聞くと、切田は黙ってしまった。眉間の皺は更に深く、数秒、俯く。
「なぁ、何かに巻き込まれているのなら、事が大きくなる前に俺に話しちゃくれねぇか」
切田は唇を噛み締めた後、意を決したように俺を見上げると、一歩近付いた。「すんません!」と頭を下げたまま、一向に頭を上げようとしない。
「いや、お前に謝られても…」
「違うンす。このまま聞いて下さい」
切田はそう低く小さな声で囁くようにそう言った。切田は一瞬、俺の後ろに停まっている車を見て、いや、涼司を見て、このまま聞いて下さい、と小さな声で訴えたのだ。訳が分からない。分からない、が、俺はそれを黙って静かに聞く。
「今日の夜、22時。ここに、ひとりで来て下さい。誰にも気付かれないように、ひとりで。車ン中にいる涼司にもバレないようにして下さい。だから、このまま。すんません」
「…涼司? あいつ、何か関係してんのか」
「いえ、分かりません。誰が何に関わっているのか俺には。ただ全員を警戒して下さい。なので、夜、ひとりで。お願いします」
切田はそう言うと顔を上げ、「すんません、それでは」とまた謝ると、逃げるように自分の車に戻り、その場を後にした。
全員を警戒して下さい、だってよ。なんだか物騒な展開になりそうだよなと俺はポケットからタバコを取り出し、一服した。切田は松葉の忠犬で、裏切る事は絶対にないだろう男だ。だが問題は、どこまで俺は切田を信用できるか、という点だった。
俺が騙されている可能性ってのはあるだろうか。あるとしたら、この状況下で得するのは誰だろうか。切田が俺を騙す利点はあるのだろうか。
切田が俺を呼び出して罠に嵌める可能性よりも、松葉が何かに巻き込まれ、助けて欲しいと、助けを求める方が俺にはしっくりくるのだが…。だとしたら、今は切田を信じるべきだろうな。
煙をもくもくと口から吐き出し、面倒事はご免なんだがと頭を掻く。面倒事は避けたいが、松葉がここまで俺を追いつめる理由ってのは何かあるのだろうから、それを探らないと前には進めない。タバコを吸い終え、そのまま車に戻った。
涼司は俺が車に向かって歩くのを確認すると、運転席からすぐに出て、後部座席のドアを開ける。俺が中に入ると静かにドアを閉めて、自分は運転席に戻った。この涼司でさえ信じてはいけない相手になってしまうのか…。切田は全員と言っていたが、涼司は裏切るような男には見えない。
「…自宅で良いっスか」
涼司は少し不安そうな顔をしながらバックミラー越しに俺を見ていた。
「あぁ」
涼司は何も聞かない。だから俺はぼうっと、流れる景色を見ながら考える。涼司が裏切り者ではないと思える最大の理由は、こいつが何も探らないからだった。
裏切り者だとしたら、もっと情報を知りたがるものだろうから、こいつはきっと違う。本当に裏切り者がこの組内に存在し、情報を横流し、俺の首を絞める存在がいるのなら涼司は外せる気がするが…。その時、電話が鳴った。斉藤からだった。
「おう」
「カシラ、大丈夫です、か?」
「あぁ、心配要らない。どうした?」
「あの後、どうなったか気になりまして…」
「松葉には会えてない。出来るだけ早く片は付けたいが、難航しそうだな…。今、取っ掛かりを探ってる」
「カシラ。お願いですから無理しないで下さい。俺、何でもしますから」
「今のところは何もねぇよ。お前も少し休んでおけ」
今、一番怪しまなければならない相手はこの男。斉藤がどうしたって黒に近くなってしまう理由はこれだった。誰よりも何よりも俺を知っていて、この組の事を隅から隅まで把握している。松葉が邪魔に入る案件も、それ以外も、この男は必ず関わっている。俺はどこまでこいつの事を信じてやれるのだろうか。
「…しかし、」
「それより真野は? 逃げられてねぇだろうな」
黒に置きたくはない、と繰り返し繰り返し思うが、ひとまずは身内であり側近であるこの男を信じる為にも、こいつが白だという証拠を集めないと不安は続くだろうな。俺の方でも動かなければならねぇな…。
「はい、一緒にいます。ただ追っ手の心配がありますので、交代で外の監視に回ってます」
「追っ手はもう来ない。安心しろ」
「え? 話、まとまったンですか」
「んー、まぁ、この件に関してだけを言うなら、真野はうちンだ。もう向こうは手出ししない。松葉のしたい事がサッパリ読めないんだがな…。真野の借金は向こうが背負ったって龍で、こっちの邪魔をしたかったようにしか見えなかった。…が、最終的にはあっさり真野から手を引いて、これで終いだと勝手な事を吐かす。何が何だか…」
「そう、ですか。ひとまずこの件は手打ち、という事ですね」
「あぁ。だが、他の件はサッパリ。松葉とは少しだけ話せたが、直接は会えてねぇからな。作戦は失敗よ。ちょいと強引な手を使ったが甘かったな」
「ちょいとではないでしょう…」
「それより金谷は? 大丈夫か?」
あまり語るとこいつは余計な心配をする。だから俺は咄嗟に金谷へと話しを変えた。
「え、あぁ、はい。あの、その事で話があります。明日、事務所にいますか」
「あぁ。昼過ぎには行くが…」
「分かりました。では明日、話をさせて下さい」
「電話じゃ話せない事か?」
「あー…いえ、こっちは誉達もいますし、人が多くて。今はまだバタバタしているので、できれば明日、事務所で。カシラの耳にだけ入れておきたい事ですので…」
「分かった」
「それでは、明日」
「あぁ」
斉藤は警戒していた。周りに裏切り者がいないかと、慎重に行動しているように見える。裏切り者ならここまで敵を警戒するだろうか…。やはりこいつは裏切り者ではない、のだろうか。いや、分からない。斉藤を白に置く確証も、黒に置く確証も、まだ何もない。ただ俺が信じたい、というだけだった。
しばらく車を走らせ、俺は涼司に送られて帰宅する。部屋の中は真っ暗だった。少しだけ、飯の匂いがした。青木が帰って来て飯を食ったのだろうと思い、起こさないよう、そっと寝室を覗く。広いベッドにひとり、青木は無防備に眠っていた。静かに寝息を立てている。
俺も早く寝ようと、軽くシャワーを浴びてベッドへ入ると「…おかえり」と眠そうな声が聞こえた。
「ただいま。起こしたか?」
「いんや、少し前に目ぇ覚めた。…てか、遅かったな。大丈夫?」
「あぁ」
「そう。…なら良いけど」
青木はそう呟くように言うと、欠伸をひとつして、またうとうとと瞼を閉じた。俺はそんな青木を見下ろしながら、こいつの存在はどうなのかと、つい考えてしまう。
こうして家の鍵を渡し、隣で寝ているが、疑うべき相手はやはりこいつなのだろうか。こいつは俺の首を、じりじりと、あの時のように絞めたいだけなのではないか。
こうして無防備に寝ていても、俺を裏切ろうと動いているのではないか。もしそうなら、こいつがここに来てからの時間は全て偽りだった、という事なのだろうか。そう思うとぐっと胸が苦しくなり、痛み出す。
だが、…そうあるべきだと思う自分がいた。過去に散々な事を、こいつにしたのだから。こいつはきっと俺を破滅させ、ケタケタと楽しそうに笑う。これはきっと青木にとって、ハッピーエンドになるのだろう。そう、なるべきなのだ。
でも、本心で望む事は…。ギリリと奥歯を噛み締め、傲慢な望みと身勝手な感情に目を逸らした。
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