2. 青春

『青木君って何考えてるか分かんないよね。誰かと話してるとこも見た事ないし』



『ないない。本当に不気味。でも無茶苦茶賢いじゃん? なんかこわーい』



女子共がそう怖がる理由はよーく分かる。不気味だわな、誰とも話さず、笑わず、暗い人間って。でも俺からすりゃ、怖いって言うよりただただ苛立つ存在にすぎなかった。殴ろうが何をしようが抵抗しない人間なんて怖くもなんともない。


けれど青木は抵抗の代わりのように、いつも苛立つ目を俺に向けてきた。俺が誰かと話してると、こっちをウザったそうに見てきやがって。その目付きは明らかに俺を人を見下して小馬鹿にしたものだった。 



「おい、テメェ、何見てんだよ」



そういかにも不良が言いそうな事を言うと、そいつは知らん顔をして疲れたように窓の外を眺める。あんなにがっつり目を合わせておいて無視をする。見てません、が通用しないくらい目を合わせたのに堂々と無視をするなんて、こっちの面目は丸潰れじゃない。大抵、謝るか見てませんと焦った顔して否定するのに。この男は無視して許されると思ってる。それって余計に人を逆撫でしてるって事に気付いてないのだろうか。 



「お前、ちょっと来い」



胸ぐらを掴み、無理矢理教室から引きずり出していつも通りフルボッコ。トイレに連れ込み、壁に頭を叩きつけ、顰めっ面したその顔を見下ろした。



「……離せって…」



「無視するなんて良い度胸だよな? 何様のつもりだ、あ?」



「ヤクザの息子ってこれだから呆れるよ。暴力でしか解決できないんだろ? 馬鹿じゃねぇの」



な? こいつは本当に腹立つのよ。何度も何度も殴って、蹴って、その度にこいつは何処からか血を流す。血を流しては俺の拳を汚す。きったねぇなと俺は手を洗い、へばっているそいつを見下ろす。何度も何度もその繰り返し。抵抗は一度だってされなかった。俺に殴り返そうとさえしなかった。弱っちぃ男よ。喧嘩さえ出来ないんだから、男としてどうかと思うね。


けれど口だけは相変わらずで、俺を見下しては馬鹿にして鼻で笑い、俺はそいつを殺す勢いで殴り続けていた。


そんなある日、体育館裏倉庫。何が原因でそいつに苛立ったのかはもう覚えてないが、俺はそいつが気を失うまで殴り続けた事があった。さすがに気を失われ、やべぇ、と思った。


けど俺だってバカじゃない。力の加減ってのは知ってる。こいつが痛がる程度のものだったし、ただまぁ、少しやり過ぎたから気を失ったのだろうけど。死ぬほどじゃない。恐る恐る呼吸をしているか確認する。上下する胸、微かに吐かれる息にホッとしたのが正直なところ。そのまま置いて帰っても良かったが、何故だろうか、俺はタバコを咥えながら、そいつが目を覚すのを待っていた。



「お前、サンドバッグになんの好きなの? 気持ち悪ぃな、ホント」



目を覚ましたそいつにそう問いかけると、そいつは肋骨を抑えながら、また馬鹿にしたように鼻で笑った。



「暴力でしか解決できない脳無しには分からないだろうな」



カチン。とくるわけよ。その時俺はそいつの顔面を蹴り上げ、さっさと倉庫を後にしたが今思えばあいつの非暴力ってのは強さであり、刑事になりたがっていたあん時のあいつの意思の表れだったんだろう。


でもそういう正義感のあるやつって、どうしても引き摺り下ろしたくなるだろ。しかも刑事になりたいんだもんよ。俺が心底なりたかった刑事にさ。引き摺り下ろしてズタズタにしてやりたかった。


