第五章 convey 第十話 夜の街でデート
急行の止まるこの駅の繁華街はそれなりに発展しているのだが、いつもこの時間は、一日の疲れを隠せない労働者がどっと駅から流れ出てきて、各々の生活に散っていくのみだ。
だが、もう大学は春休みなのだろう。
はしゃいだ高らかな笑い声の若者たちが、居酒屋や焼き肉屋などの“飲み屋界隈”に流れていく。きらきらしたオーラを放ちながら、お互いの瞳の奥まで見ようとするほど見つめ合うカップルも少なくない。
この時期にしては春衣では寒い日であるが、街の雰囲気はもう充分暖かさを
美里は係長を抱いたまま、そんな繁華街の中を歩く。
買ったばかりの少し大人びた服と薄いメイクをした美里の姿は、今日のこの若者の色彩に、溶け込んでいた。
ガラスに自分と係長が映ると、美里はニコッと係長に微笑みかける。
係長は照れたように目線を外し、ニ秒後くらいにチラッと移りこんだ自分たちを、いや美里を見る。
目線が合いそうになり、係長はまた視線を外した。
雑踏の中、美里は大きな声で何度も係長に話しかける。その度に相づちを打つように係長も返事をするのだが、@スピーカを付けていない美里には、猫の鳴き声にしか聞こえない。
「こんな夜に繁華街をくろと歩いてるとデートみたい。どこかで座ってお話でもする?」
「ミー。ミャウミャミャ」(まるで君にデートの経験があるかのような口ぶりだね。お子様すぎて誰にも相手にされないと思っていたけど)
「ちょっと、くろ。今絶対悪口言ったでしょ。私そういうの判るんだからね」
係長は苦笑いをしながら、ロータリーの方を指さし誘導する。
だが、ふと美里が立ち止った。
「きれー」
目の前に、電飾で彩られた巨大なシンボルツリーが現れる。
駅前のシンボルツリーは、クリスマスからずっと数えきれないほどのイルミネーションライトで常時点灯され披露されているが、春になるとピンクのライトが増え、巨大な桜の樹のように美しく輝いていた。
桜色の数えきれないほどの灯りが映りこんだ美里の瞳に、係長はつい見入ってしまう。
「夜ってあまり出歩かないから気づかなかったけど、街ってこんなにキレイなんだね」
美里の腕の力が少しだけ強くなる。
美里の温もりを感じて、係長は無意識に掴まっていた前足に力が入った。
それに気づいたのか、美里はニコッとして係長の頬っぺたに、自分の頬っぺたをスリスリと合わせた。
◆◇◆◇◆
グラスの複雑なカットの光を、琥珀色の山崎がゆらゆらと反射する。
ロストキャッツのカウンタ―席に移った八津目は、傾けた酒を眺めながら小さく呟いた。
「寂しくないわけがないよな」
マスターは、磨いているグラスを棚に置くと八津目の方に振り返った。
「何がですか?」
「いや、ずっと人間と暮らしてきた猫がさ。今更一匹で生きていくってことがさ」
マスター少し考えて微笑む。
「確かに一緒に暮らしていたらそうですが、今の働いてる猫さん達は、ほとんど生まれてからこの社会で生きてるんですもの。そういう感覚にはならないのではないですか?」
八津目は、グラスをじっと見る。
「今の猫ならね」
マスターは不思議そうな顔で八津目を見ると、少し肩を上げてからまた新しいグラスを磨き始めた。
◆◇◆◇◆
ロータリ―に着くと、停留しているバスやタクシーが並んでいる。一般の車両も何台か家族を待っているのか止まっていた。
係長は腕の中から飛び降り美里の前に座った。
「くろ? どうしたの? どのバス?」
キョトンとした美里の顔を係長は見つめる。微笑みながら、係長の動きを美里は待っていた。
「もしかしたら……」
係長は美里を見つめ続けて呟いた。
その言葉は今、黒猫の鳴き声にしか美里には聞こえないのだ。
「私もどこかでもしかしたら、くろさんの生まれ変わりなのではって思っていたんだ……どこか記憶を失っていて、忘れているだけなんじゃないかっ て……」
美里はしゃがんで係長と目線を合わせた。
「くろ?」
係長の金色の瞳に美里が映る。
「三年。生まれ変わるのに三年もかかっているんだとしたら、くろさんの亡くなった時と、私の生まれた時では時期が合わない」
美里は係長を見て目を大きく見開いた。
係長の悲し気な表情にきづいた。
……でも今の美里には言葉がわからない。
係長の瞳はまるで、うるうると涙がたまっているように見えた。
「私は、『くろ』じゃない。君の愛している、くろじゃないんだよ」
「くろ、どうしたの? 」
美里は、よくわからずもう一度係長を抱きしめる。係長は美里の腕の中でただ、大人しく目を閉じていた。
その時、クラクションが鳴り美里と係長を車のヘッドライトが照らした。
美里は、振り返ってその車を自分の家の車である事に気づき驚く。運転席で次兄が美里を見ている。助手席が空くと、母親が車から降りてきた。
「美里! 何してるの! 係長さんに迷惑をかけて!」
「くろ、さっきウチに電話かけてたんだ」
「係長さんは、心配して迎えに来て欲しいっていってくれたの」
母親が美里の袖を引っ張る。
その時、母親の目に美里の腕の中の係長が映り、思わず袖を離す。
「……くろ……」
母親は係長を凝視した。係長は母親を見上げて会釈する。
「そんなに似てますか……」
「に、似てるわ。 まるで……」
母親は自分の頬っぺたをピシャリと叩いた。
「いえ、今日は失礼いたしました。明日もしっかりと行かせますので、残りの期間のご指導よろしくお願いいたします」
母親は係長を美里の腕の中から抱き上げる。
「あ」
美里は小さい声を出した。
優しく母親は係長を地面に座らせ会釈をした。そして美里の袖をひっぱり車の方に引っ張っていく。
「あ、明日ね。くろ、ちゃんと話聞くから」
しかし、係長は美里と目を合わせない。
「くろ?」
車の後部座席に美里を押し込むとフタをするように自分も乗り込む母親。
美里は、身を乗り出すように、ライトに照らされた係長を見る。
「どうだった? 係長さん。 やっぱ似てるの?」
次兄は、待ってましたとばかりに話かけた。
母親は係長のいた場所を見る。だが係長はもう姿を消していた。
「たしかに。似てるとかそういう類じゃないわね。でも、あの子『くろ』っていうより……」
母親はどこか青ざめた表情だった
「へースゴイね」
次兄は、サイドブレーキを上げアクセルを踏みだす。車はゆっくりと動きだした。次兄と美里のくろの思い出話が飛び交う中で母親は、口に手を当て沈黙を守っていた。
◆◇◆◇◆
六条坂家に着き、美里はリビングで父親に呼び出され叱られている。
次兄と祖父は美里をかばって父親の話を遮る。長兄がタブレットの中から美里に手を振ったりしていた。
母親は、一人で別の部屋の和室にいた。
床の間に隣接した押入れを漁りホコリだらけの段ボールをいくつか畳の上に出す。
「あった」
押し入れの奥の方から、年代物のスチール製の黄色いお菓子の箱を取り出す。雑巾でホコリをはらい、その箱を開けた。
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