第五章 convey 第十二話 二個の弁当
自動運転車に乗り、係長はカード型端末を運転席にセットした。
スクリーンが出て今日の行き先リストが並び、八田の名をキャンセルする。
美里は、シートベルトを着けながら係長の横顔を見た。
「どうしたのかな。ハッタさん……」
「さぁ。転んだか、また手を切ったか。八田さんはまだ若いから動くしね」
「心配だね」
「むしろ心配なのは、娘さんだね」
係長は、シートベルトを締めると箱座りになりスタートボタンを押す。
車が緩やかに動きだす。
「え?」
「介護ってのは片手間で出来るような仕事じゃない。動く認知症ってのは本当に大変なのさ。離職して一緒の部屋で寝る人もいるくらいなんだ。あの娘さん二十代だろ? 働き盛りだし自分の人生を紡ぐ時間だ。本当は施設を頼った方がいいケースだと私は思う」
@スピーカでスクリーンを開き、係長は資料のファイルを開く
「えー。二人きりの家族だっていうのに?」
「だからこそ、お互いのためにと思うがね。娘さんにも人生があるんだから。まぁ我々は利用者とその家族の望みに全力で対応するだけだけどね」
「難しいんだね」
美里は外に視線を移しつつ、右手のひとさし指でで係長のしっぽに触った。
いつもなら嫌がるのに、係長はしっぽを動かしもせず、無反応でスクリーンを見ている。
美里は、不思議そうに、ぱっと係長を凝視した。
しっぽの先からお尻、お尻から背中……。美里の手がだんだんと上昇する。
頭に触ろうとした瞬間、係長は思い切り美里の手に噛みついた。
「あ痛!」
指にくっきり牙の跡が残る。
「調子のるな」
係長はプイっとそっぽを向く。
「もー、わかったよ。ふん」
痛みで少し涙をにじませた美里はドア側に寄りかかって窓の方に顎を上げた。
「あのさー六条坂君。これ一応職業体験、インターンなんだ。それも、あと二回。今日入れると三回で終了なんだよ? ネコハラ以外に君が知りたい事とかないのか?」
美里は車の天井を見て、眉を寄せた。
「うーん。『あせす』とか『くへん』とか、そういう奴は、聞いてもどうせわからないし、私が今知りたいのはただ一つかな」
係長は美里の顔を見た。それを見て美里は嬉しそうな表情になる。
「今日はじめて自分からちゃんと顔見てくれた」
「何が知りたいの?」
「くろのおうち」
思わずがっくりとうつむく係長。
「なんで、私のウチをそんなんい知りたいの? 」
「なんでって、それは……」
「それは?」
美里は急に目線を外して沈黙した。
少し待ったが美里は答えない。
係長は目線を外し座り直してとぐろを巻くように寝ころび、瞳を閉じた。
眠り始めた係長の背中を美里はチラ見する。
「ねぇ。くろは何でこの仕事やってるの? 今や猫はいろんな仕事やってるじゃない? 介護猫も多いけど、どっちかっていうと頭脳系の職に就く猫のが最近は多いって聞くけど」
少しだけ瞼を開けると金色の瞳に光が反射する。
「今は、だろ? 私の生まれた六年前は介護に人が足りないから猫を認めた所が大きかった。選択肢などあまりある時代ではなかった。でも一つ言えるのは私はこの仕事が嫌いじゃない」
「どのへんが?」
「どのへん?」
「だって『好き』じゃなくて『嫌いじゃない』ってよくわからない。くろってすっごい仕事にマジメに取り組んでるけど、プライベートじゃギャンブル三昧じゃん。プライベートも介護の勉強してるとかボランティアしてるとかなら解るけど、てゆーかギャンブルは好きなの?」
「好き。だね。無類の好きだね」
「仕事は?」
「嫌いじゃない」
「私からすると、だったらギャンブラーになるとかカジノで働けばいいじゃんて思うんだけど」
係長は鼻で笑う。
「たぶんカジノで働いたら、ギャンブルは『好き』じゃなくて『嫌いじゃない』になると思う。そういうもんさ」
「え? なんで?」
「世の中はね。白と黒だけじゃないってことだよ。だがこれ以上はいくら言葉を並べても今の君には理解できないよ」
「なんじゃそら」
「なるほどね、こういう質問が来るってことは、まだ迷ってるってことだね」
ドキッとした顔をして美里は急に唇に力が入る。