だからある日、またボコボコにして、手足を押さえ付け、安全ピンでそいつの右の耳朶に穴を開けてやった。悲鳴とそいつの泣き顔はさすがに楽しかった。



「ちょっとはヤンキーっぽいかな?」



暴れるそいつをよそに、俺はファーストピアスをしてあげた。してあげたのよ。陰気臭いヤツより、ちょっと悪くなった方がカッコ良いじゃない? なんて言い訳で、俺は少しでもそいつを引き摺り下ろしたかった。右耳に不格好に開いた穴、そこに無理に押し込んだシルバーの小さなピアス。血はもちろん流れた。


あぁ、今度はもっと痛いとこに開けてやろうかなとその時思った。例えば舌、とか。あとは性器とか。チンコなんて死ぬほど痛いって言うだろ。開けてやろうかなと思った。そんなに悲鳴あげて泣いてくれんなら。



「次、俺がヤクザの息子だからって理由で馬鹿にしてみろ。もっと痛い目見んぞ」



そう忠告したのに青木は学習しない。俺をいつも鼻で笑って俺に殴られる。金を寄越せと言っても寄越さないし、言うことも聞かない。さすがにピアスはもう開けなかったが、腹が立ちすぎて髪を鷲掴んでそのまま吸っていたタバコを腕に押し付けた事があった。痛いよな。そりゃぁ、痛いさ。そんな関係が延々と続いた。あいつは何があっても無抵抗で、俺に嫌悪を示すだけだった。


そんなある日、俺はひとりノロノロと夜の繁華街をうろついていた。家にどうしても帰りたくなくて、ただ途方もなく歩いていた。そんで見つけちまった問題事。隣の高校のヤンキー共に囲まれる非暴力を謳う青木くん。どう見たって友達と仲良くやってるわけじゃなさそうだった。その高校の奴らは最近、俺達の制服を見るとカツアゲをしていると噂に聞いていたからピンときた。青木くんは遂に、俺以外にもカツアゲされるんだなぁと。そのヤンキーは俺みたいに優しくないぞぉー、と忠告してやりたかった。


楽しそうだからと俺は物影から隠れて青木対ヤンキー3人組を見ていると、どうやら口論しているらしかった。金を出せ、金なんてない、持ってんだろ、持ってない。どーせ、こんなやり取り。案の定、青木は殴られて鞄を取り上げられ、更にはその顔面を蹴られる。驚いた事にやっぱり抵抗しなかった。ヤンキー共に好きなだけ蹴られて笑われ、鞄をひっくり返され、財布を抜き取られているのに殴り返そうともしないんだ。馬鹿なのか。馬鹿なんだなぁ、きっと。殴られ蹴られて、死ぬ事もあるって分かってない? 分かってねぇのかもなぁ。たぶん、そのまま蹴られ続けてたら死ぬのに。そのヤンキーは力加減分かってないのに。あんた、死ぬぜ?



「おい」



だから俺はどうしてかな、その他校のヤンキーを殴りつけていた。顔が血でぐだぐだになるまで殴り続けていた。それはもう力の加減なんてしなかった。鼻が折れて泣き叫んだやつ。俺を殴ろうと拳を振り上げたやつ。ナイフなんて物騒な物を取り出したやつ。三者三様だが結果は一緒。泣いて謝らせ、目が腫れて見えなくなるまで殴り続けた。


そして青木の前で土下座させてその場を去らせたが、青木はぐったりその場でへばっていて、謝罪なんて耳に入ってないようだった。そんな事よりも救急車が必要らしかった。青木も鼻を折っていたように見えたし、その時は呼吸をしていないように感じて、俺は今まで味わった事がないくらいにひやりとした。それは人として、目の前で誰かが死ぬのは怖いだろ。いくら普段からボコボコにサンドバッグにしてても反吐が出るほど嫌いな男でも。怖いものは怖い。


けれど面倒事も嫌いだった。俺は救急車を呼んで、その場を逃げるように後にした。その結果、警察が学校にまで来て連行された。うむ。何ということか。人気のない路地裏だったがどうやら一部始終を何処かの誰かに見られていてらしく、そいつが警察に言ったらしい。"4人の学生"を殴るヤンキーがいる、と。無抵抗な相手を殴り続けている、と。そいつが見ていたのはへばった青木と死ぬ程殴られる3人のヤンキー。ここだけ見れば、まぁ、俺が4人ヤったと思うわな。


