3. 酒とドラッグとゲーム

春仁に似たその人は誰にでも優しくて、人付き合いが上手そうで温厚そうだった。



「おい、ちょっと外の空気吸うぞ。シロ、運転よろしく」



「えー、今来たばかりなのに?」



「すぐそこまでよ、なんかみんな盛り上がってるし、ちょっと抜けようぜ」



そう勝手に話を進めてしまう蓮司さんの横でも、その人は苛立ちひとつ見せない。まぁ、付き合いが長いのだろう。



「仕方ないな。ちょっとだけだよ」



そう言って微笑んでしまう。余裕のある大人、そんな感じがした。タカオは「面倒くさい」と目を擦りながら繰り返し、蓮司さんはそんなタカオの腕を引っ張り、「久しぶりに会えたんだから」と無理矢理にでも連れ去りたいようだった。俺がその横で止めようかとタカオの様子を伺うが、タカオは最終的に諦めた様子で、「分かりましたよ」と頭を掻きながら立ち上がる。喧嘩にならなくて良かったと安堵した。タカオの表情はいつもと違ったし、しつこく誘う相手を殴り倒す事も想像できたからだ。


そんな俺の横でタカオが俺に行こうと口を開くと同時に、「君も行こう?」と白川さんが俺を見下ろして微笑んだ。春仁とは違う。でも春仁に似てる。でも違う。似てるだけでは満たされない事は十分すぎるほど知っているはずだが、それでも春仁に似たこの人の事を知りたいと思ってしまった。


白川さんの車はダークブラウンのクラシックタイプのアメ車で、なんだか雰囲気に合っていた。乗り込むと、甘いお香のような匂いが鼻をくすぐった。ふんわりと甘い香りだった。けれどその匂いは俺には少し甘すぎて、酔いを更に強める感じがした。だから窓を開け、涼しい夜の空気を目一杯吸い込む。心地良かった。暑い夏の夜のドライブ。風が吹いて気分が良い。俺は静かに助手席に座っていた。後部座席には不機嫌な顔丸出しなタカオと、そのタカオにちょっかいを出す蓮司さんがいる。



「どこ行くんすか」



まだ着かないのだろうか、そう思って尋ねると蓮司さんは「ナイショー」とタカオの隣で適当に返事をする。どうやら白川さんにだけ行き先を告げていたようだった。 車は狭い車道をゆっくりと走り、真っ暗な森の中へと入っていく。街灯がやけに少ないせいで、暗さが際立った。誰も何も話さないから、外の音がよく聞こえる。近くにある湖の音や虫の羽の音。このまま走り続けていたら寝てしまいそうだと、外を眺めながら思った。



「警戒してる、よね?」



けれどどうやら俺は警戒しているように見えたらしい。白川さんは少し心配そうに運転しながらも、俺を気にかけてそう尋ねた。



「いえ、そんなことは…」



「こんなナリだしね、ごめんね。やっぱり威圧感あるよねー、和彫って。あ、僕は彫師でね、だからこんな感じで、結構体全体にスミは入ってるの。でも怖がらないでね」



彫師、なんだ。父と同じ職業の人を、俺はこの時初めて出会った。父は背中にしか入れていなかったが、この人みたいに体全体に和彫が入っているのもカッコいいもんだなと、俺はその人の横顔を見ながら思った。



「和彫、好きですよ。たしかに圧があるのは否定できないですけど」



「良かった! でも、やっぱり威圧感あるよねぇ。ふふ、まぁ、僕はただの彫師だから、怖がらせるつもりはもちろんないし、気軽に話し掛けてね。警戒せずに、ね?」



「分かりました」



つい口角が上がっていた。やっぱりこういうタイプに弱いらしい。春仁みたいに口調が柔らかくて白くてデカイ優しいやつ。ゆるゆると表情が緩んでいる事に気付いて、深呼吸し、顔に出さないように必死になった。


しばらくして到着した場所は、幻想的な場所だった。

月の光がてらてらと水面に浮かぶ湖。フクロウがどこかで鳴いていて、少ない街灯が車道に等間隔にぽつんぽつんと辺りを照らすが湖側に灯りはなく、星空と月の明かりが輝いていた。星が湖の向こう側まで広がっている。



「綺麗だろ? ここ、来たかったのね」



「蓮司はロマンチストだもんなー」



「来る時に通ってさ、夜のうちに来たいなぁーって思ってたんだ」



楽しそうな蓮司さんの横にいるタカオは、蓮司さんに肩を組まれながらぼうっと湖を眺めていた。



「さ、飲み直そう」



そう提案したのは蓮司さんだった。どこに隠していたのか、ジンとウォッカのボトルを抱えてにんまりと笑っている。タカオは「まじ?」と呟いて、蓮司さんを見上げていた。



「俺まだ飲み足りないんだよなー」



「パーティーに戻るつもりないだろ、蓮司」



「んー、ない、かな? だってシロも戻るつもりなかったろ? プレゼント渡したら帰るって言ってたじゃん」



「そう、だけど。だってねぇ、若い子のパーティーにおじさんひとりはねー?」



おじさんひとり。歳は、いくつなのだろう。見た目ではあまり分からない。けれど雰囲気だけだと、30くらいだろうかと俺は考えていた。



「おじさんって年でもないじゃない。まぁでも、だから、俺はシロと飲み直したかったの。それに久しぶりの後輩もいたし、後輩の友達もいたし、飲み直すには丁度いいじゃん」



でも、そうか。白川さんはもともと帰るつもりで、それを知ってた蓮司さんは一緒に飲むために引き留め、それに巻き込まれたのが俺とタカオってわけか。ならば少し蓮司に感謝だな。こうして白川さんと話せるのだから。



