第五章 convey 第十一話 写真

 そこに古い写真の束や表面のフィルムがボロボロになったアルバムなどが、沢山入っていた。

 日付は、みな昭和の物だ。

色褪せて茶色くなっているものある。母親がその中からいくつか束を取り出すと、パラパラとめくり何かを探していた。

 そして、一枚の写真のところで手が止まる。


 「おばあちゃん……」


 母親の表情が固まる。

 そこに写っていたのは、水色の着物に日傘をさして黒猫を抱いた高齢の女性。黒猫の首には赤いリボンが巻かれている。


 「似てる……」


 母親は写真を裏返す。

 そこには、万年筆か何かの青いインクで書かれた文字があった。


 クロや。

 また私の元に戻ってきてね。

 クロや。

 ずっと一緒だよ。


 母親は首を横に振って写真を缶の中に戻す。

 そして押入れの奥に戻し、出していた段ボールもしまい始める。


 「ばかばかしい。そんなわけないでしょ、しょ、はくしょん!」


 ホコリで母親は大きなくしゃみをした。


◆◇◆◇◆


 ダダッダダ、ダダッダダ、ダダッダダ……。


 すぐ後ろの線路に電車が通るたびに、そのアパートの部屋には振動が伝わった。

 網戸にしていると余計うるさい。引き手の取れかかったタンスの上には、お父さんの写真。冬はコタツになるテーブルの足は少しグラグラしている。


 夏休みの宿題。


 消しゴムのカス。


 やりかけの計算ドリル。


 「じゃあ、次の仕事行ってくるから。今日は火曜だから眞知の好きな唐揚げ買ってくるね」


 私は顔あげて玄関を見る。

 お母さんはボロボロの運動靴を履いてドアノブに手をかける。


 「うん。でも、あったらでいいからね」


 ニコッとして頷くと、おかあさんは薄いドアを開いた。

 約束は絶対破らないお母さん。買ってくると言ったら絶対買ってきてくれた。


 「九時半には帰るから。寝てるのよ」


 「うん」


 静かにドアが閉まる。


 私はテーブルに戻り鉛筆を握る。


 絶対、将来はお母さんに楽させるんだ。


 やり終わったドリルは全部消しゴムで消す。


 後でもう一度やるために。


 お母さんのために……。


 お母さんのために……。


◆◇◆◇◆


 タブレットから、十年前のアニメの主題歌が鳴っている。


 カーテンの隙間から朝日が漏れていた。

 八田眞知は眠そうに、タブレットを掴み音楽を止めた。だるそうにベッドから起き上がると、大きなアクビをしながらタブレットでメッセアプリを開く。沢山来ているメッセージの中からマネージャーと表記されたボタンをタップする。


 『八時にマンション前に迎えに行きます』


 タブレットを枕の上に置き再びあくびをする。前屈みになり立ち上がるとワンサイズ大きめのパジャマのズボンが少しずれる。気にも留めず伸びをして、部屋のノブを掴んで開ける。