制服着てたし、髪色も少し明るかったし、特定しやすかったろうなぁ。


けど正直に言えばそんな事はどうでも良かった。鑑別所だろうが少年院だろうが、別にぶち込んでくれて構わないと他人事のように考えていた。確かに青木以外の3人を殴ったのは事実だし、それに青木だっていつも俺が殴ってるし。それにこういう時、ヤクザの息子ってのは控えめに言っても最悪で、警察の奴らはマトモに話を聞かなかった。そりゃそうよな。警察に通報したやつは無抵抗な学生4人を俺1人が殴ってると通報したのだから。その犯人がヤクザの息子だと知れば、聞く耳を持つだけ無駄だと考えても仕方ない事だろう。


ガキ同士の喧嘩、それで警察も終いにしたかったろうに、事が大きくなったのは青木をカツアゲしていたあの3人組の1人が被害届を出しやがったから。被害届が出ればガキ同士の喧嘩じゃ始末がつかなくなる。そんで俺が4人相手に一方的に殴り続けた、という事になった。けれど、そう警察が呆れ返って数日後、俺は突然放り出される。釈放!というわけだがなぜ? 被害届は?


あぁ、もしかして青木が全部言ってくれたのだろうか。自分がカツアゲされて殺されかけて、そんなピンチな時に普段はいじめっ子である赤澤くんがヒーローのように登場し、3人を成敗してくれたのだと。だとしたら、グッとくる青春の1ページだと思ったのだが、現実はそうじゃなかった。青木は何も言わなかった。関わりたくないといった態度だったらしい。警察に対してもそんな態度かよ、と思ったらつい可笑しくなった。俺が釈放された本当の理由は単純だった。出された被害届が取り下げられて全て説明されたから。自分達が青木を殴り、カツアゲした事が原因だと。でも正直、どうでも良いなぁと頭を掻きながら帰路についたのを今でも覚えている。所詮はそんなオチ。青木に、自分を守るために赤澤くんは人を殴ったんです、なーんて言わせたかったのかな。



「……まさかなぁ」



ぱちりと目を覚ました。部屋は暗く、目覚めが悪くなるような過去の夢を見ていた。忘れ去っていた過去の思い出だった。思い出したくもない過去の出来事だった。それもこれも拾ってきちまった男のせいだろう。俺はソファに横たわるボロ雑巾のような男を見下ろした。気を失う青木の世話をある程度した後、近くのシングルソファの上でどうやら眠ってしまったらしかった。青木は気を失っていて放り投げようが転がそうが起きなかった。そんな青木の破れて血のついた汚い服を脱がせ、アザになっていた箇所に湿布を丁寧に貼り、Tシャツを着せてソファの上に転がしている。目を覚ました時、こいつは何を言うのだろう。いや、俺が何と言うべきなのだろう。


俺は立ち上がって近くにあったブランケットを青木に掛けながら、連れて帰って来たは良いがこれは参ったなと、ぼんやりと考えていた。青木はまさか嫌悪する男の家のソファで寝かされているなんて露知らず、すやすやと寝息を立てている。青木の顔をじっと見下ろした。こいつは本当に俺の知ってる青木なんだろうか。とてつもなく似てるそっくりさん、そう言われた方が納得いくんだがな。だってあの青木だ。信じられねぇよな。なんでヤクザになんてなったのかな。散々、ヤクザなんてって馬鹿にしてたくせによ。人って案外簡単に落ちる所まで落ちちまうもんだけど、それはこいつも、って事なのか。


さて。これからどうするよ。俺は腕を組み、眉間に皺を寄せて、事の重大さをひしひしと噛み締めていた。どうしようかと悩んでも解決策は出てこない。埒が開かないと俺はそのまま自分の寝室に入り、服を脱ぐと全裸でベッドの中へ潜り込んだ。もう考えるのをやめよう。一旦、眠ってそれからだ。青木の存在をなかった事にして、考える事をやめた俺は数分で深い眠りに落ちた。

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