「ほら、ふたり、突っ立ってないで手伝えー。タカオ、そこの地面のデカい石、退かしてくんない?」



タカオは「まじかよー」と小声でぼやきながら座れるように、両手でようやく持ち上げられるほどの大きめな石を退かしていた。



「何か、手伝いますか」



車で何かを探していた白川さんにそう尋ねると、白川さんはトランクから厚手のレジャーシートを引っ張り出した。



「これ、一緒に敷くの手伝ってくれるかな。結構大きいんだよね」



「分かりました」



レジャーシートを広げると、シートから白い細かな砂がパラパラと落ちた。砂浜か何処かへ行ったのだろう。



「先週ね、ビーチ行って来てさ。だから砂でじゃりじゃりかも。ごめんね」



「あ、いえ。座れるだけで、かーなり助かります」



「車から下さなくて正解だった」



「そうっすね」



そう言いながらまた口角が上がってしまう。シートを敷き終わると4人で酒を飲み回し、べらべらと話しては、くだらない事で笑っている。蓮司さんは豪快な人で、酔うとかなりゲラで、何に対してもすぐに大笑いした。それを鼻で笑うタカオと、どんなに酒を飲んでも顔色ひとつ変えない白川さん。あのパーティーより何倍も居心地が良いし、何倍も楽しい。ショットグラスになみなみに注がれたウォッカをちびちびと飲んでいると、隣で白川さんが柔らかな笑みを浮かべながら、俺の二の腕に触れた。ついドキリと心臓が反応する。



「肌、綺麗だねー。女の子みたい」



白川さんの手はひんやりとして、気持ちがよかった。



「いやいや、白川さんの肌の方が女の子っぽいですよ」



「え、そう? そうかなー。初めて言われたよ」



「白い、すよね」



「うん。白い方だよねー」



「刺青が映えますよね。白いと」



「ふふ、そう? そうかな。映えてくれてるなら嬉しいよ。…蘭くんのこの褐色の美しい肌には、どんな刺青が似合うのかなー」



首を傾けるその仕草が、妙に春仁みたいだった。だから俺は白川さんを見ながら、「入れるなら和彫が良いです」とアプローチとも捉えられるような言葉を溢した。春仁と出会ってすぐ、まだよく話した事もなかったあいつは和彫のデザインを見ながら、俺に似合うと言ってくれた。特別、刺青を入れたかったわけじゃない。でも春仁は似合うと言ってくれた。だから、だろうか。入れても良いってその時、本当に思った。



「和彫は僕の専門だよ。もし入れるなら僕に彫らせてほしいな」



「いいですよ、彫ってください。カッコいいの、お願いしますね」



「うん、すーごくカッコいいの、彫ってあげるね」



白川さんは笑みを浮かべながら、するりと指の背で俺の二の腕を撫でた。これをお誘いと捉えるには早急すぎるだろうか。この人は、何を考えているのだろうか。もし、俺が欲しいと言ったら、くれるのかな。



「お前らねー、"ほるほる"煩いぞ。やらしいやつらめ」



そう考えていた俺に蓮司さんは目を細める。蓮司さんの言葉に白川さんは俺から少し離れ、「蓮司の頭のがやらしいわ」 と片眉を上げて笑っている。



「まぁー、俺がやらしいのは間違いないよね」



蓮司さんがそう断言すると、白川さんは肩を揺らした。



「アハハ、蓮司はバカでやらしいから好き! そう言い切るのも好きだよ!」



「バカって言うなよーう」



「ふふ、ごめんごめん」



「そんな事より、シロ! 全然飲んでないだろ」



「えーそうかな。飲んでるけどなぁ」



「なぁなぁ、恒例の回し飲みしようぜ!」



回し飲みって飲みサーみたいだなぁ、とウォッカをちびちび飲んでいると、白川さんがポケットから何かを取り出した。



「みんなでやろうと思ってね、イイもの持ってきたんだ」



白川さんは春仁とは違う。



「えー! 最高かよ、シロ!」



蓮司さんはそれに食い付いて目を輝かせた。春仁に似ているから近寄りたいと、もっと知りたいと思ってしまっていたが、白川さんからは危ない匂いがした。



「俺はやんねぇよ。それ、ドラッグだろ」



あぁ、それこそこの人はきっと俺にとって麻薬のような人なのかもしれない。白川さんが取り出したのは、小分けの小さい袋に入っていたタブレットだった。蓮司さんはそれがドラッグだと見ただけで分かり、その上で喜んでいる。タカオはそれがドラッグだと見ただけで分かり、その上で嫌悪を顔に出している。



「そんな怖い顔すんなよタカオ、これは依存性ねぇよ。ほら、口開けろって」



一粒取った蓮司さんはタカオの顔の前でそのタブレットを見せた。



「やめろよ、やるわけねぇだろ。俺がクスリやんないの知ってんだろ」



「これはお前が思ってるようなクスリじゃねぇーよ。気持ちよくなるだけ。ふわーっとして気分良くなるだけ。お前が依存してたやつじゃないから安心しろって」



お前が依存してたやつって言った? その言葉から、なんとなく、なぜタカオがモデルを辞めさせられたのか分かってしまった。だとするならば、蓮司さんはやっぱりいけ好かない。


酒のせいでマトモに物事を考えられなくなっていたが、必死になってこの後の展開を考える。考えようとする。けどマトモなことは考えられそうにもなかった。結局、頭はぶっ飛んでいるのだから、何もかもがどうでも良くなってしまう。



「はい、君の分」



そう言って白川さんから渡されたソレを、俺は受け取らずタカオを見た。タカオはこれを、どうするのだろうかと。タカオは受け取ろうとはしなかった。強い口調で拒否して、タバコをふかして嫌悪する。無理に渡そうとする蓮司さんに、「いい加減にしろ!」と声を荒げたタカオは怖がっているように見えた。過去に何があったかは分からないが、相当な出来事ってのがドラッグ絡みであったのだろう。