 廊下に出ると寒さで自分の二の腕を抱いた。

 洗面所に向かおうとすると、キッチンリビングのドアから光が漏れていることに気が付く。眞知は我に返り、急いでキッチンリビングのドアを開ける。


 その瞬間、眞知の顔がみるみる青ざめていった。


 フローリングの床には、そこかしこに血痕が垂れ、踏んで引きずったような赤黒い跡があった。

 カウンターには、真っ白なはずの皿にレタスやキュウリトマトが、血だらけで盛られている。キッチンのまな板の上には、血が染み込んだ食パンが散乱している。

 その床に左手を抱えこんで母親が座り込んいた。

 辺りには、赤く染まり丸まったティッシュがいくつも落ちている。母親の足元には血だらけの、刃が出たカッターナイフが落ちていた。


 「お母さん!!」


 眞知は、母親に慌てて駆け寄って手を見る。

 母親は巻いてあったはずの包帯は取れていて、人差し指はテーピングしてあるものの中指を新たに切っていた。


 血は止まっていない。

 ずっと押さえていたのか他の指にも、ティッシュの切れ端がついていて、血が固まり張り付いて取れないのだ。


 「眞知、絆創膏どこにあったかしら、包丁でちょっと切っちゃって、いやお母さんまたやっちゃって、ごめんね。いいわ自分で探すから、先食べなさい。仕事遅れるわよ」


 眞知の手を振り払おうとする母親を、眞知は強く抱きしめる。


 「大丈夫、大丈夫だからね。いったん立とうね」


 眞知は母親を立たせ、ぬるま湯で手を洗わせた。

 傷口が開き、シンクに鮮血の赤い渦が出来る。

 母親は痛みの表情を浮かべるが、眞知はなるだけ傷口に触れないように手を洗い続けた。

 冷蔵庫に便利グッズでかけてあった手拭き用のフェイスタオルで、切った指を中心に手をぐるぐる巻きにした。

 リビングソファの母親の定位置に座らせると、血だらけのカッターナイフを拾い、刃をしまってポケットに放り込む。


 「包帯と消毒液……」


 リビングの引き出しを、いくつも開けはじめる。


 「包帯と、しょうどくえき……」


 見つからず、引き出しがいくつも開けっぱなしになっていく。

 溢れてくる涙をぬぐいながら、眞知は、消毒液を探し続けた。


◆◇◆◇◆


 「おはようございます!」


 美里は『介護のねこや』の事務所の玄関の自動ドアが開くのも待てない様子で体を斜めにして入ってきた。


 「おはよう美里ちゃん」


 挨拶するメインクーン所長に軽く会釈をして、美里は速足で訪問介護のデスクまで来ると、机上でタブレット作業をしている係長の横に来る。


 「おはよー、くろ! 昨日はごめんね」


 係長はタブレットから目線を外すことなく作業を続ける。


 「まぁいいよ。無事に帰れたのかい?」


 「無事というか、一時間はパパ……お父さんに怒られました」


 「よかった。常識的なご家庭で。では私からあえて注意しなくてもいいだろう。これから気をつけてくれ」


 美里はこちらを見向きもせず、作業を進める係長を上目遣いでじっと見る。

 係長は無表情だった。

 もじもじしながら更に一歩、美里は距離を詰める。


 「怒ってる……?」


 「べつに」


 「怒ってるじゃん。昨日元気無かったけど大丈夫? 何かあったの?」


 係長は、何も答えずにタブレットのブラウザを閉じる。

 立ち上がると、充電していたカード型端末をポケットに閉まった。


 「くーろぉー」

美里は、係長の背中を人差し指で突っつく。


 「別に怒ってないってば。君の行動にも少し慣れたさ。それにインターンは残り二日だ。君がどうするにしても、君専属の教育係もあとちょっとで終わりだしねー」


 係長は、口を歪めて微笑むと肩をすくめながらしっぽをうねうねと動かす。

 ここまで視線を一向に合わさない係長に、美里は強引に係長の前に自分の顔を持ってくる。


 「ね。本気でおうち教えてよ。それかせめてプライベート用のメッセで繋がろう」


 係長は顔の近さに、つい口元がほころんでしまった。


 「い、いいよ。って言うと思うのか」


 係長のほころんだ顔を見て、美里も微笑む。


 「そこをなんとか、くろさん」


 「だーめーだって言ってんでしょ」


 係長がカバンを背負っていると、事務所の備え付けの電話が鳴る。

 係長が出ようとすると、所長が別の場所で出た。それを横目で確認すると、係長は机から飛び降りて、美里の靴を軽くノックする。


 「行くよ。一件目は篠原さん、二件目は昨日の八田さんだ」


 「はった……ああ、あの人か……げー」


 美里は肩を下げて猫背で歩きはじめる。


 「係長! 八田さん搬送されたから午前はキャンセルだって」


 係長と美里は驚いて振り向く。


 「搬送? どうしたんですか?」


 「さあ、ケアマネも詳細までは知らないみたい」


 「わかりました。昼と夜のキャンセルはまだ入ってないってことですね?」


 「そうね。連絡待ち」


 「承知しました。行こう。六条坂君」


 「え、うん」


 係長は玄関に急ぎ足で歩きだす。

 美里はキョロキョロしながら係長の後を追った。

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