「おおいに悩めばいいさ。でも卒業も近いんだろ? 決断も早くしないと。無職で四月を迎えたくないだろ?」
美里の体が少しビクっと動く。
「む、むしょく」
係長は瞳を閉じて、本格的にお昼寝モードに入る。
「むしょくー!?」
もう葉のついていないイチョウ並木が続く街道を、ドップラー効果の叫び声を発しながら自動運転車が通り過ぎた。
◆◇◆◇◆
正午の太陽は高い所にあり、地上は陽のあたる場所で風の無い場所なら、少し暖かく感じる時間だが、マンションの地下駐車場は地上より五℃は低いだろう。
結局、係長と美里が他の利用者を何件か活動している間に八田眞知から連絡が入った。母親は軽傷で既に帰宅していること、そして昼訪問のキャンセルはないということだった。
そうして、お昼最後の仕事で当初の予定通り、係長と美里は八田家に来たのだった。
係長は車から降りると寒さで思わず体を縮こませる。
「抱っこしようか?」
美里が寒そうにする係長を持とうとするので、するっと手を避けるように係長はジャンプした。
「大丈夫」
とことことこ……と速足でエレベーターに向かう係長。
「ちっ」
避けられた手をポケットに入れて美里は係長を追った。
エントランスに出るとアニメーションのAIパネルコンシェルジュが会釈してくる。
パネルの足元で係長が見上げてから会釈する。
「三〇〇六の八田さんのヘルパーなのですが」
急に天井に付いているカメラが少し動き、係長をフォーカスする。
コンシュルジュの隣に係長が映った。
『ようこそ。介護のねこやの係長様。八田様より伺っております。』
美里も、話かけられて慌ててパネルに挨拶する。
「お弁当が届いているはずなんですが」
『お預かりロッカーの七番に入っております。お持ちください』
ロビーの端に並ぶロッカーから鍵の開く音がする。
『どうぞ』
「どうも」
係長は再び軽く会釈する。
ロッカーに近づくと猫用手袋と靴のスイッチを入れ、スクっとニ足歩行に切り替える。手袋は少し膨らみ人間の手のように五本指に変わる。係長は七番ロッカーから小さな保冷バッグに入ったお弁当を出した。
住居スペースに続く自動ドアの前に立つと、確認しているのか少し開くのに時間がかかった。係長と美里は住居スペースに入ると高速エレベーターに向かって歩きだす。
「ね。ああいうのってホントすごいよね。本当の人間みたい」
「本物だよ」
「え?」
「人や猫を誰か認識してAIが判別してドアを開けてるけど、こういう高級マンションは、ちゃんと生きてる人間の警備員が配置されてるって話だ。奥で見てるんだよ。本当に困った時や危険な時はちゃんと出てくるらしい」
「へー」
係長は持っている弁当の重さを計るように少し持ち上げた。
「二人分か……」
不思議そうな顔で美里は係長を見た。
三〇〇六号室。
最新の高級マンションだけあって猫の目線にも呼び鈴がつけてある。
係長が呼び鈴を鳴らすと、中から物音がしてドアが開いた。
「ああ、係長さん。いらっしゃい」
ドアを開けた眞知の顔を見て、少し驚いた。
一昨日あった時とは別人のように生気がなく青白い疲れ切った顔だった。
「大変でしたね。仕事はやはり休まれたのですか」
係長は玄関に入ると保冷バッグを一旦美里に渡すと、部屋用のシューズカバーをカバンから取り出す。
「まぁ、仕方ないです。私がいけないの、刃物は全部処分したつもりだったのに」
一瞬、美里を見て軽く会釈をすると、係長に視線を戻す。
「ケガの方は?」
「今回は少し切った程度みたいで塗り薬とテーピングで済んだけど、ケガより気持ちの方が……」
係長は玄関を上がると眞知の後ろについてリビングに向かう。
廊下の途中に灯りの消えている洗面所の横を通った時、洗濯機の上に血だらけのタオルが置いてあり、係長と美里は少し足を止めた。
「お母さん、黒猫さんだよ」
リビングを開けると眞知の母親が、この間と同じようにソファに座っていた。だが、眞知が声をかけても、俯いたまま反応がない。
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