「これ、危ないクスリではないよ。でも、無理して飲むものでもないからね。折角なんだ、楽しもうよ、ね? 酒だけでも、十分、楽しいもんだよね」



この白いタブレットを持ってきた張本人なのに、白川さんはまるで赤の他人のようだった。



「全員でやらなきゃ意味ねぇーだろ」



蓮司さんが舌打ちをすると、白川さんは口角をゆるりと上げて笑い、蓮司さんの頭をポンと撫でた。



「まぁ、良いじゃない。ね? 蓮司は抵抗ないかもしれないけどタカオ君はそうじゃない。だから酒、楽しもうじゃない。酒も美味しいよ?」



「酒は気分良くなるけど、二日酔いするからなー。だから嫌いなんだよなぁ」



「ハハ、うん。そうだね」



白川さんはタブレットをまたポケットに仕舞うと、ジンとウォッカの瓶を両手に待ち、蓮司さんの目の前に出して微笑んでいる。



「ゲーム、しよ? 好きだろ、蓮司」



「飲んでハイになる健全なゲームね。好きよ、もちろん」



蓮司さんがそう言うと白川さんは、「健全なゲームで楽しもうか」と俺達の方に向き直る。



「健全、ね」



タカオが鼻で笑った。



「うん。健全。よく、パーティーでやってたんだけど、最後にはみーんな楽しくなっちゃう、ただの飲みゲーム。ひとりがジンかウォッカを口に入れて、隣の人に口移しするんだ。飲む方は、鼻をつまんで飲まなきゃならないんだけど、その状態でジンかウォッカかを当てるの。ね? 健全でしょう」



「それ、どこが健全スか。どこぞの大学のヤりサーみたい。飲んで酔ってヤりまくるやつ」



タカオは二本目のタバコに火を点けた。



「最高じゃん」



蓮司さんの言葉にタカオは溜息を漏らし、「目的それなの?」と冷たい目を向けた。タカオと蓮司さんの間には、確実に何かがある。それは肉体関係も含めて、きっと何かあった。だからタカオは冷たい目をして目的はそれなの、と吐いたのだろう。つまりタカオは彼女がいたと言っていたが、ストレート、ではないのだろう。



「アハハ。俺はただ飲みたいだけよ」



蓮司さんも否定をしているようでしていない。



「やってみると意外と楽しいよ。案外分からないものだからね。ジンなんて香り強いのに、鼻をつまむと分からないもんなんだよ」



「女いないんじゃやる意味ねぇんじゃねーの。口移しゲームなんて、男だけで何が楽しいの」



そう呟いたタカオに、蓮司さんは揶揄うように片眉を上げて鼻で笑った。



「あれ、タカオ、いつからノンケ演じてんの? もしかしてそのお友達の前だから?」



蓮司さんは嫌な笑みと共にタカオに噛み付いた。酔って鈍い頭だが蓮司さんの言葉に、あぁ、と疑惑は確信に変わった。タカオって本当は男の方が好きで、彼女ってのは何かを隠す為、だったのかもしれない。理由は分からないが、もしそうなら今までの会話、春仁のあれこれ、なんだか意味合いが変わるような気がする。それは俺の自惚れかな。どうだろう。どちらにせよ、タカオと何をするってわけではないが。



「俺はあんたと違ってどっちもイケんの。別に、演じてたわけじゃねぇよ。つーか、まじで黙れよな」



「こーわ。お前って酔うと本当口悪くなるよな。でも、お前が女イケたなんて初耳なんだけど? 無理に隠すとボロが出るもんだよー」



「本当うぜーな。彼女いたし。今日、…昨日か、別れたけど」



蓮司さんに対して舌打ちをしたタカオに、白川さんは困ったように眉を下げて和ませようと微笑みながらタカオを宥める。



「好みって変わるものだよね。体の相性もあるだろうし」



なぜかな。そう宥めている白川さんを見ると、この人は男なんだろうなぁとなんとなく感じた。タカオはタバコを咥えたまま無愛想に蓮司さんに向けて舌打ちをし、蓮司さんはそれに対してケタケタと笑う。



「なぁーもうさ、ひとまずやってみようぜ。野郎ばっかで飲んだくれてさ、楽しもう! 健全な罰ゲーム付きでね。二択で簡単だけどハズレたら服を脱がされる、当たったら飲ませた方が脱がされる、でどう?」



「ふふ、何それ。お前は脱ぎたいだけでしょう、蓮司」



「そんな事はない!」



蓮司さんは心底楽しそうだった。タカオは相変わらず。俺は白川さんがいるなら何でもいいや、とすら思っていた。危険な人だろうな、とは思うものの、酒も入り思考は正常ではない。それに何があっても、今なら酒のせいにできるからだろう。



「じゃぁ、ひとまず僕と蓮司でやろうか」



白川さんはそう蓮司さんに微笑んだ。



「よーし、いいぞー。なんでも来い!」



蓮司さんは後ろを向き、白川さんはジンとウォッカを見比べ、ウォッカのボトルを俺達に見せた。とても楽しそうにウォッカを口に含み、蓮司さんの肩をポンポンと叩く。蓮司さんが振り向くと、少し腰を上げ、長い腕を蓮司さんの方へ伸ばして蓮司さんを見下ろした。片手で蓮司さんの鼻をつまみ、片手で後頭部を抑えるように手を添える。それは逃げないように固定しているように見えた。軽く口を開けた蓮司さんに、白川さんは唇を押し付ける。唇が離れるとウォッカが一筋、口の端から溢れて落ちた。蓮司さんは唇を拭うと、白川さんに鼻をつままれたまま悩んでいる。



「えーっと、この爽やかなぁー甘みはーえー…ジンだな。うん、ジンだ!」



鼻をつままれ、まぬけな声で2択にも関わらず間違えてしまう事が、これほど笑えるとは。俺は自分が思っていた以上にその状況がおかしくて笑いが止まらなかった。口移しだろうが、なんだろうが、どうやら甘い雰囲気は皆無らしい。さきまで嫌悪感丸出しだったタカオですら、涙目になって笑っている。



「バカかよ」



「蓮司、ハズレだよー。はーい、シャツ脱いでね」



白川さんは口角を上げながら、蓮司さんのシャツのボタンに手をかけた。細い指でひとつ、ひとつと、器用にボタンを外していく。人の服を脱がせるってのは、なんだかとてもエロい光景、なはずなのに、なんでこうも笑ってしまうのだろう。



「やだ、シロのえっちー」



「ふふ。はいはい、…って、なーんだ、インナー着てるんだ」



「ざーんねん、ね?」



脱いだシャツをポイっと投げ、蓮司さんは笑顔で白川さんを見上げていた。その時、ふと、目に止まった。蓮司さんの右の腕の内側には、小さなタトゥーが入っている。ナイフが刺さったスペードのデザイン。アメリカントラディショナルスタイルで、この人の容姿に似合ったタトゥーだと思った。



「さて、次! 俺の番だ!」



蓮司さんは悪魔のようにヒヒヒッと笑うと、気怠そうなタカオの顔を覗き込む。



「おいー、タバコ消せよ」



「やだよ、もったいない」



タカオはタバコを指に挟み、蓮司さんに煙を吹きつけた。その挑発的な行為に蓮司さんは笑い出した。



「おらー! 後向け、うーしーろ」



蓮司さんに肩を掴まれ、くるりと向きを変えられるタカオは大きな溜息を吐いて、そのまま俺達に背中を向けている。蓮司さんはすぐにウォッカを口にした。タカオを振り向かせるとすぐにその鼻をつまみ、腰に腕をまわして密着した。タカオは別に嫌がる様子はなく、素直にそれを飲み込んだ。密着しても嫌がらない、かと言って仲が良さそうでは全くない。変な関係のふたりだなと、つい思ってしまう。


タカオはごくんと飲むと、「……ジン」とぽつりと言った。自信はないのだろう。その瞬間、外れた事に蓮司さんは爆笑し、ケラケラと笑うと、「脱げ脱げー!」と強引にタカオを押し倒している。



「ちょ、っと…え、力強っ、引っ張るなよ!」



あたふたと喚き散らすタカオのTシャツを、蓮司さんは簡単に剥ぎ取った。不機嫌だったタカオの焦る顔に笑ってしまう。白川さんはアハハと声に出して笑っている。



「残念だねー」



白川さんはタカオにそう声を掛けると、タカオは「別に良いですけど!」となんだかツンデレ少女みたいな口調になっているから、余計に可笑しくなってしまった。なんだかんだで酒が入って全てが面白い。久々にこんなに笑ってるよなぁ。焦るタカオが面白かった。そのタカオを見ては満足そうにしている蓮司さんも面白かった。この空気が、今とても滑稽で、笑いが笑いを呼ぶらしい。



「あれれ、お前ちょっと痩せたな。ジム行くの辞めたの? それとも今は細身が主流?」



蓮司さんはそう言ってタカオの体をじっと眺めている。



「は? 見んなよ」



タカオはうざったそうにその言葉に反応すると、タバコを消す。



「次、俺の番でしょう」



タカオはそう俺を見る。目が笑ってない。その表情や口調はいつものタカオからは想像もできないほど、冷たいものを感じた。煩いくらいの明るさはどこへやったのか。



「ここまでふたりとも外してるからね、楽しみ楽しみ」



白川さんの楽しそうな声を聞きながら俺は後ろを向く。ウォッカとジン。外せば脱がされ、当たれば脱がす。とんだパーティーゲームで、健全なんてものは皆無だった。でも楽しいからそれで良いかと、俺は待っている間考える。結局は楽しければなんでも良い。酒が入り、何が起きても、酒のせいにできるから。そう逃げ道を作りながら、ひたと白川さんの事を考えていた。優しくて、温かそうな人。でも楽しそうにヤクをポケットから出すような人。危険な香りのする人。一歩踏み込む事は許されないだろう類の人。そう考えていると、ポンと肩を叩かれる。振り向くとタカオは無表情に俺の鼻をくいっと摘み、噛み付くように唇が塞がれる。冷たいはずのアルコールは、タカオの熱でぬるく、液体の味なんてものは全く分からない。ごくんと飲み込むと、タカオは「どっちだ?」と尋ねた。


Sっ気丸出しの楽しそうな顔。脱がす気満々、って顔に書いてあるくらいだ。俺は鼻をつままれながら、うーんと悩んだ。味は分からない。けれどウォッカが続いているのだから、さすがにジンじゃないかと予想して、「ジン」と答える。


一瞬、全員が静かになった後、タカオは俺から手を離し、蓮司さんがギャハハと大声で笑いだす。タカオの落胆した表情を見て、あ、と察した。



「当たり当たり」



タカオの投げやりな返答。ということは、だ。俺はルールに従って、すでに上裸のタカオのベルトに手をかけた。



「え、タカオ、パンツ履いてる? 履いてなかったら全裸じゃねぇの?」



蓮司さんは涙目になりながらタカオを揶揄い、タカオは足を投げ出し、重心を後ろに倒すと、何もかもを諦めたように「履いてるっつーの」と吐いて、ベルトを外す俺を見下ろした。カチャカチャと音を立ててベルトを外す。するりと茶色の革のベルトを抜き取り、タカオに手渡した。



「ベルト一本で許してやるよ」



そう、揶揄うように敢えて目を細めてタカオを見下ろした。



「あー、お前、すげー脱がしてぇわ」



タカオはそう口角をゆるりと上げた。そうして次、俺と白川さんの番だった。そう。俺と、白川さんの番。冷静になろうとはするものの相手は春仁に似ていると、心底興味を惹かれた厄介な相手。タカオともきっと蓮司さんとも、口移しで酒を飲もうが緊張しないが、白川さんは違う。心臓がドクドクドクと脈を速めていくのが嫌でも分かった。



「さーて、何かなー?」



鼻歌混じりに白川さんは後ろを向いた。冷静に、平然と。俺は妙な感情を押し殺し、ウォッカを口に含む。白川さんを振り向かせ、微笑む白川さんを見下ろして鼻をつまんで少し開かれた口内にウォッカを流し込んだ。唇が合わさった一瞬、本当に微かな一瞬。白川さんの舌が悪戯に自分の舌に絡みついた。心臓が焦るように脈をさらに速める。白川さんは何事も無かったかのように唇を離し、「ウォッカ!」と宣言した。それが当たりで、自分が脱がされる事なんて頭になかった。もちろん、舌が絡むようなキスをした事がないから焦っているわけではない。不意を突かれ、この人が仕掛けてきたから。心臓がまだバクバクと忙しなく鳴っている。



「シロ、このゲーム強いよな」



「んふふ、そうだね」



白川さんはふっと笑うと、動揺していたろう俺の顔を見てそれからTシャツの裾を掴んだ。



「君の負け。さ、脱いでもらおうか」



あぁ、そうだった。そういうルールだった。俺は両手を上げると、白川さんはするりと俺からTシャツを脱がせ、それを丁寧に畳んで横に置いた。



「良い体だね」



そう褒めてくれる。



「…ありがとうございます」



白川さんはふっとまた優しく微笑んだ。その笑みが妙に怖かった。この人から危険な香りがするのは分かってる。ポケットからヤクをなんの躊躇いもなく出すような人、マトモなわけがない。でも、仮面はとても分厚そうで、微笑みの下の顔なんて分からなかった。



「じゃぁ二巡目」



蓮司さんの言葉と共に二巡目が始まる。先程とは逆の順番で回り、誰かがジンとウォッカを混ぜるというトリッキーな事を始め、なかなか酒を当てる事が出来なくなった。脱がされ、何に笑っているのかも分からないが、とにかくケタケタと笑い、酒を飲んではハイになる。何巡したろうか。分からなかった。とにかく完全に酔っていた。思考が鈍なっていて、何をしても許されるのではないかと思った。いつの間にかタカオは俺の膝の上に頭を乗せながら横になり、ぼーっと湖を眺めている。蓮司さんは俺の鼻を摘むと、口移しで酒を流し込み、「さて、なんでしょう」と首を傾げている。蓮司さんとタカオは既にパンツ一枚。なのに何の抵抗もなく、まだゲームを続行している。それが可笑しくて仕方なかった。



「なんすかね。…ジン、かな。ウォッカは足されてないと思いますが、合ってますか?」



そう問うと、蓮司さんは「あちゃー!」と頭を抱えた。



「蓮司ー、ストリップしてよー。ほらほらー」



白川さんが煽るように蓮司さんに言うと、蓮司さんはその場に立ち上がり、何も言わず、目の前でパンツを脱ぎ捨ててドンと仁王立ちする。無抵抗で真っ裸になる。その面白さたるや。そして破壊力たるや。つい、声を出して笑ってしまう。タカオも肩を揺らし、笑っていた。



「バカだなー、本当」



そう呟いたのが聞こえた。



「ほんっと弱いよねぇ。毎回最初に全裸になってるね? もう、ただ脱がされたいだけでしょ?」



「脱がされたいわけではねぇよ! でも、見よ! 俺のこの完璧な肉体美! ふははは、そこら辺のメイルストリッパーの100倍価値あるぜ!」



堂々としている男の裸に恥ずかしさなんて微塵もない。それもそうか、と思うほど、確かに完璧な肉体美だった。



「ふふふ。蓮司はおバカで最高だなー。そりゃぁ、君の裸の価値は知ってるよ。そこら辺のストリッパーじゃぁ、勝てっこないもんね?」



「当たり前よ!」



ゲラゲラと笑う蓮司さんと白川さんをよそに、タカオがぽつりと、俺にしか聞こえない声で「そりゃぁ、プロだもんな」と呟いたのを聞き逃さなかった。



「プロ、なのか?」



タカオの顔を見下ろすと、タカオはふっと独り言を言っていた事に気付いたようだった。俺の顔を見上げると、「あー」と濁した後で、「あれ、本物のモデルだから」と呟いた。



「海外の有名雑誌にも出るレベルの。有名な下着モデルの専属もやってたくらいのね」



ほーう。なるほど。そりゃぁ、顔も体も良いわけだ。



「よ! 蓮司のストリップショー!」



「うひゃひゃひゃ。見よ、この広背筋ー! どーだ!」



「最高ー!」



飽きれるほど笑う白川さんと、ふざけまくる蓮司さん、タカオはそのふたりをただ見ていた。モデルだったタカオと、今でもモデルらしい蓮司さん。不祥事を起こしてクビになったタカオに、モデル続けるかと思った、と心無く言った蓮司さん。過去に何があったのかなんて俺には関係のない事だから聞かないけれど、想像以上に屈折した何かがあったのだろうとふたりを見ながら考えていた。


その時、ふと蓮司さんの右の太ももの内側に、視線が止まった。驚いた。腕にはアメリカンタトゥーが入っていたのに、内腿には白川さんの二の腕に入ってる蛇と鬼の刺青と同じデザイン、厳密に言うと色違いがそこには彫られている。和彫である。内腿から性器に向かって蛇が牙を向ける。まるで蛇が性器を食おうとしているようだった。白川さんと蓮司さんの関係、とは…。恋人か、元恋人か。同じ刺青を入れるよう関係って限られる気がするが。



「同じデザインなんすね」



蓮司さんの内腿を指差してそう聞くと、白川さんは「うん、そうだね」と優しく肯定した。その肯定は俺の予想を肯定しているのだろうかと疑問に感じていると、それを察したように白川さんはすぐに口を開いた。



「僕のを見て、蓮司がすごく気に入ったんだ。そうだよね? 蓮司」



「ん? あーこれね。鬼、蛇、なんかすげぇかっこいー! ってなったんだよ。シロのその腕に入ってんの見て一目惚れ。和彫りなんて興味なかったけど、これはすっげー惚れた」



「すぐにコレ彫ってくれ! ってなったものね」



ふたりの関係はイマイチよく分からないが、お揃いの刺青に大した意味はないのかもしれない。



「そーいえばシロ、この前のクラブで会ったヤツいたろ? あいつが…」



裸の蓮司さんは白川さんの横に座ると、何事もなかったかのように、酒を片手に話し出す。服、着ないのかな。まぁ、どうでも良いか。ふたりの会話を聞き流しながら、そっとタカオを見下ろすと、タカオはすっかり寝息を立てていた。今日はタカオの新しい一面を見てしまった。明日からまたこいつはいつものタカオに戻るのだろうか。戻ったとして、俺はいつも通り接する事ができるのかな。ちょっと気まずかったりするかな。


そんな事を考えていると、俺もうとうとと眠気に襲われた。蓮司さんや白川さんよりは随分と酒も入っているし、体も頭も疲れ切っていた。ふたりはまだ話しているし、少し寝ても大丈夫だろうか…。そう思っているうちにふわりと意識を手放していた。それは一瞬だった。座りながら眠ってしまっていた。カクン、と落ちた瞬間に我に返る。あぁ、一瞬、寝てしまっていたな、そう思いながらタカオを見ると、タカオはもちろんまだ眠っていた。


話し声が聞こえている。蓮司さんが白川さんと何か笑いながら小さな声で話していて、眠い目を開けてふたりを見ると、しばらくして蓮司さんがウォッカの瓶を握りながらこちらへ近付いて来た。俺と目が合うと、人差し指を唇に当て、「シー」と微笑む。何をする気なのかと眉間に皺が寄ってしまう。蓮司さんはタブレットを取り出すと、口に入れ、すぐにウォッカを口に含んだ。そのまま寝ているタカオの頬を鷲掴みにすると、口移しでそれを飲み込ませたのが分かった。 それはさきほどタカオが嫌悪していたあのヤクだ。


しかし気付かないタカオは、飲まされたそれをまだゲームだと勘違いし、「ジン、プラスウォッカ」と呟いている。眠そうな目を少し開けて、蓮司さんを見上げていた。ただじっと、見上げて正解を待っていた。



「……ふふ、うん、ハズレ」



蓮司さんは静かに囁き、タカオの頬を指の背で撫でている。これは少しヤバイ状況かもしれない。そう思ったがもう遅い。


しかし酒のせいで、だろうか。いや、そういう事にしておこうか。俺は少しだけ危険を冒したい気分だった。だってそうすれば、…ね? 俺は白川さんの方を見た。白川さんは相変わらず優しく口角を上げていた。蓮司さんはしばらくタカオを見下ろした後、タカオを撫でながら俺に言う。



「自分で飲む? それとも、飲ませてやろうか?」



怪しく笑う蓮司さんにタブレットを見せられ、俺はそれをあっさり受け取ってしまった。何してんだ。何で受け取ってしまったんだ。 でも気持ちの良い事はしたいじゃないか。それがどんなに危険でも? 酒のせい、かな。酒のせいだな。白川さんが俺の隣に腰を下ろすと、蓮司さんからウォッカを受け取り、それを俺に差し出した。



「大丈夫だよ、怖いクスリじゃないから」



でも俺はそのウォッカを受け取れずにいた。受け取ってしまえば何かを失ってしまうような気がしたからだった。酒のせいにできるから少しだけ危険な事はしたい、そうは思っても、この目の前の春仁に似た人とヤクでハイになってしまう事は怖くもあった。後悔するかもしれない。危険な事に興味があるだけで、好きなわけじゃない。春仁に対して、どれだけ隠し事を増やせば気が済むのだろうかと考えて、ふと、吹っ切れる。でも、春仁は手に入らないだろう。あいつはどうせ、いつか、大切な人を作って、その人を最も特別だと感じて、笑顔でそれを俺に報告しちまうんだろう。だったら、目の前の快楽に縋りたい。



「蘭、怖がらなくて良いよ。それ、頂戴。…口、開けてごらん」



酒のせい。全ては酒のせい。今日は飲み過ぎた、そう言い訳できるだろ。俺はタブレットを手の平に乗せ、白川さんを見上げた。白川さんはそれを摘むと、自分の口に入れてウォッカを口に含む。顔を近付けると片手を俺の後頭部に回して、髪に指を絡めた。その瞳を見上げながら口を開ける。そっと唇が重なり、ウォッカが口内に流れる。強いアルコールの味に嫌気がさした。ごくんと飲み込むが、上手く飲み込めず、ウォッカが口の端から垂れて顎を伝い、太ももへ落ちた。



「……ん、…ふ」



そのまま舌が絡む。勘違いかなと思うほど一瞬だった先程のとは違い、歯列をなぞり、互いに貪るように舌を重ねる。顔が熱くなり、鼓動が早くなり、息が上がる。唇が離れると、白川さんはまた優しく甘く微笑んでいた。



「飲ませちゃった。でもこれは悪いクスリじゃないから心配しないでね。ただ、気持ちが良くなるだけ。いつもより、ずっと、気持ちが良くなるだけ」



顔が熱い。体が熱い。鼓動が落ち着きをなくして煩い。血液がどんどんと下腹部に集まっていくようだった。



「タカオ、お前、邪魔よ。俺とあっちで寝ようか。昔みたいに」



「あ? 何言ってんの…」



半分寝ているタカオを蓮司さんは引っ張って抱えると、俺から離して少し離れたところに寝かせた。蓮司さんはタカオの髪を撫でている。別に、無理矢理にヤろうとはしていない。タカオは蓮司さんに髪を撫でられ、気持ち良さそうに再び目を閉じた。



「タカオ君が心配? それとも、君はタカオ君がタイプ? いや、蓮司の方がタイプかな」



白川さんは甘い香りがする。俺には少し甘すぎる匂いだった。長い腕がするりと伸びてきて、俺の頬を撫でている。俺は「別にそういうわけでは」と否定をすると、白川さんは「そう」と微笑んだ。



「あいつらはあいつらで好きにやると思うから、君は僕と気持ち良くなろう」



そう微笑む白川さんに触れられると、どうしたって逃げられなかった。危険なのは分かってる。酒に酔っているとはいえ、酒のせいに出来ると逃げの口実を考えられるほどには頭は回っている。理解はできている。なのに白川さんに微笑まれると、何も言えず、抵抗もできなかった。抵抗をしようと思えばできたろう。でも、流されたかった。



「大丈夫だよ。気持ちが良いね? あまり考えないで、素直に欲望に従う方が楽になれるよ」



首筋を甘く噛まれ、白川さんの大きな手は俺のそれを包むと、水音を立ててゆっくりと先を弄ぶ。声が漏れそうになり、腹筋に力が入った。徐々に速度は速められ、熱い息を吐いて白川さんを見上げる。視線がかち合い、また唇を合わせる。心臓がドクンと反応する。やばいな。

これは、俺が思っている以上に厄介な状況ではないだろうか。



「……ん、…」



「もう涙目だね。気持ち良さそう。ふふ、…こっちもグズグズだもんね。クスリは経験なかった?」



熱は増すばかりで、体がどろどろと快楽に溶けていく気分だった。その時、蓮司さんが白川さんの横に来ると首を傾けた。



「シロ、俺にも頂戴」



白川さんは「いいよ」と笑うと、片手であのタブレットを舌の上に置き、ウォッカを口に含んで蓮司さんに口移しで飲み込ませた。 ごくっと飲み込む音が聞こえた。蓮司さんはそのまま何もなかったようにタバコに火を点けるとタカオの隣へと戻った。白川さんは俺をじっと見下ろし、片手を俺の頬に寄せる。その瞳に脳が焼ける。自分がどれだけ危険な状態にいるのか、分かっているはずなのに。酒と、クスリのせいかな。熱くて熱くて、仕方がない。早く気持ち良くなりたい。それだけだった。



「……白川、さん…っ」



「ん?」



「…手、離して、…っ、下さい…」



「イって良いよ」



「けど…」



また唇が合わさる。舌が絡んでは熱が上がる。周りはうんと静かで、自分の心臓だけが煩い。頭が真っ白になった。体に力が入るとまわりがチカチカと輝いていて、何も考えられなかった。心臓が騒がしい。白川さんが、欲しい。ぜぇはぁと肩で息をしていると、白川さんはベルトを外してじっと俺の目を見下ろした。体がまた、熱くなる。熱は何度も何度もぶり返してしまうようだった。


あぁ、もうマトモな事なんて、なにひとつ考えられない。そもそもマトモってなんだろう。気持ちが良ければそれで良い。快楽に溺れて何が悪いのだろうか。でも、この人は危ない。一線を越えるべきではなかったのではないか。いや、どうだろう。


こんなにも気持ちが良いのだから、危険な香りに寄せられて正解だったんじゃないかな。



「おい、タカオー、寝てる場合じゃねーぞー」



蓮司さんは寝ているタカオの頬を乱暴に掴み、ゆっくり目を開けたタカオの顔を見下ろして、にんまりと笑っている。



「お前の好きなお友達、取られちゃったよ? 俺も参加しちゃおうかな。お前のお友達をめちゃくちゃにしちゃおうかなー?」



蓮司さんの煽るような言葉にタカオは怖い顔をして体を起こす。何か取り返しのつかない事が起きそうだと思ったが、俺は他人の情事を心配している場合ではなかった。白川さんが俺の髪を撫でていたが、俺がタカオ達を見ていると、その指先に力が入り、自分の方を向けと強引に髪を引っ張られる。痛みに顔を顰めながら白川さんを見上げると、白川さんはゆるりと口角を上げた。



「蘭くん、こっちに集中して」



白川さんはずっと優しい仮面を被っている。穏やかな笑みを絶やさず、俺の目を見下ろしながら、下を慣らすとそのまま奥を抉るように突いた。頭がグラグラした。快楽に目の前が霞んだ。



「…っ……、白川、さん…」



強い快楽に何もかもがどうでも良くなっていく。息が上がり、涙が溢れ、ぐずぐずに崩れてゆく。白川さんの熱を感じながら、何度も何度も欲を吐く。



「白川、さん……また、イキそ…」



「うん、良いよ」



近くに落ちていた誰かのシャツを握ってしまった。下腹部に力が入り、唇を噛み締めながら体を痙攣させた。白川さんはまだ足りないと、俺の腰を抱きながらゆっくりと抜き差しする。少し、飛びそうだ。



「なぁ、…あんた、本当最悪な性格してるよな」



そうタカオの声が聞こえ、俺は肩で息をしながら、少し離れたところにいたタカオ達を見た。視界は霞んでいたが、タカオが蓮司さんを殴りつけたのが見えた。



「…ちょっ、おい、顔やめろよ」



「は? 言えたクチかよ、俺を引きずり下ろしておいて。そんで今度は蘭を巻き込んで煽ってんの? ほんっと、頭悪いよなぁー」



「そんな、怒るなよ。ふふ、顔、怖すぎるって」



「あんたってかなり分かりやすいよ。俺にこーして欲しかったんでしょ? 殴られて、無理矢理ブチ込まれるの待ってたんでしょ? クスリで頭も体もイカれて、そんでヤりまくって…バカだなー本当。さっさと痛い目に遭ってほしいよなぁ」



タカオはもう俺の知ってるタカオじゃない。 蓮司さんの髪を鷲掴みし、自分のそれを咥えさせ、無理に喉奥まで突っ込み、満足そうに鼻で笑う男など俺は知らない。



「歯ぁ、立てんなよ」



「……ん、っ」



「あんたに地獄に落とされてなきゃ、俺、今頃、すっげー有名人だったかもしんないよ。国内外で活躍してたかもしんない。だから、ね? 頑張ってよ。泣きながら、頑張って」



地獄に落とされる? 何があった? 分からない。でも、もう、みんな、みんな、イカれてる。喘いで、泣いて、苦しんで。そうして俺は意識を手放してしまったらしい。少し落ちていたらしく、気付いた時、はぁはぁ、と荒い息づかいが聞こえていた。それが誰のものかは分からない。陽が昇り始め、温かな柔らかい光があたりを照らしていた。水面が朝日で輝き、木々がそよ風で揺れる。あれからどれくらい経ったのだろうか。


状況を確認したくて周りを見ると、隣に白川さんは座っていた。骨ばった細い指にタバコを挟み、ふぅと煙を吐いている。白川さんには陰毛がなくて、その代わりに、そこには下腹部全体から、右の太ももの付け根あたりにかけて麒麟を飼っていた。そして今、気付いたが背中一面に鳳凰が居座っていて、その尾は下腹部の麒麟に絡みついてる。背中にも入っていたとは思わなかった。何度見ても驚いてしまう。この人は、優しく甘い顔には似合わないゴツい和彫の刺青を体の至る所に彫っているらしい。



「あ、起きた?」



白川さんは俺に気付くと、首を傾けて口角を上げている。



「まだ、頭がぼうっとしてますが…」



「ふふ、そうだろうね。良いんだよ、まだ寝てて。あいつらはまだヤってる最中だから」



あいつら、という言葉を聞いて白川さんが顎で指した方を見ると、半ばレイプのようなセックスを連司さんとタカオがしていた。蓮司さんは気持ちが良くて泣いているのか、痛くて泣いているのかもう分からない。何の涙かは分からないが、号泣しているように見えた。



「も、……タカオ、悪かった、って…! ごめん、ごめんなざい、……あ、っ…ヤだ、タカオ、も、イけねぇから、っ…」



タカオの顔が怖かった。なんだか、見てはいけないものを見てしまっているようだった。



「ふふ、気持ち良さそう」



けど白川さんはそう言うと、タバコを落ちていた石に押し付けて腰を上げた。



「タカオ君」



白川さんはタカオの横に立つと、また優しい仮面のまま口を開く。




「僕も混ざっていい?」



「もちろんスよ」



「え、シロ…、なに勝手に3Pにしようとしてんの…ちょ、シロ! さすがにもう、無理だからな…、おい、…っ」



「そんなに喜ばないでよ」



「どーしようもない変態っすからね」



そこからは地獄みたいな蓮司さんの呻く声と、冷たいタカオの声と、楽しそうな白川さんの声が混ざり合っていた。しばらく眺めていたが疲労に瞼がまた閉じてしまう。俺はいつの間にか、ふっと意識を手放していた。


しばらくして、突然顔に水をかけられ飛び起きた。かけた本人は、「蘭ちゃん、起きて」と何とも冷たい目をして俺を見下ろしている。俺の知ってるタカオじゃない。

これでもかというほど蓮司さんを痛めつけていた男ではない。タカオは俺の頬に触れて目を細めるが、途端に心地の悪さというものを感じた。



「蘭ちゃん、シロさんとヤったんでしょ? だったら俺ともできるよな?」



目が怖かった。だから俺は反射的に逃げようと匍匐前進のように前に手をつこうとするが、逃げられるわけがない。タカオは俺の足首を掴むと、ふっと鼻で笑って俺を見下ろしていた。その顔は蓮司さんとシてた時の顔だ。もうイケそうにないと体が休みたいと限界なのに、タカオはとても楽しそうに笑った。



「クスリって怖いよね?」



そのままずるりと俺はタカオの方に引っ張られる。



「シロさんには、あんだけ大人しくヤらせてたのになんで逃げんだよ」



なんで逃げんだよと言われれば、逃げてない、と条件反射のように言いそうになる。だが逃げようとしていたのは明らかで、俺は眉間に皺を寄せて休みたいと口にする。



「…もう、ヤりたくねぇんだけど」



けれどそれはタカオを逆撫でするだけだった。



「なにそれ、なんか腹立つなぁ。それ、相手が俺だからだろ。シロさんは好みだった?」



「違う、ただもう疲れたから…」



「大丈夫だろ。まだクスリの効果は続いてるはずだよ。どんなに気持ち良くなっても足んない、そんなもんだよ」



本当に体は疲れていた。あまりの疲労に体は寝たいと悲鳴を上げているのは確かだった。でもタカオに後ろを取られ、こっちを向けと顔を横に向けさせられ、甘く噛み付くように舌を重ねられてしまえば体はあっという間に熱を取り戻す。タカオが言ったようにあのクスリの効果はまだ体に残っているらしい。異常なほど心拍数が速くなり、呼吸が荒くなり、下腹部に熱を感じる。薄情な体だ。寝たいんじゃなかったのかよ。気持ち良ければそれで良いのかよ。



「ほら、……ね? 体は素直。クスリのせいにして良いよ、蘭ちゃん」



タカオの熱い手の平が硬くなったそれを包み込み、ゆっくりと上下させながら耳を噛まれ、舌で犯されるように舐められる。短く息を吐くと、タカオはうなじにキスを落として片手で俺の前髪を横へ流した。そのまま背骨に舌を這わされ、軽くキスマークを落とされたのだろう。チクリとした淡い痛みが走った。



「慣らす必要ないよな?」



呼吸を整えていた俺に、そう返事を必要としない疑問を投げつけられる。



「待っ…」



タカオはぐっと自分のものを押し込んだ。先まで散々白川さんとヤっていたのだから抵抗は何もない。奥を疲れる度に声が漏れそうになり、必死になって我慢をする。我慢をすればするほど、頭が熱くなり、息が苦しくなった。快楽に溺れるのなんて簡単なんだよな。



「蘭ちゃん、ってさぁ…、初体験いつ? いわゆる、バックバージンってやつね」



つい数時間前まで友人の顔をしていたタカオは、そんな事を尋ねた。何の為に答えなきゃならないんだと、余裕がなくて睨むように見上げると、タカオは背骨に指を這わせながらくすっと笑った。



「何回も想像してたんだ。もし、俺が蘭ちゃんの初だったら、…どうしてやろうかって。だって蘭ちゃん、見た目によらずウブなんだもん」



タカオとの付き合いはまだ1年そこら。でもほとんど毎日顔を合わせ、よく話しては時間を共にした。春仁よりも顔を合わせて話す機会は多かった。なのにタカオが抱く俺への感情は一切気付かなかった。俺には彼女がいると言い、俺に恋人を作れとまで言っていたくせに。俺が女に興味が無い事を分かっていたのに、自分の事は隠していた。こんな風に、まぐわう事なんて予想もできなかった。喪失感と快楽とで、もう訳が分からなかった。俺は何も言葉を発せず、ただされるがまま身を任せた。



「ん、…ふ、…」



呼吸の仕方を忘れてしまう。酸素を吸おうと口を開けては声が漏れた。執拗に与えられる快楽に欲を吐くと、「蘭ちゃん、こっち向いて」と優しい声色で囁かれ、背中に熱を感じた。肩で息をしながら、ぼうっとした頭でゆっくりと顔を横に向ける。タカオは覆い被さるように俺を抱き、唇を舐められる。そのまま口を開けて舌を重ね、何度も何度もキスを繰り返す。タカオは苦悶の表情を浮かべると、奥に熱を吐き出して、しばらく動かなくなった。



「あー、やば。…本当にタイプだわ」



落ち着くとゆっくり離れる体は、若干汗ばんでいた。タカオのその呟いた言葉を、どこか遠くで聞いていた。俺は酷い疲労感にまた瞼を閉じかけていた。俺は何も返事はしなかった。閉じかける瞼を何度も何度も無理にこじ開けて湖の方を眺める。蓮司さんは少し離れたところで、全裸で大の字になって死んでいた。白川さんはひとりで湖に入り、呑気に泳いでいた。



「蘭ちゃん、」



タカオに呼ばれて視線だけを向ける。



「俺、結構本気だよ」



味わったことのない脱力感と強烈な疲労感に瞼を開けていられなかった。そうしてまたふっと意識を手放した。

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春には蘭を Rin @Rin-Lily-Rin

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